2009/10/31

ダ・パンプあたりから

9時半起床。起きてすぐベランダの掃除をする。植え替えをしたままの多肉植物まわりの土をようやく掃いたらすっきりした。土を落とすためにお風呂に入る。これだけで、いつになく優雅な休日を過ごした気分になる。

図書館に本を返却に行くついでにスーパーに寄って、あさりを購入。宮城から届いたチンゲン菜を斜め切りして、一緒にバター醤油で蒸す。玄米、昨日作ったスープとともに食す。これはこれは……おいしい。ついでに大根とかぶの葉で漬物を作っておく。


その後、ガールフレンドとともにウォークインクローゼットの掃除。学生時代から集めてきたいろいろな資料をひさびさに混ぜ返す。うーむ、懐かしいもの多数。

ちなみに掃除中に聴いた音楽は、宮崎貴士『Astaire』、かえる目『惑星』、細野晴臣『Hosono House』、ホース『Hose II』、ベスト・ミュージック『Music For Supermarket』、ダ・パンプ『Da Best of Da Pump』、ジーン・カーン「If You Wanna Go Back」、V.A.『Journey Into Paradise: The Larry Levan Story』。ダ・パンプあたりから作業がはかどりはじめたのが、この履歴からもわかる。


横浜へ。梅田哲也+神村恵+Contact Gonzo+捩子ぴじん+堀尾寛太による「停電EXPO」を観る。今回のコラボレーションによって、自身の表現が発展しそうなのはContact Gonzoだと思う。真っ暗闇(停電)の中でのパフォーマンスは迫力を増していたし、それ以外の、普通に歩いたり片付けたりしているシーンが意外に魅力的であった。シチュエーションや小道具を使うだけで、これほど面白いものになるとは。これをきっかけに、さらにブレイクしてほしい!

馬車道で食事。焼酎5杯ほど。

藤幡正樹が男をあげた

今日は渋谷のクアトロにてPhew、前野健太、相対性理論、湯浅湾を観に行った。それはそれはすばらしいライヴだったのだが、その感想は後日あらためて書くとして、とりあえず今日オープンした「CREAM ヨコハマ国際映像祭2009」に関する速報を。

この芸術祭、準備期間中からディレクターについての悪評が漏れ聞こえていたが、ついにアーティストからの公式発言が飛び出した。
まあ最近のキュレーターには、アーティストを、あるいは美術自体を、自身の出世のための駒としか思っていないような輩が多く、もう美術ギョーカイはどうしようもないところまで来ているが(ま、そんなギョーカイなんて潰れてしまえばいいのだけれど)、俺が聞いた悪評などから察するに、華麗な経歴を誇るディレクター氏も同類だったということなのだろう。
話はとてもシンプルで、要は、アーティストとキュレーター、どちらも美術と殉じる気構えがあるかどうか、だ。
藤幡正樹は男をあげた、ととりあえずは言える。彼の作品、11月3日までは展示しているようなので、観に行かなければ。

2009/10/29

なぜブニュエルか

845分、郵便屋に起こされる。早すぎると思うけれど、とりあえず起きれたので、ありがとうございました。漢方を飲んで、朝食はトースト、オムレツ。

ブニュエル『公開禁止令』(フィルムアート)を読みながら出社。学生の頃に読んだのに、ぜんぜん内容を覚えていなかった。なぜブニュエルなのかは、言うまでもないだろうが、Rest In Peaceということです。

出社後はあくせく働く。膨大な量の資料づくりに追われる。

昼食はお弁当を公園で。今日くらいの涼しさが気持ちいいな。『公開禁止令』を読み続けるが、ぜんぜん進まない。

夕方、新しいプロジェクトの顔合わせ。うまくいった。そのまま飲みに流れる。生ビール8杯。また飲み過ぎた。お茶の水からタクシーで帰宅。疲れたー。


2009/10/28

私の唯一の願望

10時起床。また、だんだん起床時間が遅くなってきている。朝食は玄米、ニラと豆腐のお味噌汁、ベーコンエッグ、はくさいの浅漬け。伊豆にできた杉本博司の美術館についての備忘録。清水穣の論文がいいそうなので、入手しなければならない。

今日も『霊と女たち』を読みながら出社。自分にはテーマが重要すぎて、なかなか進まない。


昼食はイエローカレー。グリーンカレーを頼んだら品切れだったのでイエローにしたら、鍋の底に残っていたグリーンをおまけしてくれた。これはうれしい出会いだった。750円也。

長期の病欠により多大な迷惑をかけていたプロジェクトが再始動することに。みなさんがまた、暖かく迎え入れてくださったことに感謝。1時間ほど残業して退社。


今日の、というには重すぎる教訓

「私の唯一の願望は、平板で退屈な現実の向こうに、もう一つの想像力による世界があることを提示することだ」──カール・ドライヤー


ドライヤーの言うもう一つの世界を現物でどう存在させるか、それは俺のささやかな望みでもある。


夕食は1人なので簡単なものをと思い、ミニトマトとしめじ、ハーブをたっぷり使ったオムレツ。玄米、お味噌汁、はくさいの浅漬け。なぜ、こういう簡単な料理につくった料理はおいしいのだろう。

夜、久々にランニング。30分ほど。最近ちょっとふとったからね。

夜中、仕事を辞めてきたガールフレンドが帰宅。これまでおつかれさま。自家製梅酒で乾杯する。

2009/10/27

幸せな報告

915分起床。漢方を服用。朝食はトースト、イチゴジャム、ベーコンエッグ。

『霊と女たち』の続きを読みながら出社。

午前から午後まで4連続会議。どうなってるのだろか。

昼食はフレッシュネスバーガーにてチーズバーガー、ポテト、レッドジンガー。これで870円って高くない? ホントはストレートエッジな食生活にしたいのに、たまにこういうのが食べたくなる。人間だもの。

夕方まで入力作業をして、定時に退社。神保町に移動して、前の会社の上司とひさびさに会う。2年ぶりだろうか。日本酒4合。いろいろと幸せな報告が聞けました。

23時に帰宅。ガールフレンドとビール2缶。2時に就寝。

2009/10/26

惜しまれる男

1045分起床。ああ、酒が残っている。が、ウコンと胃薬の防衛力が効いているのか、大惨事〔ディザスター〕には到らず。お風呂にゆっくり浸かってからだをあたためる。漢方2種類を服用。

