2009/09/30

タイトル変更

ということで、タイトル変えました。
9月分の日記、じゃんじゃんアップしていきたいと思います。

覚悟の問題

東浩紀周辺でなんだかざわついているらしい……と思って調べたら、次のような応答があったようですね。

最近『思想地図』やぼくの仕事に対していろいろ風当たりが強いのですが、そのひとつのテンプレとして、「あの連中は社会学的な状況分析ばかりで、強度をもった作品論、作家論がない」というのがあります。/そしてこの批判に対するぼくの答えはきわめてシンプル。/ならばあなたがやればいい。

どーん!(あ、これは笑ゥせぇるすまんのように) いや、でもね、これはホントその通り!

で、佐々木敦の件は以下に述べるとして、とりあえず東サン、やっぱり大澤真幸先生の件でイラついたのでしょうか……


ま、それはそれとして、いずれにせよ、こういう凶暴な、あるいは(なんでこんなところで絡んでくるの?みたいな)異様な面を持っているから、東浩紀は面白いのである。逆に言うと、ある意味、この凶暴な面なくして現在の東はない、とすら言える。先に俺が指摘したように、東浩紀の現在は、決して佐々木が描いたような「絶対安全」的な、勝利を確信した道程ではなかった。その意味で、佐々木はまさに『ニッポンの思想』で描いた自身の史観に復讐されているとも言える。

で、それは、東自身が、次のように述べた通りでもある(この一文は名文ですよ! 笑)。

『ニッポンの思想』を呼んで、大塚英志や宮台真司や東浩紀をわかった気になってはならない。

で、まあ、俺が先の日記で、佐々木敦『ニッポンの思想』の論旨が、丸山眞男の『日本の思想』ではなく、中村光夫の『日本の現代小説』に近いと言ったのは、まさにそういうことであるわけだ。

要は、『ニッポンの批評』で引用していた(はずの)柄谷行人編『近代日本の批評』(講談社文芸文庫、だけど、このシリーズの日本文学史観はでたらめなので注意!)に出てくる中村光夫的な(誠実な、あるいは無害な)状況論的批評家像から佐々木氏自身がどれだけ離れられるか、いや、むしろ中村のような面倒臭さをどう背負っていくのかということを、あのような著作を書いてしまった佐々木氏自身がどれだけ覚悟しているのかどうか、こそが問題なのだ。そう、こんな著作を書いてしまった以上、これ以降の佐々木の活動は覚悟の問題となってしまうのである。で、こういう時、ちょっとでもショボいものを書いた時の日本の読書界が相当に残酷なことは、佐々木自身も知っているはずだろうから、筑摩書房から刊行されるという氏の新著に期待したい。


で、それはそれとして、以前にも述べました通り101日から、当サイトのタイトルは「All Cretans are Liars」に変更いたしますので、なんかあればよろしくお願いいたします。

2009/09/29

ベッドの3分の2は書籍

1015分起床。かなりスッキリ。よく眠れた気がする。アタマが軽く、肩コリがない。別々の布団で寝るという前夜の実験の成果が早速あらわれたか。

そういえば、寝台と言えば、草森紳一『本の読み方──書斎の墓場に閉じこもる』(河出書房新社)に、毛沢東に関する印象的な記述があった。

しかし毛沢東の一日の大半は、寝室である。バスローブを着て、ベッドに横たわり、本をひもとく。そばに四角形のテーブルがあり、執務用の机と食卓を兼ねている。毛沢東の寝室は、彼の政治の秘密そのものであり、思想の爆弾庫だといってよい。

さて主治医の李がその寝室に入っていくと、

「普通のダブルベッドにくらべて大きさが倍はあろうかと思われる木製の巨大ベッドに横たわっていた」

いかに毛沢東が、巨体であっても、ダブルベッドの二倍の大きさとは、なんとも大きい。

「中南海の大工が主席用に特別につくったものである。ベッドの三分の二は書籍がつみかさねられ、主席がもたれかかるように横たわった側の端は、全体よりおよそ十センチぐらい高く……ベッドから落ちるのを防ぐための安全措置だった」

読書の便宜を意識した特注のベッドなのである。公開用の写真だと、ベッドの半分が本という感じである。ところが主治医は、三分の二だと言っている。大いにありうる。公開の際は半分に縮小し整理したのだろう。p.162

