2011/12/03

退屈に慣れなければ

14時起床。12時間か……ようやく充分な睡眠を取った気がする。今週は毎日眠くて仕方がなかった。洗濯、掃除など、気になっていたことを一気に済ませる。高知から野菜が届いた。夕方は浅草橋まで自転車で出かける。イヴェントを観て、帰りに中華料理屋でメシを食った。で、そのイヴェントに出ていた友人と帰宅。ガールフレンドとSkypeでお話ししたりして、3時就寝。正月はバルセロナだけでなくロンドンにも行くことも決定した(実質2泊2日であるが)。夜、ガールフレンドとおしゃべりしたあと──恥ずかしい話ではあるが──もう少し1人の退屈に慣れなければならない、と思った。

2011/11/06

成功した料理

5時頃、友人から電話が入っていたことに気づき、コールバック。いろいろと悩みを聞く。6時半頃に起床。朝食は玄米、納豆、わかめスープ、バナナ。寝違えたのか、背中の左側と右肩、首の右側に激痛が走るので、ちょっと二度寝。仙台出張のため、9時半に家を出る。上野駅のecuteにある書店で『料理通信』を見つけるが、11月の最新号「新、フランス惣菜」だった。そうか、前号が見つからなかったのは返品のためだったか。『リアルワインガイド』の旨安ワイン特集と一緒に購入し、新幹線に乗る。いつのまにか上野駅構内の店が充実していたことに驚いた。
仕事を終えたあと、仙台市博物館に寄ってからそそくさと東京へ戻る(平安時代の仏像、最高だった)。何度か仙台に通っているが、なんというか、いまだにこの街の面白みがよくわからない。個人的なヒットは賣茶翁の羊羹くらいだろうか。新幹線の中でさぼてんのかつサンドを食す。
ワイン雑誌購入で盛り上がっていたので、最寄駅の酒屋でchateau Penin grande selection 2007を購入し帰宅。1980円なり。キャロット・ラペ(ニンジンの千切サラダ)、ウーシャンジースー(鶏肉、ニラ、もやしの炒め物)を作って食す。ああ、最高に旨い。けっこうひさびさに料理に成功した感じがした。ああ、それと──実際にお弁当をつくるかどうかは別にして──実験として、お弁当用におかずを残してみた。
食後、『リアルワインガイド』で薦められていた「旨安ワイン」なるものを1万円分購入してからガールフレンドとSkype。ひさしぶりに動くガールフレンドを見た。
ところで、背中と首の痛みが全然取れないので、明日は時間を作って鍼灸に行こうかなと思っています。

2011/11/05

知ったところでたいして役に立つとも思えぬ話も少なからずある

10時ごろ、宅急便に起こされる。起きたついでに、ガールフレンドからお願いされていた捜し物をして、もう一度眠る。
14時ごろ、あらためて起床。中華粥、お味噌汁でブランチ。シャワーを浴びてから清澄白河へ散歩に出かける。東京都現代美術館のブルームバーグ・パヴィリオン(狩野哲郎「自然の設計」)、無人島プロダクション(八木良太「高次からの眺め」)を覗く。前者は×、後者は◎。ヴィジョン、コンセプト、完成度、のいずれにおいても。古本屋でアテナイオス『食卓の賢人たち』(岩波文庫)、獅子文六『私の食べ歩き』(中公文庫)を購入。最寄り駅でスーパーに寄ってから帰宅。夕食は、買ってきたコロッケ、中華粥の残り、お味噌汁、きんぴらゴボウ。昨日借りてきた膨大な量のCDの中から、Lizzy Mercier Desclouxを5枚、Don Armando's 2nd Ave Rhumba Band、Cristinaの2枚をリッピング。つまりぜんぶZE Recordsのもの。15分ほど仮眠をとったのち、キッチン、リヴィングをきれいに掃除した。

購入した『食卓の賢人たち』、カバーの紹介文に編集者の個人的な意見が入っているのが面白い。
舞台は2世紀頃のローマ。次々と出される料理を楽しみながら、その材料や料理法や食器や食べ方等々について、宴に招かれた客たちが競って薀蓄を披露する。知ったところでたいして役に立つとも思えぬ話も少なからずあるが、しかし無類に面白い。この奇書の著者については、その名アテナイオス以外、ほとんど何も分っていない。