ブランチとして、駅前の立ち食い蕎麦屋にて月見そば260円也を食してから会社に向かう。杉浦勉『霊と女たち』(インスクリプト)を読みながら。

出社後、結局ディザスター。会社のトイレで2度ほどリバースするはめに……。落ち着いてから、サンドイッチとホットレモンを胃に入れる。打ち合わせ1本、入稿、地味な入力作業など。ほぼ定時に退社。

ガールフレンドと待ち合わせ、スーパーに寄って帰宅。

夕食は今年度初のお鍋。宮崎軍鶏を豆乳で食し、締めはうどん。ああ、おいしい。毎日鍋でもいいくらい。アンタッチャブルの漫才をYoutubeで見ながら。涙を流して笑いました。


ところで。

『霊と女たち』を読んで驚いた。昨年、杉浦勉氏が亡くなったのだという。俺はぜんぜん知らなかった。

あれは学生の頃だったろうか、俺は「キップ・ハンラハンを囲む飲み会」なるものの末席に連なる僥倖に浴したことがある。その席ではじめて杉浦さんとお会いし、以後も、3度ほど、お酒の席をご一緒させていただいた。

本書の巻末にキップが書いている。

惜しまれる男だ。ボルヘスの登場人物のようにエレガントで、バジェーホの詩のように複雑で、インファンテの本のようなユーモアの持ち主で、彼は、ぼくが日本を訪れ、彼に会うたびに、その旅をいっそう楽しいものにしてくれた。(…)彼のあれほどフォーマルな外見とマナー、仕事のしかた、それにとても静かでおかしみのある一面が、お酒が入ると、いっそうブリリアントで面白くスマートな教授の、友人の、詩人の、ファンの、仲間の顔へと変わってゆくのは、実にすてきだった。そして格式ばった堅苦しさが消えても、彼は決して、一度だって品位を失うことはなかった!

(訳=浜邦彦)

杉浦さんはいつも穏やかな、瀟酒な風貌で、切っ先鋭い知性を隠していた。酒場で、照れくさそうに笑いながら、娘さんのお話をされていたのを思い出した。

2009/10/23

衝撃の最終回

9時起床。眠気というか、疲れがとれず。1週間の疲労が出たのか、ここ2日間の飲み過ぎからか、からだの調子が悪いので、今日は会社を休むことにする。からだがとても冷えていて、おなかを下す。

朝食はトマトたまご。尊敬する米沢亜衣先生の『イタリア料理の本』(アノニマ・スタジオ)のレシピより。素朴なおいしさ。食後にみかん2個。ベッドで『プロゴルファー猿』(9-10巻)を読むうちに2時間ほど寝てしまう。

起きて、昼食。ガールフレンドが買ってきたえのきだけを湯がいて、ベーコン、しらすと和えて、バター風味のパスタを作る。食後にみかん2個。あ、そういえば今年度初のみかんだ。

図書館から借りてきたスタンリー・キューブリック『2001年宇宙の旅』を観る。小学生以来です。だが、起きていると身体に障る感じがして、半分だけ観たところでまたベッドに戻って30分ほど眠る。


浅草行きのバス車内で坪内正『やさしいデッサン入門』(アトリエ出版社)。単なる実用書かと思いきや、認知論的(?)に書かれた意外な良書。ピカソとゴッホ、それぞれ9歳時のデッサンがうますぎる。

で、浅草にて「アジアン・ミーティング・フェスティヴァル 2009」を観る。このあいだの大友良英展のイヴェントに感動したので。

出演者の中では、とにかくOOIOOAyAさんとOLAibiさんがかっこよすぎた。

はじめて見た相対性理論は……いろいろな意味で「ええ?」って感じ。ただ、今回、実物のやくしまるえつこ嬢を観ることができたおかげで、相対性理論現象の何たるかがようやくわかりかけた気がする。それは、一言でいえば次のようなものである。


やくしまるえつこはかわいい、なぜなら「やくしまるえつこはかわいい」という話になっているからだ。


これ、嫌味で言っているんじゃなくて、客との共犯的な関係性についての象徴的な表現をしたつもりなのだけれど、わかりますかね。相対性理論に関しては30日のライヴも行く予定です。

今回のイヴェントは盛りだくさんすぎて、正直なところ、全体としてはよくわからなかった。ま、体調が良ければまた観てみようかな、近所だし。


からだが冷えたので、みそラーメンを食べて帰宅。

ソファでゴロゴロしながら『プロゴルファー猿』全巻読了。意外や意外、衝撃の最終回であった。これ、「猿」が「プロゴルファー」になるまでの話だったんだ! しかも、なぜか最後はどことなく悲劇的! ミスターXも出てこないし!

2009/10/22

今日も飲み疲れ

845分起床。起きたら唇が乾燥していた。冬はこうして近づいてくる。

朝食はガールフレンドが作ってくれたわかめそば。ゆっくり準備をして家を出る。

午前、午後とお仕事。今日はもっぱらデスクワーク。調子は良い。

昼食は近所の公園でお弁当を。『東京骨灰散歩』の続きを読む。

定時に退社。21時からオリヴィエ・アサイヤス『クリーン』を観る予定なので、それまで時間を潰す。

まずは山本現代にて「小林耕平 右は青、青は左、左は黄、黄は右」展。転がるペットボトルの映像に背筋が凍る。

続いて渋谷にて、高校時代の友人と一昨年ぶりに会う。昨年から今年にかけての積もりに積もった話が盛り上がり、結局アサイヤスは断念(がーん…)。1軒めでビール3杯と焼酎3杯、2軒めでカヴァ3杯。たしか終電で帰宅。

ああ、今日も飲み疲れ。


小沢信夫『東京骨灰紀行』(筑摩書房)

小沢信夫『東京骨灰紀行』(筑摩書房)

はかない遊女たちは、では、なぜ浄閑寺だったのか。江戸切絵図を広げます。「今戸箕輪・浅草絵図」嘉永六年刊の尾張屋版の、ちかごろの印刷物を。
絵図のまんなかに、新吉原が四角く灰色に描かれていて、まわりは緑色の田圃。その外まわりを赤い枠取りのお寺がかこんで、浅草から上野一帯まで圧倒的に寺町だったことがわかるが、この絵図は、まずは新吉原へのガイドマップなのでしょう。第一のコースは隅田川を猪牙舟できて山谷堀へ入り、土手にあがって、衣紋坂をおりて遊郭(なか)へ。この日本堤は、主には荒川(隅田川)の氾濫から江戸を守るのがねらいだった。土手の北側は江戸の外だ。
犬猫同然の死骸は、江戸の外へ捨てるにかぎる。界隈に腐るほど寺があろうとも。そこで土手へかつぎだし、隅田川方面はメーンストリートにつき、西へゆく。すると対岸にまっさきにみつかる寺が浄閑寺。しめしめとかつぎこんだ様子が、切絵図をみるほどに目にうかぶ、ような気がします。(p.56)