気持ちわかるなあ。写真を検索してみたのだが、残念ながらそれらしいものは見つからなかった。


朝食は漢方2種類、柿の種。

出社後は入力作業。ついに懸案のブツがほぼ完成。他に会議など。

昼食はコンビニで買った惣菜パン。夕刻、高円寺にて打ち合わせ。なぜか占いの話で盛り上がる。

その後、秋葉原でガールフレンドと、さらに日暮里で友人と待ち合わせ。谷中の焼き鳥屋で食事。ビール2杯、焼酎2杯、さらに店を替えてワインを3杯ほどかな。明らかに飲み過ぎ。


この後、4時まで眠れず、東浩紀と佐々木敦周辺の記事を書いてしまったわけでした。

2009/09/28

コーヒーが重い

ガールフレンドが越してきて、今日でちょうど1年。

夜、3時まで眠れず。945分起床。朝食はお味噌汁、めだまやき。コーヒーを飲んだら、重くて飲めず。うーむ、嫌な感触。漢方を服用。ひさびさの円高なので、ちょっとした財政管理。

1週間ぶりの出社。無理せず入力作業などの雑務をこなす。

昼食は近所の公園でお弁当を。堀尾真紀子『フリーダ・カーロ』読了。

書店に寄ってから帰宅。帰宅後21時まで、意識を失うように寝てしまう。

夕食は1人で。玄米と納豆、お味噌汁。アル・グリーン『Let's Stay Together』を聴きながら。食後『笑ゥせえるすまん 』(中公文庫)の2巻と3巻を読む。ガールフレンドが帰宅して、赤ワインを1杯だけ。


今日から実験的に、同じベッドではなく別々に寝てみることにする。「夫婦仲むつまじく1つのベッドに実は健康に悪いケース多い!英メディア」を読んで、ガールフレンドが提案してくれたので。

堀尾真紀子『フリーダ・カーロ──引き裂かれた自画像』(中公文庫)

堀尾真紀子『フリーダ・カーロ──引き裂かれた自画像』(中公文庫)
その得体の知れない深さが、何かを発芽させる可能性を孕んで、ブルトンだけでなく多くの外国人、特に芸術家を惹き寄せ魅了している。彼らはそれぞれの目で、この国の不可思議さを把えようと試みた。アメリカの作家ジョン・リードは、メキシコ革命を題材として『反乱するメキシコ』を著わした。有名なロシア革命の彼のルポ『世界をゆるがせた十日間』に先立つこと六年前のことである。同じくメキシコ革命を、『戦艦ポチョムキン』で有名なロシアのセルゲイ・エイゼンシュタインは、さまざまな障害で完全な形には至らなかったものの、映画『メキシコ万歳!』に残した。イギリスのD・H・ロレンスは『翼ある蛇』を、同じくイギリス人サマセット・モームは『疵のある男』などを書いている。その他にも多くの作家、芸術家が、自国にはないこの国のもつ魔力と霊感を求めて、磁石に吸い寄せられるようにメキシコに集っている。そしてその大きな渦の中心にはいつもディエゴ・リベラとフリーダ・カーロがいた。p.138

救いの手を差しのべてくれたのは、マルセル・デュシャンとその恋人だった。フリーダは彼らの家に落ち着いた。そして彼らはフリーダの絵を税関から引きとってくれ、画廊も捜してくれた。フリーダは手紙の中で、デュシャンの恋人はとてもよい人だ、ブルトンやその取り巻きの薄汚ない連中とは大違いだと言っている。デュシャンの恋人はアメリカ人であった。英語の堪能なフリーダは、ようやく本来の彼女になり得たのだ。p.146
※上の点、デュシャン側からの証言はあるのだろうかとカルヴィン・トムキンズ『マルセル・デュシャン』(みすず書房)を確認してみたが、特に記されていなかった。いや、もっと正直に言おう。あわよくば、デュシャンとフリーダ・カーロはやっちゃった可能性があるのかな、という下司の勘ぐりをしたのだった。

2009/09/27

リラクシン

11時45分起床。あー、よく寝た。お酒も抜けてる感じ。
弟を駅まで送りにいっていた父親が帰ってきて、ブランチ。トーストにマーマレード、ベーコンエッグ、サラダ、コーヒー、オレンジジュース。おまんじゅう2個。
その後はボーッと、2匹の犬とたわむれたりして過ごす。父親、ガールフレンドともに30分ほど昼寝。
おみやげにいくらの醤油漬け。駅まで車で送ってもらう。
新幹線で堀尾真紀子『フリーダ・カーロ』(中公文庫)を途中まで。名古屋をすぎたあたりで睡魔に襲われ撃沈。
帰宅後は沢尻エリカ様の関連動画などを観てゆるく過ごす。