2011/11/04

予定が狂った日

8時半起床。速攻で着替えて9時に家を出る。午前は超重要な会議の日──と思っていたのだが、会議はイレギュラーにも午後に変更になっていたことを出社直後に知った。予定を変更し、四谷でブランチ後、新プロジェクト「日吉」のクライアント宅にお邪魔し、構成を練ることにする。帰社後、その「日吉」に関する重要な会議。困難を予想していたのだが、あっさりすぎるほどあっさり通ってしまった。おそらく驚きが顔に出てしまっていただろう。こんなこともあるのだ。
その後は発送やらメールやらをこなし、18時に青山スパイラルへ。O氏に長らく借りていた資料を返却し、青山ブックセンター(ここにも『料理通信』11月号は置いてなかった)で湯浅学『音楽が降りてくる』(河出書房新社)、『音盤時代』、買いそびれていた『BRUTUS』の「イームズ」特集、『考える人』の「考える料理」特集を購入。高田馬場に移動し、プロジェクト「ノア」を無事に終えたばかりのスタッフと軽く飲むつもりが終電を逃して午前5時まで。しかも電車で寝てしまい、帰宅は6時すぎとなった。一日を通して、予定がいろいろと狂った。途中、海外にいるガールフレンドから電話。捜し物を見つけて送ってほしいとのこと。

2011/11/03

お弁当づくりへの布石

祝日。15時ごろ起床。禁煙からちょうど一週間、これまでで一番危ない場面であった昨日の飲み会を無事に終えたので、一日おとなしくやり過ごす。ブランチは「出前一丁」醤油味。掃除・洗濯をしたほかはベッドで寝たきり。『料理通信』の最新号がバル特集であることを知り、夕刻にわざわざ秋葉原まで出向いたが三省堂、有隣堂、ともに置いていなかった。仕方がないのでそのまま散歩し、夜な夜な若人が時分の花を咲かすというMograの場所を確認したりしながら帰宅。夕食は、玄米、じゃがいもとたまねぎのお味噌汁、きんぴら牛蒡、オクラ納豆、鶏肉と長ネギの中華風炒め。さらに、玄米を12時間浸水でタイマー・セット、残りの鶏肉を紹興酒で熟成させる作業。近々お弁当づくりにチャレンジしたいので、その仕込みのつもりである。だんだん気分が乗ってきて、近所の図書館を検索し、お弁当レシピ本を大量に取り寄せた。

2011/11/02

ショーケン

9時頃起床。昨日に続き、国会図書館に寄って資料のコピー。外苑前で昼食の味噌ラーメンを食べてから出社。16時、齢50とは思えぬ美貌の女性と、外苑前でプロジェクト「渋谷」の打ち合わせ。その後、プロジェクト「岳」の打ち上げ兼トーク・イヴェントに直行。プロジェクト・リーダーの発案による恣意的な人選に不満が残ったが、結果としては文字通りAll Rightな催しであった。というか、結果オーライであったことはその後のTwitterなどの感想からわかったのであって、現場にいた身としてはハラハラし通しであった。おそらく俺は、こういう時にガッチリ仕上げたいという「病」にあるのだろう。もう少し、他人が情動的、あるいは無意識的に動くことに対して寛容にならねばなるまい(とあとで思うことが多い)。もう充分に大人なのに、俺はこういうことが赦せない神経質さがある。結局、打ち上げで朝方まで萩原健一のビデオを見ながら爆笑したりして、5時半にタクシーで帰宅。

2011/11/01

見送りの日

朝方、ガールフレンドが海外に旅立っていった。ほとんど目が冷めないまま玄関まで見送る。駅までも送ってやれず申しわけない! 
昼食はフレッシュネスバーガーだったか。
夕方頃から国会図書館へ。その前に、これからニューヨークへ行くという、お世話になった人へ電話でごあいさつ。今日は見送りの日だな。クリーニング店でプレスしたパンツなどを受け取って帰宅。ひさびさの一人暮らしということで、近所のスーパーで買い出し。普段だったら買わないような即席ラーメン(サッポロ一番塩ラーメン最高!)やカップスープの素、チョコレートなども買い込む。夕食はめんどうなのでうどんで済ませる。「アメトーーク!」を見ながら。禁煙4日目でキツいので、一人寝のいい機だと考え、日が変わらぬうちに就寝。