昭和20年(1945)3月10日の東京大空襲にも、日本堤、三ノ輪のこの界隈から北は焼けのこった。寺の前の「にんべんや履物店」の息子の荒木経惟は当時満4歳、のち高名の写真家が、こう証言しています。「空襲の時には浄閑寺の墓地に避難した。そこから周り中が燃えている赤い空を見たから、今もオレは赤い色が好きなんだよ」
にんべんやも、名物下駄の看板とともにぶじでした。その看板はもうないけれど、おかげでここらの横丁や表通りにも、古い東京の面影が、かけらほどにはのこっている。新吉原は、大江戸このかた全焼十余度の火宅そのものなのに、ひきかえて浄閑寺一帯が、どうして奇跡的にまぬがれつづけたのか。
石室正面には、いつ来てもお花があがっている。その右の壁面に、色紙風に黒石をはめこんで一句。「生れては苦界 死しては浄閑寺  花酔」(p.57)

彰義隊は、新撰組ほぢには人気がないのはなぜだろう。上野戦争といえば、パノラマ館の興行にさえなって、おりおり人気が盛りあがったらしいのに。やがて日清・日露の戦争を経れば、パノラマのネタもどっちそちらへ。それに彰義隊の残党からは各界に逸材をだした。幇間の大物〔松廼屋露八のこと〕のみか、大日本印刷の祖の佐久間貞一や、日本女子大学の祖の一人の戸川残花や。つまりイメージが単純でない。まして東京大空襲を経てからは、上野界隈が少し焼けたぐらいの戦なんか、片腹痛くなったんでしょうなぁ。わずか半日で死屍累々の、官軍側はその場からかたづけ招魂社(靖国神社)へまつられたが、彰義隊二百数十人は泥土にうち捨てられたままだった。という事実の残像としてこの一角はある。無言の碑たちがあっちむきこっちむき、樹陰に無愛想にたたずんでいる。(p.62)

『東京大空襲──B29から見た3月10日の真実』

高度経済成長期、この町〔築地〕のビル化が競ってすすんだ。いざ地下を掘ると、当たりはずれが生じた。なにごともないところと、ざくざくお骨がでるところと。子院の引っ越しは、つまり位牌の墓石を運んだので、土葬時代の地下は、大地に抱かれて自然に帰しているのであった。ところがビルは地下室を造るからね。造らぬまでも掘り固めるからね。そこが墓所跡ならば大当たり。なにしろ築地で、もともとは海につき、水気に漬かって空気に触れず、保存きわめて良好のお棺もでた。蓋をあけると妙齢の美女が振袖のまま眠っていて、ものに動じぬ仕事師もギャッと叫んで遁走したとか。聞きつけてドッとむらがったとか。多少は尾鰭のついた実話が、この町のどこかでいまも語り継がれているはずです。現代の民話。(p.112)

2009/10/21

もぐもぐぐびぐび

915分起床。漢方を飲んで、大量のゴミ出し。朝食はベーコンエッグ、わかめと青ネギのお味噌汁。デューク・エリントン『極東組曲』を聴きながらもぐもぐ。

郵便局にて所用のついでに、IC付のキャッシュカードを新調する。

小沢信男『東京骨灰散歩』(筑摩書房)を読みながら出社。午前、午後とお仕事。

昼食はスペイン料理屋で「鶏スタミナ定食」なるものを。こんなスペイン料理ははじめて。『悍』(白順社)の市田良彦+長原豊+佐々木中+絓秀実座談会「暴力燦々」を読みながらもぐもぐ。期待以下。というか、市田も耄碌したな。


恵比寿にて打ち合わせ2本終われば、すでに日も暮れていたため、直帰とする。それにしても、日が落ちるのが本当に早くなった。

麻布十番に移動し、タケニナガワにて大竹伸朗「貼貼貼貼」展。その後、近所に住む知人と飲む。中華料理屋で、生ビール4杯とシェリー1杯。もぐもぐぐびぐび。バーに移動し、さらにタンカレーを2杯ぐびぐび。帰宅後、おみやげの餃子をつまみに、ガールフレンドと飲みなおし。ビール2缶ぐびぐび。よく飲む日なり。


2009/10/20

ただの泥なのに

8時半起床。おおっ、だんだん早起きになってきている! 漢方を飲んで、テーブルまわりを片付けて、ガールフレンドが作ってくれた朝食を食べる。レーズンパン、スクランブルエッグ、柿。オーガニックのカモミールティを飲んで家を出る。車内で2日分の日記を書く。ちなみに、日記はいつも空き時間に携帯メールで書いてます。

午前、午後とお仕事。書類を書いたり会議に出たり。

昼食はお弁当を近所の公園で。食後、『日々是写真』の続きを読んでいるうちに眠気が襲ってきた。30分ほどベンチで昼寝。読書がぜんぜん進まない。

夕方頃からアレルギー性鼻炎の症状がひどくなり、くしゃみが止まらず熱っぽくなってきたので早退。今年は絶対に無理をしないのだ。図書館に寄って帰宅。

鼻炎の薬を飲んで、ベッドに転がり『プロゴルファー猿』6-8巻まで読んでいるうちに、気づいたら眠っていた。電話で起こされたのが22時前。ガールフレンドと待ち合わせてスーパーで食材を買って、簡単な料理。納豆としらすのパスタ。スーパーで購入したボルドー(Chateau Au Vignoble 2006)を2杯ほど。食後に柿を食べてインターネットをしているうちに、もう夜中。


そういえば、最近ガールフレンドがガスールで顔を洗っているようなんだけれど、本当に、日に日につるつるになっていている。ただの泥なのに。これはすごいかもしれない。

2009/10/19

雑踏と音楽

9時15分起床。朝食はぶどうパン、ソーセージ、めだまやき。11時までボーッとしてから家を出る。車内で清水穣『日々是写真』(現代思潮新社)。読んで、未完了だった重要事項を思い出す。

午前、午後とお仕事。今日は主にメール作業。

昼食はきつねうどん750円也。ちょっとしょっぱい。ついでに自転車屋に寄り、フレームを見て回る。本当は無塗装(コーティングのみ)、ロゴなしのフレームがいいのだが、そんなものはこのスペクタクル社会には存在しない。ピンと来たのは無塗装っぽいBianchiのピスタかな。