2009/09/26

西方浄土

7時半起床。作っておいたお味噌汁を飲む。髪を解いてゴミを捨てて、最寄駅でカツサンドとタマゴ&ツナサンドを買ってから東京駅へ。発車ぎりぎりの時間に到着し、ガールフレンドと(気持ち的には)新幹線に飛び乗る。新聞を買ったがほとんど読まずにずーっと寝てしまう。

新大阪到着。強烈に暑い。東京とは大違いで夏の日差し。

父親、弟と待ち合わせて、宇治方面へ。母のお墓の候補地を見学に行くのである。イメージとは少し違ったが、場所はいいのではないか。で、営業マンが衝撃発言を連発。開口一番「墓っちゅうのは、石屋に借金するっちゅうことですから。それが代々続いていきますんで堪りませんわ」。至言! 他にも、われわれの話を遮って目の前でハエを叩き殺すなど、唯物論的というか、湿り気は一切寄せつけない雰囲気であった。

天ケ瀬ダムに寄る。昼食は平等院近くの料亭みたいなところ。京懐石と茶懐石。瓶ビール3本。

で、平等院鳳凰堂にも寄る。ちょうど夕刻に拝観できた。西方にあるという極楽浄土に、しばし思いを馳せる。

が、帰りに宇治茶でも買おうと寄った上林三久という茶屋が雰囲気ぶちこわし。「ウチは創業500年でっから!」とがなり立てる21代当主のおっさんに品格は感じられず。「宇治茶資料室」ってのが店内にあるから寄ってみたら、古文書が全部コピーでやんの。ま、どうせ一見の客ですけどね。あとで調べたら、上林は上林でも、重要(?)なのは上林春松本店らしい。宇治市宇治橋通りにある上林記念館は、骨董好きにはたまらない感じ。ちゃんと調べておけばよかった!

車で一時間足らずで実家へ。


みんなおなかが減ってないので、家でビールなんぞを飲みながらだらだらおしゃべり。で、近所の飲み屋に移動して、二次会。最後は、ガールフレンドを巻き込んで下ネタで大いに盛り上がる。雌ゴリラは年増婆ァほどモテるって弟が言っていたんだけど、ホントかな。ビール2杯、ワイン3杯ほど。

帰宅後、昔のアルバムを見ながら、さらにビール2本。父も宇治が気に入ったようなので、お墓はあそこで決まりだろう。





2009/09/25

あああ!!!

夏休み5/5。
10時15分起床。ガールフレンドを見送る。柿の種を2袋食べる。
ニルソン『A Little Touch of Schmilsson in the Night』『Sandman』を聴く。ああ、素晴らしいなあ。
13時から16時半まで昼寝。そろそろ、この過眠症状もどうにかしたいところ。
その後は、図書館に寄って、みどりの窓口にて明日の帰省の際の新幹線のチケットを購入し、スーパーマーケットに寄って家に帰る。今日の外出はこれで終わり。
夕食は玄米と納豆、お豆腐と長ネギのお味噌汁、豚肉、しめじ、もやしのピカタ風炒め。『やっぱり猫が好き』を観ながら。1日中うっすらと頭痛がしていたので、食後、頭痛止めを服用する。
お茶碗を洗いながらローリング・ストーンズ『Beggars Banquet』『Goats Head Soup』を聴く。あああ、素晴らしいなああ。ここらへんのを固め聴きしたい気分。

トイレに置いてちびちびと読んでいた草森紳一『本の読み方──墓場の書斎に閉じこもる』(河出書房新社)を読了。ああああ、いいエッセイだなあああ。著者によるスナップ写真がまた泣かせる。

2009/09/24

そういう気分なんです。

夏休み4/5。
5時まで眠れず。10時半起床。ガールフレンドを見送る。漢方を飲んで、インターネット。連日の散歩、今日は根津周辺。蕎麦屋でざる1枚。ついでに図書館に寄ってCDをたくさん借りてくる。タイニー・ティム『God Bless Tiny Tim』、ニルソン『A little touch of SCHMILSSON in the night』ほか、渋めのセレクト。そういう気分なんです。
帰宅後、『週刊文春』を読みながらポテトチップス、うまい棒2本。あー、ジャンクなものはやめなきゃ。
15時から16時半まで昼寝。その後、御徒町でガールフレンドと待ち合わせ。Y's Road(自転車屋)などをブラブラしてから回転寿司で夕食。生ビール1杯。お腹いっぱい。ガールフレンドと出会うまでは回転寿司に行く習慣がなかったので、お茶の入れ方すら戸惑っていたが、ようやく最近慣れてきた。
帰宅後、ソファでゴロゴロ。アレクサンドル・ソクーロフ『太陽』(2005)を観る。イッセー尾形、がんばったなー。