2011/08/18

武士(もののふ)をナメ腐ったカレー

9時起床。夏バテがひどい。30分以上、何もできないままボーッと過ごす。補中益気湯を飲んで出社。
仕事の最中も頭がクラクラする状態。夕方の打ち合わせに向けて作成しなければならない資料を後回しにし、簡単そうな仕事から片付けてゆくことにする。プロジェクト「富良野」(自分でもわからなくなるので、これからはプロジェクトごとに名前をつけることにします)の試算、プロジェクト「奥能登」の資料作り、プロジェクト「海底二万里」に関するなど。14時に原宿で待ち合わせなので、1時間前に現地入りして昼食。むちゃくちゃ暑いのでカレーの気分。それにしても、ぬるいし辛くないし少ないしで、この近辺のカレー屋は武士(もののふ)をナメ腐ったものを平気で出す傾向があるな……。1100円なり。
14時に原宿でプロジェクト「岳」の資料受け渡しをして、汗だらだらで帰社。そのまま「岳」の資料を別の部署に引き渡したあと、俺が降りたプロジェクトの関係者から、いろいろと愚痴を聞く。結局、夕方の資料は作れないままプロジェクト「ノア」の打ち合わせへ。高田馬場でビールを2杯飲みながら。いい仕事をしてくださって感動。
帰宅して2時間ほど寝て、うどんを食べてから「ノア」の資料作り。先方が完璧な資料を作ってくれたので仕事がはかどり、缶ビールを2杯飲みつつ0時前には終えることができた。ガールフレンドが帰宅したので、足裏にお灸をすえてあげる。

2011/08/13

知らないやつ

11時起床。あまりすっきりしない目覚め。疲労が溜まっている。補中益気湯とコーヒーを飲んだあと、高知の農場から届いた空芯菜とアンチョビでパスタ。
午後は、熊本から届いた玄米を真空保存する作業。重労働を想像していたが、意外と簡単に終わる。あとはエージレス(脱酸素剤)を購入すれば万事OKだ。図書館で本を借りたあと、ベランダのサボテンたちにシャワー。
夕方、新大塚のクライアント宅にうかがい、打ち合わせ。埼玉で農園を営む(半農生活)クライアントから、今日とれたばかりの無農薬有機のピーマンを大量にいただく。
帰宅。ガールフレンドは打ち合わせでいないので、一人で夕食。いただいたピーマン、高知から送られた玉ねぎ、豚肉でオイスターソース炒め。ビールを1杯。
食後は、ブリアル『Untrue』、ビル・エヴァンス『ポートレイト・イン・ジャズ』、マイルス・デイヴィス『オールスターズ完全版』『マイルストーンズ』をビット・パーフェクトでリップしたあと、カエターノ・ヴェローゾ『Estrangeiro』を聴きながら、エンリーケ・ビラ=マタス『ポータブル文学小史』(平凡社)をパラパラめくる。ああ、この本は凄そうだ。
聴いているアルバムと本で触れられるデュシャンの文章とに美しいシンクロがあったので、引用しておく(『黒いユーモア選集』より)。
知らないやつ(エトランジェ)を、絞め殺す(エトラングレ)
教会(エグリーズ)、追放(エグジール)
ローズ・セラヴィとぼくは、すてきな(エクスキ)言葉で、エスキモーの皮下溢血(エキモーズ)をエスケープする
こちらはポールタティフでいちばんの年寄りのベールイです

このあと、デュシャン、サライ・フェレンツ、ポール・モーラン、ジャック・リゴーを引き連れて、ピカビアはニジェール川河口にある街ポルタクティフに向かう。そして、これを読む背後に流れる音楽では、グアナバラ湾を愛したゴーギャンとコール・ポーター、そしてグアナバラ湾を嫌ったレヴィ=ストロースについて歌われている。高度な狂気、トランクに収まる作品、独身者の機械。