最後にまわしておいた大事なメールを書くのに時間がかかり、久しぶりに1時間ほど残業。だが体力も戻ってきているのか、難なくこなせた。


退社後、六本木ヒルズへ。今日は以前から狙っていた2本立て。まずは森美術館にて「アイ・ウェイウェイ 何に因って?」展。自転車と壺のコーナーがとてもよかった。特に、漢時代の壺を壊す作品。ちなみに、これって代表作は来てるのだろうか。図録を購入する。

続いて、東京国際映画祭「日本映画・ある視点部門」に出品された松江哲明『ライブテープ』を(ちなみに、今日は1人で鑑賞)。吉祥寺・武蔵野八幡宮から井の頭公園まで、最短距離のロードムービー。前野健太の歌に、ジーンと深い感動。なにより、音がすばらしく良い。雑踏と音楽の絶妙なバランス。いったい、どうやって録音したのだろうか。マイクは何本用意されていたのだろう。いずれにせよ、「74分1カット」という視覚的要素を生かすために、実際はものすごい熱量の「音の編集」がなされているはずだ。

上映後の質疑応答の際、「なぜ正月に撮影をしたのか」という質問に対しての松江の答えに感銘を受けた。「これが例えば1月4日の午後15時だったら、みなさんが何をしていたか思い出せないと思うんです。でも2009年の1月1日、正月というある種特別な日の15時頃からの74分間であれば、みなさんも何をしていたか思い出せるのではないか。僕はこの日のこの時間、大切なスタッフたちとこの映画を作ったわけです」。

撮影の舞台となっている武蔵野八幡宮から井の頭公園までは、松江が毎年家族と初詣に出かけるルートだったとか。そして、公開初日であった今日、10月19日は、昨年亡くなった松江の父の命日でもあるそうだ。


満足して帰宅。おにぎり1つ、ビール1缶。ガールフレンドがプレゼント(お守り?)をくれた。ありがとう!  大事に身につけます。『プロゴルファー猿』の続き(3-5巻)を読んで2時半に就寝。


2009/10/18

映画に(反)対して

9時45分起床。お風呂に入る。突然、ブックオフが古本を引き取りに来た。前もって連絡くれよなー。130冊で4500円也。他で高く売れそうな本(デリダとか)も入っていたし、なんだか損した気分。まー、仕方ない。もうブックオフには頼まないから。

査定をしてもらっているうちに食事の用意。ブランチはなす、ミニトマト、たまねぎとの中華風たまご炒め、もやしスープ。まあまあかな。ウォークインクローゼットを中途半端に掃除していたら出かける時間に。

日仏学院にて「映画に(反)対して ギー・ドゥボール特集」。『スペクタクルの社会』(1973)、『映画〈スペクタクルの社会〉に関してこれまでになされた毀誉褒貶相半ばする全評価に対する反駁』(1975)。ま、ある意味予想通りの作品。幕間に行なわれたフランス人研究者の発表を聴くうちに、眠気が出てくる。ぼやぼやする同時通訳のマイクのせいか、日本語の意味が剝がれるんだな。

で、休憩中、庭が濃霧で満たされている。中谷芙二子みたいだなと思ったら、本当に中谷とdoubleNegatives Architecture(市川創太ほか)のコラボレーションによる霧の彫刻であった。この組み合わせ、個人的なタイミングとしては、すごくびっくり。

で、ドゥボールが自身の活動を振り返る『われわれは夜に彷徨い歩こう、そしてすべてが火に焼き尽くされんことを』(1978)。こちらは紛うことなき傑作。だいぶ遅い時間になったので、シンポジウムは見ずに帰る。


夕飯はガールフレンドが作ってくれた。ペンネ・アラビアータ、ほうれん草、水菜、きゅうり、トマト、きのこのサラダ。アラビアータのソースはパンチェッタで作ったとのことで、シンプルな素材なのにめちゃくちゃ旨かった。感動の域。

食後にお掃除の続き。2時間くらいかけてウォークインクローゼットに広場をつくる。ゴミ袋8袋くらいをまとめてポイ。ついでにようやく衣替えを敢行する。おろしたてのマッキントッシュのコートに、念のため防水スプレーをかける。

お風呂に入ったあとに、いただきものの白ワインを2杯(Clarendelle Dillon 2006……って調べてみたら、シャトー・オー・ブリオンの主ではないですか! 贅沢です)。別の方からいただいた柿とともに。


ドイツの秋、別の視点から

JTP あなたにとってドイツ赤軍とは、なによりも女性の行動ですね。
GR そのとおりです。そこでは、女性たちが重要な役割を果たしたとも考えていますし、彼女たちは、男たちよりもずっと強い印象をわたしに与えました。
〔…〕
JTP テロによる犠牲者も描こうと思ったことがありますか。たとえば、ハンス=マルティン・シュライアーを。
GR 一度もありません。
〔…〕
JTP そうすると、ドイツ赤軍の死者たちは、彼らのイデオロギーの犠牲者ということになるでしょうか?
GR もちろんそうです。でもある特定の、左や右のイデオロギーの犠牲者というのではなく、イデオロギー的な態度全般の犠牲者です。むしろ、つねになくならない、人間的ジレンマと関連しています。非常に一般的にいえば、革命と挫折です。
JTP 特記すべきことに、アヴァンギャルドという概念は芸術だけでなく政治にも関わっています。芸術と革命的な反抗の間には、なにか関係があるのでしょうか? ドイツ赤軍のなにが、あなたのような成功したブルジョア芸術家の興味をひくのでしょうか? 彼らの行為ではないでしょう?
GR いえ、行為ですとも。なぜなら、そこではだれかが根本からなにかを変革しようとしており、そのなにかを人はよく理解できるのみならず、メダルの裏側ともみなせるからです。芸術もまた革新的といわれたことがありましたが……芸術は事実として革新的なのではなく、まさに芸の術として、まったくべつのやり方でそうなのです。
JTP 絵画とは現実批判であり、なにかまったく新しいものを生みだそうとする試みでしょうか?
GR なんにせよ芸術は……反世界です。なにかべつのことの計画であり、モデル、あるいは報道です。

「ヤン・トルン・プリッカーとの対談 連作《1977年10月18日》をめぐって 1989年」(ゲルハルト・リヒター『写真論/絵画論』清水穣訳、淡交社、所収)