2009/09/23

だらだら

9時45分起床。朝食は玄米、お味噌汁、肉じゃが、ピーマンともやしの炒め物。肉じゃが、昨日より味がしみていておいしい。
その後、ガールフレンドの誘いで西日暮里〜谷中を散歩。途中のパン屋で買った総菜パンを食べたりしながらフラフラ。帰宅後、14時〜15時半まで昼寝。
ガールフレンドの友人がお薦めしてくれた映画『ファウンテン』(ダーレン・アロノフスキー監督、2006)を観る。うーむ、欧米っぽいスピ。こういうこれ見よがしのCGって好きじゃないんだよなあ。

夕方も調子が出ず。が、寝ようとするもなかなか寝付けず。ガールフレンドが突然始めたサボテンの植え替えを手伝う。大画家邸にあった葉サボテンを拝借して葉差しで増やしたもの。すべて鉢に植え替えることができた。
一緒に出かける予定だった高円寺のイベント、調子が悪いので、俺は行くのをやめることにする。
夕食は、スーパーで買ったお弁当。鶏の立田揚げとカボチャのサラダ。もやしのお味噌汁を作って。21時から23時まで昼(?)寝。関川夏生+谷口ジロー『『坊っちゃん』の時代 第3部 啄木日録 かの蒼空に』(双葉社)を読みながら。シリーズの中では、この巻が一番好き。石川啄木のダメさ加減が沁みる。
ガールフレンドが帰宅後は、だらだらと「サンシャイン牧場」をやったり。

すべてのクレタ島人

10月1日より、当ブログのタイトルを

All Cretans are Liars

に変更いたします。
今のタイトルがずっと気に入っていなかったので。
それにともない、URLも変更いたしますことを、お知らせ申し上げます。

2009/09/22

曝されまくる日

9時半起床。朝食はおはぎ3個。ちょっとけんか気味。ガールフレンドは仕事に行く。俺は11時から13時まで昼寝。
『やっぱり猫が好き』を観ながら、お惣菜パン2個、ポテトチップス、うまい棒3本。その後、ジュリー・テイモア監督『フリーダ』(2002)を。なかなか良かった。今夏に母が亡くなったこともあり、生をまっとうするということについて考えさせられた。イサム・ノグチとのエピソードなどもはしょらずに描いてほしかったが、まあそれはそれとして。いい機会なので、週末に帰省するときにでも評伝を読んでみよう。
見終わる頃にガールフレンドから電話。ビデオ屋に寄りがてら駅で待ち合わせて、谷中を散歩してから帰宅。仲直りにリースリング(Urziger Wurzgarten 2005)を購入。
友人からDVDで借りた倉地久美夫のドキュメンタリー『窓を開けて九州 クラチ課長の凡な日常の非凡』(2009年6月28日放送、RKB毎日放送)を見ながら料理。この番組が実現したのは奇跡やなー。
夕食は谷中で買ったシラタキで肉じゃが、お豆腐とネギのお味噌汁、玄米。宮崎駿監督『千と千尋の神隠し』(2001)を観ながら、さっき買ったリースリングを3杯ほど。映画を見た後、7年前に会社で拾った宮崎駿の本をようやく読んだ。
それから、映画のシーンを組み立ててくと、主人公にずーっとくっついていくっていうのはほんと苦痛なんですよ。息が詰まってくるし。だから、別のシーンに外したくなるんですけど、今回は外さないようにしました。というか、実際絵コンテをきってみると違うんですよね。で、しょうがないから捨てて、また千尋にくっついていくっていう、そういうことの繰り返しだったんで。文体からいうと変な作り方だと思うんだけど、その世界を説明するよりも、千尋から見た世界に千尋がリアリティを与えていくっていうか、千尋から見た世界を千尋がちゃんと変えてくっていう、そういうことのほうが大事だと選ばざるを得なかったんで。
(宮崎駿『風の帰る場所──ナウシカから千尋までの軌跡』ロッキング・オン、p.207)
なるほど。

食後、お茶碗を洗いながら昨年出たメタリカの『Death Magnetic』を聴く。なにこれ?