2011/08/12

無題

10時起床。体調が悪い。歯を磨くとえづいてしまう。政治力をちらつかせて人を動かそうとするクライアント、人の話を聞かない健忘症のクライアント、それとは違う仕事でも自分の凡ミスが続いたりと、ストレスフルな日々だったなあ。
上記とはまた別の仕事クライアントに急用が入ったため、午前の打ち合わせがなくなる。出社後、前の日にデザイナーから預かった色校正を提出。これがまたひどい出来だったので、再度出してもらうことに。その後は雑務。前日送っておいた重たいメールについての電話、新プロジェクトの準備など。無理をしたくなかったので、定時でそそくさと帰宅する。
昼間から夕方いっぱいまでくだらない会議に付き合わされたというガールフレンドの提案により、近所のイタリアンへ。白ワインを飲みながら、五島沖でとれた鯛のコンフィなど。食事は美味しかったが、会話がすれ違い険悪なムードに。帰宅後、気晴らしにインターネットをして2時頃就寝。あまりいい日ではなかったように思う。こういう日は、タイトルのつけ方に困る。

2011/08/10

また日記再開

また日記を再開したい、できれば──と、唐突に思った。まあ、俺の人生はいつもこんな感じの思いつきで成り立っていて、断続的に15年くらい日記があったりなかったりするわけで、もう、基本的な性格だからしようがないのだろうな、こういったことは。
3月11日から1ヶ月間くらいのあいだに自分に起こったことはノートに手書きで記してあるので(その間──そしていまもだが──「電力」を信じることができないでいる)、それはいつか転記することにしたいけれど、ひとつだけ、ずっとずっと思いをめぐらしながらも叶わないことがあるので、まずはそのことを。それはつまり、震災の前日、3月10日の記憶を甦らせるということだ。この日、ぼくはあまりにも普通な過ごし方をしたのだろうか、手帳、メール、Twitter、Facebookなどの履歴を見ても、いったい何をしていたのか、どんな音楽を聴いて誰の本を読んだのか、何の痕跡もなく、記憶からすっぽり抜け落ちてしまっているのだった。
唐突に思われるかもしれないが、最近興味深く読んだのは「宮尾すすむが何年か前に死亡したというニュースを見た記憶があるのだが、今年の7月21日に亡くなったという報道を見て驚いた」というよくわからない情報から、今回の震災で量子力学的なパラレルワールドが分離だか統合だかしたとかいう話に発展していった2ちゃんねるのスレで、読みながらむちゃくちゃ笑ったのだが、自分にとっての3月10日は「宮尾すすむの二度死」とは真逆の意味でパラレルワールド的な断絶がある、という考えに至り、急に気持ちが悪くなった。震災によってだかなんだか知らないが、宮尾すすむが二回も死んだとされる世界に生きている人たちと同じように、俺はこれまで自分が生きていた世界とはまったく違うところに接続された感覚が襲ってきたのだった。
少なくとも、俺にはもう、それ以前の生活を構成する力も、技術もないだろう。それは、「サンイチイチ以後」(個人的にはこういう言い方をするセンスを疑ってます)に人間が変わった、とかいう話ではなく、単純に、その直前の日を思い出せないということから来る実感なのだ。日記をつけておけばよかった、と後悔するのは、こういうときだ。

まあ、それはそれとして、3月11日からの俺の生活は異常だとこれまで考えてきたのだけれど、このブログを読み返してみると、じつは今のほうが健康的で(昨年の3月11日に日記を「再開」してるのだが、このときはまだクスリ漬けだった・笑)、そういうことに安心しました。
震災以後の自分の生活がどのように変わり、あるいはどのように自分から生活を変えていったか、ということは新しい生活について書くことで明らかになると思う。

とりあえず、今日は、震災後新たに契約した高知の農家から有機野菜が届き、それをガールフレンドとサラダにして食べ、仕事をしたあと、白ワインを飲みながら突発的にこの日記を書くことにしたのだった。