このインタヴューからも、すでに20年が経過している。

2009/10/17

幸福な時代の書物

9時起床。かなり寝続けた! お蕎麦をゆでて朝食とする。シャワーを浴びて洗濯をして、そのあいだに藤子不二雄A『プロゴルファー猿』(1-2巻、中公文庫)を読む。
で、大荷物を持って、ガールフレンドと横浜へ向かう。電車内でお惣菜パン。1時間半かけて急いで準備して、プレゼン。今日はうまくいったなー。楽しかった。帰りの車内で加藤和彦の自死を知る。鬱だったらしい。なんだか、かなりショック。音楽はもちろんだが、俺は、ずいぶん昔にブックオフで購入した安井かずみとの共著『ニューヨーク・レストラン狂時代』『ヨーロッパ・レストラン新時代』を読み直そうと思う。幸福な時代の書物。
まっすぐ帰って一休み。おつかれさまでした。ということで、根津のワインバーにて乾杯。牛ほほ肉のコンフィほか、たらふく食べて飲む。気づけば2人でワイン1本半。あー、満足。おにぎり1個食べながら帰宅。カルピスウォーターを1リットル飲んで就寝。

2009/10/16

油断は禁物

9時起床。水草をいじりながら太陽の光を浴びる(これ、早起きの秘訣です)。漢方を湯に解いて飲み、9時半に朝食。うどんとお味噌汁。今日も調子よさげ。図書館に寄ってから出社。

昼食はひさびさに近所の公園でお弁当。田中長徳『さらばライカ──アナログ派のためのデジカメ活用術』(廣済堂出版)を読みながら。

夕方に退社し、病院へ。先々週の血液検査の結果が出て、ちょっとコレステロール値が高いといわれる。晴れて中年の仲間入りというわけです。からだの状態は良くなっているからSSRIは不要とのことで、一安心。ただし、油断するとくさくさした気分が忍びこんでくるので、気は引き締めなきゃいけない。

帰宅したら、ガールフレンドが先に帰っていた。借りてきた『花より男子』に読み耽っている。おなかが減ったというので、じゃがいもとベーコンの炒め物で餌付け。俺はさらにうどんをゆでて夕食とする。ブロッサム・ディアリー『Blossom Dearie』を聴きながら、赤ワインを1杯。

その後、ガールフレンドは外出、俺は家で科学実験したり『さらばライカ』の続きを読んだりしているうちに、そのまま寝てしまった。ありゃー。

2009/10/15

エドガー・ヴァレーズ、アンサンブル・モデルン、ビル・ヴィオラ

完全に忘れていたが、同志社大学でアンサンブル・ノマドによるリュック・フェラーリ、武満徹、エドガー・ヴァレーズの演奏があり、その中でビル・ヴィオラ『Déserts』の上映もあったようだ。この映像については、以下を参照のこと。しかもフランク・ザッパのプロデュースなんだな、これが。真面目に仕事をしていると、こういう奇跡が降ってくる。
ドイツの演奏家集団アンサンブル・モデルンは1993年、エドガー・ヴァレーズ(1885-1965)作品の連続演奏会の準備中に、有名な《砂漠 Déserts》について、ヴァレーズが残した、実現されなかったイメージ要素についての覚書を発見した。
「砂漠はわたしにとって、極めて喚起的な言葉である。それは空間を、そして寂寥と孤立を暗示する。わたしにとってそれは、砂や海や山や雪の中の、外界の不毛の地、さびれた都会の通り、むき出しで遠く離れたものを意味する自然の剝ぎ取られた様相というだけでなくどんな内視鏡でも届かない、精神の遠い内なる空間、神秘と本来的な孤独の世界をも意味するのだ」──エドガー・ヴァレーズ
(『ビル・ヴィオラ ヴィデオ・ワークス』NTT出版)

サラリーマンの欲望

9時起床。いい天気。太陽光線を浴びる。漢方を飲んだあと、朝食はガールフレンドが用意してくれた玄米、お味噌汁、ベーコンエッグ。トイレは朝から2回、ただし2回目は下す。

1015分に家を出る。アタマとカラダがたちあがるまでに1時間15分かかったという計算だ。ということは、遅刻しないためには、えーと……。ま、とにかく今日は調子良さそうだ。11時頃から仕事。


昼食は神楽坂飯店で肉煮込み炒飯。

ついでに、日仏学院で今週末のギー・ドゥボール特集上映の前売券とパンフレット(彼のデビュー作『Mémoires』に敬意を表した紙ヤスリつきカバー!)を購入しておく。

さらに、向かいの法政大学へ。「和辻哲郎の書き込みを見よ!──和辻倫理学の今日的意義」展を観る。これはいい企画。誤訳をディスりまくる和辻先生を直接拝めるなんて。で、なんと、充実した図録がタダでもらえた! これは本当にお得である。

しまいに、駅前の喫茶店で一休み。就職案内板に群がる学生たちを見て思ったのは「会社を辞めるとか、そう簡単に思うもんじゃないな(思いがちだった)」ということ。就職って、ホントに大変だもんなあ……と思いつつ、カフェオレを一口すすって、さっき買ったドゥボール特集上映のパンフを開いたら、田崎英明が「働くな!」という論文を書いていた。


ほうぼうにメールを送ったり電話したあと、机をひさびさに片付けて、定時で退社。

スーパーに寄るとブリがあり、「照り焼きにしよう、しかもイタリア風の」と即座に思いつく。付け合わせはミニトマト、スライスオニオン、水菜。レシピはあらためてアップするつもり。

付け合わせを軽くタレに絡めるつもりが思いっきり炒めてしまい、少々イメージと違うものができたが、味はまあまあか。わかめ+お揚げ+じゃがいものお味噌汁、きゅうり+シソ+こんぶの浅漬けとともに。ガールフレンドと2人、ビール1缶、赤ワイン2杯。ビル・エヴァンス『Waltz for Debby』を聴きながら。このスコット・ラファロは本当にすごいよね。

食後は、暗闇でパソコンをしたり藤子不二雄A『笑ゥせぇるすまん』(45巻、中公文庫)を読んだり。それにしても『笑ゥせぇるすまん』に描かれたサラリーマンが抱える欲望のバリエーションは、あまりに少ないのではなかろうか。いや、こんなもんかも? さて、次は『プロゴルファー猿』だ!