こうやって振り返ると、今日はいろいろなものに曝されていたことがわかる。

寝る直前、俺の病気の話をする。甘やかしてもらいたいのではなく、理解してほしいのだ。

2009/09/21

秋だぜ、沁みるぜ

14時起床。あららら。ガールフレンドは実家へ。俺は図書館へ。
1人なので面倒な料理などせず、日本茶を飲み、梨を剝き、歌舞伎揚げを食べ、『やっぱり猫が好き』を観、ニック・デカロ『Italian Graffiti』、CSN&Y『Déjà Vu』などを聴く。秋だぜ、沁みるぜ。
18時半から21時まで二度寝。いくらでも眠れるぜ。
漢方を飲んだ後、根菜のお味噌汁を作って、玄米、納豆と。
ガールフレンドが帰宅。おみやげにおはぎとスケッチブックを買ってきてくれる。梨を剝いて、シャンディガフを2杯。『やっぱり猫が好き』伊豆ロケの1時間半スペシャルを観る。

2009/09/20

魔法のような体験

12時起床。秋刀魚のコンフィ、玄米、納豆、お味噌汁で朝食。
ガールフレンドと出かける。御徒町でコンタクトレンズ、上野にてキッチン用品、布団カバーなどを購入後、疲れたので一休みということで居酒屋でビール2杯。ごぼうの天ぷら、揚げ、イワシのハンバーグ、かんぱちのかま焼き、おにぎり、お味噌汁。お腹いっぱいになって帰宅。18時から19時まで寝る。
その後、原宿にて梅田哲也のライヴ。それは魔法のような体験だった!
帰宅後、ニラたまなどで遅い夕食。ビール3本くらい。

京都大学を辞職

大澤真幸が京大を「辞職」した事件の関連サイトを読んでいて、驚いた!
過去数ヶ月の間に辞職していたのは真幸と加藤和也氏だけ、加藤氏はシカゴ大学へ
がーん……加藤和也、ついに京大辞めちゃったのか。国際数学者会議の基調講演にて滔々と『鶴の恩返し』を物語った狂人数学者。他にも、最高に面白い伝説を多数お持ちでおられる。日本を代表する知性の1人。
京大に無許可で(というか、そういう決まりがあると知らずに)海外の大学と二重就職してしまって、京大の授業を半年くらいさぼったという話を聞いたことがあるけど、その行き先がシカゴだったのかな。

ま、どっちもショックな話題だなあ……。

2009/09/19

引っ越し1周年

9時起床。お蕎麦を食べる。チラッとネットをして、10時から12時まで二度寝。あかんなー。

漢方を飲んで、シャワーを浴びて、高円寺にて打ち合わせ。休日返上。ところがメモリを持っていくのを忘れてしまい、せっかく用意してもらったデータをコピーできず。でも、それなりには進んだ。打ち合わせ後、景気の悪い話をたくさん聞く。

ひさびさの高円寺なので都丸書店に寄るも、お金のないことに気づく。それにしても、中平卓馬『見続ける涯に火が…批評集成1965-1977』(オシリス)が6000円もする。冗談じゃないよ、まだ普通に定価で買えるのに! 都丸はこういう値の付け方をするから嫌いだ。何も買わずに帰宅。

夕食は、いただいたふかひれ丼、お味噌汁、里芋の煮物、水茄子の浅漬け、きゅうりのぬか漬け。

明日の夕食の仕込みをしながらポール・バーテル/ロジャー・コーマン『デスレース2000』を観る。最低あるいは最高。


気づけば、今日でここに引っ越して1年。いろいろあったが、なんだかいい感じだ。

2009/09/18

童貞放浪記

10時半起床。梨を食べてから病院へ。ここ2週間のあいだに起こった体調不良を訴えるも、「まー、様子見るしかないよねー」とのこと。たしかに、薬を増やすとかいうことでは解決しなさそうな感じは、自分でもしていた。が、そうは言っても、というところもあるので、交渉の末、とりあえず漢方を半夏厚朴湯に変更してもらう。効くといいな。

昼食は病院近くの定食屋で親子丼と半玉うどん。

出社後、入力作業。夕方、護国寺にて打ち合わせ。会うと元気が出る人。レスリー・ゴーアのシングル盤が欲しくなる。

夜、ガールフレンドと渋谷で待ち合わせて小沼雄一『童貞放浪記』を観る。むむむ、神楽坂恵、がんばったなー。きれいなトンガリおっぱい。エンドロールで知ったのだが、前田司郎が脚色してたのか。それにしても、これもガールフレンドと観るような映画ではないな

家の近所のうどん屋で、遅い夕食。さんまの煮付け、フルーツトマト、まぐろ天ぷら、そして〆にきざみうどん。2人して眠くてたまらず、帰宅するや、お風呂にも入らずに寝てしまう。

さて、明日からは10連休だ!