写真上=サギ

写真下=誤訳を指摘しまくる和辻先生


2009/10/14

You Are What You Eat

10時15分起床。朝食は昨晩同様、たまご粥。同じように作ったのに、昨日のほうが味がよい。ウェイパーの使い方にいまいち慣れてないんだよな。からだの調子が「立ち上がる」までしばらく部屋で佇む。駅の蕎麦屋で温かいお蕎麦を食べてから会社へ。多木浩二『肖像写真』(岩波新書)を読みながら。

今日は早めに退社して、以前住んでいた区の役所まで戸籍謄本をとりにいく。電車内の「DMM FX」なる吊広告を見て衝撃を受ける。究極のエログロ。

その後、都内では一、二を争う良心的古本屋にて10冊ほど購入し、新宿の東急ハンズへ移動。だが、目当てのブツは見つからず。

帰宅後、『肖像写真』の続きを読むうちに寝てしまう。19時から20時半まで。帰宅したガールフレンドに起こされる。

夕食はガールフレンドと一緒に。玄米、わかめとお揚げのお味噌汁、タコ+クレソン+ラディッシュのマリネ、鮭のムニエル。いただいた赤ワイン「Taillevent Margaux 2006」を1杯だけ。

ガールフレンドとおしゃべり。大仕事が終わってだいぶ疲れている様子。きみはヘロヘロになっているのだ、産卵が終わった鮭のように(笑)。


古本で買った管啓次郎『ホノルル、ブラジル』(インスクリプト、800円也)の書き出しで、最近俺が日記で書いたことと似たようなことが書かれていた。やっぱり舌は前衛でなくちゃ。

「獲得された嗜好(アクワイアード・テイスト)」ということばがある。はじめは奇異でなじめない味だったものに、少しずつ親しんで、やがてそれが大好きになる。そんな経過が感じられる、おもしろい表現だ。(…)地上では、あらゆるものが食べられている。動物、植物、菌類、鉱物。毒でさえなければ(いや微弱なものなら毒であっても)、われら悪食のサルはすべてを口にし、よろこび、飽くことを知らない。その食物の圧倒的な多様性を織りなしたのが、このアクワイアード・テイストの連鎖だったことは、想像するだけで楽しい。p.5


人はよく「味覚は保守的だ」といいたがるが、絶対にそんなことはないと、ぼくは思う。舌は冒険を、新しい味を求めてやまない。(…)500年どころかわずか5年、5年どころかときには1日で、人の食生活はがらりと方向転換することがある。p.10

多木浩二『肖像写真──時代のまなざし』岩波新書

多木浩二『肖像写真──時代のまなざし』岩波新書
読んでいて、どうしても違和感がつきまとう人だが。
ナダールは写真の能力が対象の細部を精密に捉え、その雰囲気を確実に伝えることを理解していた。ただ個人の顔を際立たせるための光の使い方は、とくにレンブラントに学んで工夫していた。斜め上方から落ちてきてその顔に適切な陰影と彫りを与える光である。そのようなイメージからブルジョワジーが現れてくるのである。p.23

もちろん人物によってはナダールよりも他の写真家のほうがすぐれた写真を残している場合もある。たとえばクールベの場合は、ナダールよりも、カリカチュリストとしても写真家としてもナダールの競争相手であったエティエンヌ・カルジャの写真のほうがいい。カルジャはクールベの友人であったし、撮影の機会も多かったからであろうが、ナダールにはいささかクールベが苦手であったのかもしれない。p.38

土地に結びついて堅実な日々を送っている農民のなかから、大都市へ上昇して世界を動かし、政治や経済の活動を担い、またそれらを表現するものが登場する。しかしザンダーの見るところ、こうした都市文化は不安定である。彼の時代の芸術家たちが描き出すように、都市文化からの落ちこぼれもいた。ザンダーは過激な社会思想はもたなかったが、都市生活から脱落し、零落するものが現れるという過程を見逃してはいなかった。p.82
われわれは、真実を見ることに堪えることができねばならない。だが、なによりもまず、われわれは真実をわれわれとともに生きる人びとに、そして後世に伝えるべきである。たとえわれわれにとって好ましいものであろうと、好ましくないものであろうとわたしが健全な人間として、不遜にも、事物をあるべき姿やありうる姿においてだけでなく、あるがままの姿において見るとしても許していただきたい。
1929年に出版した『時代の顔』はそのような構図をもっていた。p.104

最初に無装飾の背景が現れるのはナダールと19世紀イギリスの女性写真家マーガレット・キャメロンの場合である。p.115

アヴェドンは彼〔ボルヘス〕が盲目であることに不安を感じでいた。さらにブエノス・アイレスに向かう機上で、ボルヘスが一生ともに暮らしてきた母親がその夕方死去したことを知った。撮影はキャンセルだな、とアヴェドンは思った。ところがアヴェドンは招じ入れられた。暗いなかにボルヘスは坐っていた。それからアヴェドンにキプリングの詩をとってこさせ、そのなかのひとつを朗読させた。母親の遺体はとなりの部屋にあった。それからしばらく会話。やがて明るくしてもらい、感動に胸一杯になりながら撮影した。p.146
肖像写真とは撮られることを知っている人物の写真だ。……彼は起こりつつあることに巻き込まれ、結果に大きな影響をもっている。〔写真家〕リゼット・モデルは私に、私の父の写真にパフォーマンスを感じたと言ったが、そのとおりである。……最初、父は私が写真を撮ることにたんに同意しただけであった。やがて彼はそれに頼りはじめた。というのは、それがわれわれがなんであるかを認識することをお互いに強制する方法であったからである。私は彼の最後の数年間、何度も彼の写真を撮ったが、彼の死後まで、私はその写真を見たことがなかった。その時期のコンテクストから外れてしまうと、写真は今やそれを撮った経験から自立している。──リチャード・アヴェドンp.157
【写真・上】ナダール撮影によるギュスターヴ・クールベ
【写真・下】カルジャ撮影によるギュスターヴ・クールベ



2009/10/13

紹興酒はやめておけ

10時半起床。からだがボロボロ……。頭痛と吐き気と下痢でどうにもならない。紹興酒がよくなかったんだろうな。

寝たり起きたり、日がなベッドで過ごす。ホリエモン×ひろゆき『なんかヘンだよね…──語りつくした本音の12時間』(集英社)、横山光昭『年収200万円からの貯金生活宣言』(ディスカバー)読了。19時頃、ついに本格的に嘔吐。でも23回吐いたらすっきりし、中華風たまご粥を作って食べたらこれがサイコーにおいしかった。本日唯一の食事なり。ポイントは味覇+ケチャップ、かな。


上の『貯金生活宣言』を読んで、クレジットカードに替わるカードを見つけた。その名も「VISAデビットカード」! 昨年に起こったゴタゴタのなかで支払いが遅れがちになり、クレジット会社からカードを破棄するよう通告をいただき、以後、まったく審査が通らなくなってしまっていたのだが、なんとこのカードは無審査! クレジットカードとは違い、指定口座の残高内で即時決済するという代物。別にお金を借りたいわけではなくて、Amazonで本が買えなくて不便な思いをしていただけだから、これが解決するのはうれしい。さっそくイーバンクから取り寄せる。

ホリエモン×ひろゆき『「なんかヘンだよね…」──語りつくした本音の12時間』(集英社)

ホリエモン×ひろゆき『「なんかヘンだよね…」──語りつくした本音の12時間』(集英社)

2000年代の時代精神を体現する人物といえば、やはりこの2人になるだろう。共通項は、徹底的な合理性を武器にしているところ。本当に合理的かどうかとはまったく別のところで、「ね、だから合理的でしょ!?」と強く言外に訴える語りが次から次へと繰り出される。ひろゆきは想像通りだったけれど、ホリエモンの印象がだいぶ変わった。たいへん面白く読みました。
堀江 俺、ひろゆきタイプの人間をけっこう知っているんだけど、例えば六本木ヒルズの最上階に住んでいて、それこそ湯浅〔誠〕さんの言う「タメがある」ってのに最も当てはまるような人がいるわけ。30歳ぐらいで、超有名なサッカー選手に可愛がられてて、一緒に海外にまで行ってるの。話も面白いし、それなりに気も使えるし、顔がいいから女の子にもモテる。だから、連れ回すのには最適なタイプなんだよ。
西村 へぇ。職業的には何をしてる人なんですか?
堀江 無職(笑)。
西村 へ? 収入はどこから入ってくるんですか。
堀江 ないよ。パチンコとか? 周りから「スーパーニート」って言われてる。p.20

堀江 ジュースの値段だって、デフレなのに〔便乗値上げで〕120円になるのって、おかしいと思わない? なのに消費税が上がったら文句を言うっていうのは、おかしい。
西村 みんな計算して考えているわけではなく、1日のうちに税金払った感じが何回するかっていう感情論なんですよ。本来、年収500万円の人が消費に500万全部使っているとして、消費税5%だったら25万円しか払わなくていい。それが20%になったとしたら100万円。年収3000万円の人なら、5%で150万円だったのが、20%で600万円になるから、国の税収がどーんと増えるわけで、実はそっちのほうがお金のない人は得なはずなんですよ。自分が払わない分、お金のある人が税金払ってくれて公共サービスが受けられるわけじゃないですか。それがいい話のはずなのに自分の財布しか見てないから、「自分が払う額が増えるのは嫌だ、嫌だ」と言ってしまい、お金持ちが得をする構造になっているのに気づいていない。p.92

西村 会社って株価が下がりますけど、基本的にみんな会社を大きくしようとして働いていて、そうなると会社の価値というのは、どんどん増えるわけですから株価は基本的に上がっていくじゃないですか。でも、FXって為替。今買った1ドル100円が、10年後に1ドル300円になっているかというと、なっているわけがない。で、下がったときには追い銭払わなきゃいけないから、持ち続けても得をするものではない。だから、貯金とか、ファンドとかの中にFXを入れるのは、僕間違っていると思うんですよ。あれは為替を使ったブックメイキングみたいなものですよ。
堀江 みんな一攫千金を狙っているだけ。不安があるからFXをやるわけじゃないの。
西村 一攫千金を狙いたい理由は、今の自分を変えたいからだと思うんですよ。もし、今の自分に満足していたら、そこまでお金なんていらないと思うんですよ。
堀江 なんか夢があるんじゃないの? クルーザーとか別荘を買いたいとか。p.244

2009/10/12

オーガニックな音楽装置

12時起床。昨晩のお酒がちょっと残っている。お風呂に入る。休日なのに仕事に出かけるガールフレンドと一緒に家を出て、一緒に蕎麦屋で新蕎麦の盛りを。おいしい。で、ガールフレンドを大通りまで見送って、俺は図書館へ。いろいろ本が届いていた。帰宅後、お茶碗を洗って、ゴロゴロしてから、秋葉原にある廃校へ。


大友良英+伊東篤宏+梅田哲也+Sachiko M+堀尾寛太+毛利悠子+山川冬樹による「休符だらけの音楽装置」展へ。今日はオープニング・ライヴ。廃校になった中学校の屋上にある、広々とした校庭が会場になっている。イヴェントは夕方16時から始まり、19時くらいまでゆるゆると続いた。

いわゆる「普通のライヴ」とは違い、出演者はみな、思い思いに音を出していた……と言いたいところだが、広々とした校庭に点在する出演者は──音を出すことをメインに据えることすらなく(?)──自転車やスケボーに乗ったり、その場で工作や修理をしたりと、みな、思い思いに動き回っている。それは、いわゆる「普通のパフォーマンス」とも違っていた。それぞれの行為はお互いに関係がありそうななさそうな、好き勝手やっている感じだし、出す音は街の音(ヘリコプターや自動車など)にかき消されることすらある。観客も、展示作品を見たり、それぞれのパフォーマンスを見たりと、広い校庭をぶらぶら歩き回ることになる。

奏でられた音を起点とするのでもなく、演者に焦点が当たるのでもない。そうかといって、そこから受ける印象は散漫で退屈なわけではない。むしろ、不思議なことに、それは展示作品をも含めて、何かが生成しているような感触を覚えるものだった。

それほど数多く見ているわけではないが、最近の大友良英のライヴは全体的にこういった傾向というか、一言でいえばオーガニックな感じが漂うことが多いと思う。このライヴも、ちょっと前に六本木スーパーデラックスで観たONJO(活動を休止するらしいが)の延長線上にあると言える。が、ただし今回は、ONJOのように完璧に調整され、完成された、高級なオーガニックさでもない(笑)。どちらかと言えばアマチュア臭い。調和がない。場当たり的、DIY、未完成……。だが、その荒っぽくもゆるくもあるパフォーマンスが展示作品と混ぜ合わさることで、何かが醸し出されるのだ。なんというか……そうだ、オープン前の、設営最中の展覧会を観るような、「これから何が生まれるのだろう!?」とわくわくする気分にさせられたのである。

これが音楽ではなく、美術の名のもとに行なわれたことは稀有なのではないだろうか。学芸員の中で、このイヴェントの意義をきちんと受け止める人が出てくれば、美術業界も少しは風通しがよくなるのではなかろうか……なんて。


それにしても、この時期の夜は風通しが寒いんだなあ……。ライヴが終わる頃にはからだは冷え冷え。なので、まっすぐ帰ればいいものを、今日も飲んでしまう。しかも、かなりの飲食量。ただし、お金がないので、がんばって電車で帰宅。日記を書いて2時ごろ就寝。

2009/10/11

完全に飲み過ぎ。

10時起床。よく寝た!  前日疲れ果てて入れなかったので、今朝、お風呂に入る。

で、これまでお仕事で手が回らなかったガールフレンドが、ひさびさに料理をしてくれる。わーい。昨日作ったトマトソースを使って、なすとベーコンのパスタ。おいしかったです。

食後、二人で御徒町まで散歩。おなかが減ったので、俺はコンビニでお惣菜パンを購入。彼女は仕事。

で、友人が企画したイヴェントへ移動。全体的にゆるーい感じで面白かった。終了後、さんまを焼いて食べたり。ビール7本くらい飲んだのかな。で、中華料理屋に移動して、さらにたらふく食べる。生ビール2杯。完全に飲み過ぎ。昨日に続き、タクシーで帰宅。

2009/10/10

トマトソース

ガールフレンドにつられて9時起床。
彼女を見送って、俺は掃除など。ちょっとした模様替えでパソコンを窓際に移動。うーむ、素晴らしい定位置なんじゃなかろうか。作業をしながら、あきれたぼういず『ぼういず伝説』、V.A.『よみがえる自作朗読の世界』、トニー谷『ジス・イズ・ミスター・トニー谷』などといった日本のアーカイヴ音源をiTunesに入れる作業。で、その中の『お笑い百貨事典 昭和元年~11年 大不況から戦争、暗い世相が笑いを求める』中の花菱アチャコ・横山エンタツの音源を聴いて、なんというか、その「あまりに庶民的な差別発言」にちょっと気が滅入る。まあ、「貴重な資料なので、時代背景を鑑みて大目に見て……」といったところなんだろうけれどね。こういうところで小市民的なんだよな、俺。他に書架の整理。不要な本を玄関にまとめる。
冷蔵庫に残っていたトマト2個、昨日買ってきたトマトの水煮缶があったので、にんにくとたまねぎを細かく刻んで、1時間以上弱火にかけてじっくりとトマトの水分を飛ばす。トマトソースのできあがり。2/3は冷凍し、残りをバジルペースト、なすとで合える。うーむ、うまい。ジノリの皿が欲しい。
夕方、御徒町に出かける。ガールフレンドと待ち合わせ。他にも友人らと中華料理屋でしこたま飲む。深夜、タクシーで帰宅。

そういえば、今日はシャンビリがあまりなかった。1週間で抜けたかも?

ゼロ(ゼロ)問題

930日、タイトルとともにURLを変更した途端、アクセスがまったくなくなってしまった……

まあ、別にそれでもいいんだけれど、ちょうどのその日に熱っぽく書いたものがまったく読まれてないのが寂しいので、その文章だけ、ちょっと付け足して再アップしておくことにします。他は日々の日記なので、どうでもいいです。

内容は、佐々木敦『ニッポンの思想』に関する3投目の文章です。『ニッポンの思想』という本は、俺にとって、なぜか絡みたくなる本です。なんでだろ。意外と問題提起的だったということです。

ちなみに、1投目はこちら2投目はこちらにあります。以下に再録する文章は1投目の追記として、930日に書きました。

それでは、どうぞ!



09.09.30追記】


えー、もう一つ、重要だと思われるポイントを。

上の日記〔1投目のこと〕で、俺は意識的に「ゼロ年代」と「2000年代」という書き方を併用したのだが、それは「ゼロ年代」という呼称への距離感があるからだ。この呼称が出てきたのは、せいぜい2000年代半ばではなかったか(調べてないのであくまで印象論でしかないが)。それまでの表記はまさに「2000年代」、あるいはサブカルチャー界隈(?)では「00年代」と書いて「ゼロゼロ年代」と読むことのほうが多かったように思う。

実際、「ゼロゼロ年代」と「ゼロ年代」とのあいだにある断絶は大きい。この断絶は「サブカル」と「オタク」の断絶と言い換えても通じる性質のものだ。

例えば、後者(オタク)の自意識から出現した宇野常寛が、前者(サブカル……の自意識を持っているかどうかは不明だが)の代表的存在である中原昌也や柳下毅一郎に対して敵意を剝き出しにしていることに、それは象徴される(ああ、どうでもいい例えだ……)。

あるいは、『ユリイカ』2005年増刊号にて「オタクvsサブカル」というそのまんまな特集があったが、その編者の一人であるばるぼらが、「サブカル(=ゼロゼロ年代)」的なネタを「オタク(=ゼロ年代)」的メンタリティでもって更新する、若手批評家としては圧倒的に特異な仕事を始めていることも、この流れのうちにあると言える(例えば『NYLON100%──80年代渋谷ポップ・カルチャーの源流』アスペクト、を見よ)。

と、ここまで書いてハッとしたのだが、そういえば『スタジオボイス』の最終号が「どこよりも早いゼロ年代特集」というふれこみだったはず……と思って確認してみたところ、さすが! 意識的なのか無意識的なのか、メインテーマは「どこよりも早いゼロ年代ソウカツ!」とオタクの時流に合わせ(軍門に下り?)つつ、サブテーマは「追憶の00s」とサブカルの矜持を保つ表記を遺しているではないか!

やはり、ここ10年のあいだで起こったサブカルとオタクとの仁義なき戦い、あるいは「サブカルからオタクへ」というサブカルチャーの重心移動が、この「ゼロゼロ年代からゼロ年代へ」という表記に深く刻まれていると言わねばなるまい。


……と、ここまでは前書き。

さて、そこで俺が言いたいことは、

(1) こういうことのほうが「テン年代」なんてことより重要な問題なんじゃないの?

(2) 佐々木敦という人は、そういう意味では自他ともに認めるゼロゼロ年代の代表的人物じゃなかったっけ? この表記の変化に対する態度に、佐々木のスタンスの変化自体も見てとれるのではないか──

という、まあ、それ自体はくだらないお話なのだった。

ただ、「ゼロ(ゼロ)問題」は、上に書いた『ニッポンの思想』の歴史観への違和にも関わる問題だと思われるので、この項に追記しておくことにします。「オタク」と「サブカル」のあいだには、「絶対安全」ではない、深くて暗い河がある……

で、あくまでコンスタティヴに書かれた『ニッポンの思想』では、自身の態度は棚に置かれていたわけだが、自身の立場は新著で解明されることになるのだろうか……

<了>