2009/09/17

Skypeで家族会議

朝まで眠れず。9時半起床。玄米、お味噌汁、めだまやきを食べて13時まで二度寝。最近バランスを崩したのは自律神経のせいかもしれないと考え、ビタミン剤に追加して、ひさびさに漢方を飲んで出社。実際、効いた気がする。

新宿で打ち合わせ。うまく行きそうな予感。勢いに乗っている人は話も面白い。

原宿に移動し、髪を切る。最近からだの調子が悪いという話をしたら、壱番館なるマッサージ屋を紹介してくださった。

夕飯は野菜炒めとビール(調子に乗って6本も飲んでしまった)。父親と、後には弟も加えてSkype会議。母の墓の候補地が決まり、来週末に帰省することになった。

2009/09/16

どうにもこうにも

915分起床。朝食は玄米、わかめスープ、めだまやき。どうにもこうにも体調悪く、11時から13時まで2度寝。

同僚やガールフレンドから電話があったりして、出社する。ふう。地味に入力作業など。19時から21時半まで市ヶ谷にて打ち合わせ。大半が仕事とは関係のない話であった。

夕食はオリジン弁当の海苔弁。ビール1本。鳩山政権誕生のニュースを見た後、『やっぱり猫が好き』のDVDを。

ガールフレンドが帰宅したので、お風呂に入って寝ようとするも、また4時まで眠れず。嗚呼……。

2009/09/15

頽落

朝まで眠れず。なぜだろう……14時半起床。何もする気が起きず。まずい状態。

ベーコンの本の続きを読んだり、インターネットしたり。荻上直子『かもめ食堂』を観る。まあまあ。ブランチ(?)として豆腐と玉ねぎのお味噌汁を作って、玄米と。mixiのクソゲー「サンシャイン牧場」をついついしてしまう頽落

ビデオを返却&貸出に行って、スーパーに寄って、雨に降られる。夕飯は、できあいの中華丼とお味噌汁を食す。『やっぱり猫が好き』を観る。嗚呼……。

タイトル部分のデザインを変更

なかなか眠れないので、てすさびにタイトル部分を替えてみました。ちょっと季節感を意識しました。
ちなみに以前のタイトル部分、絵はデイヴィッド・ホックニー、句は西東三鬼からの引用でした(言わずもがなですね)。
本当はブログのタイトルが全然気に入っていないので、ドメインとともに変更したいと思っています。その際は、みなさまにお知らせいたします……って、この文体、誰に語りかけているのでしょうね。ねえ、愛読者の皆さん!

David Hockney 《A bigger splash》1967
西東三鬼  算 術 の 少 年 し の び 泣 け り 
2009.06.01-09-14

2009/09/13

1日ボーッと

12時起床。ポカリスウェット飲む。なんだか疲れているので、1日ボーッとしたり図書館に行ったりして過ごす。
ガールフレンドは美容院に行って俺1人。遅い昼食として、玄米を炊いて納豆で食す。粗末な食事なり。
夕食は、髪を切ってかわいくなったガールフレンドが作ってくれる。玄米、お豆腐のお味噌汁、さんまのお刺身、つるむらさきのおひたし(胡麻油風味)、タコのマリネ、冷やしトマト。
食後、デイヴィッド・リンチ『インランド・エンパイア』を観る。こ、これは、なんと言ったらいいのやら。これだけの長尺をノンストップで魅せるわけで、すごいことは間違いないんだけど……。そういや滝本誠センセはこの映画についてなんて言っているのかな。

2009/09/12

The medium is the message

1015分起床。お茶を飲んでメールをチェックしてから2度寝。13時半まで。

で、こんな夢を見た。新居の実家なのか、3階にある弟の部屋で、弟が隠していたビデオをガールフレンドと一緒に観る。内容はAVかと思いきや、根本敬と松江哲明が出演するドキュメンタリーで、根本の仕事に感化されたアメリカ人大富豪が、エアーズロックの上にでっかい亀頭型の建造物を建てるというもの。フロイト先生、これは一体?


バナナを食べてビタミン剤を飲んで、浅草「吾妻橋ダンス・クロッシング」を観にいく。

Contact Gonzo、メンバーチェンジしたのかな? 吉田潤さん(AV男優。得意技は潮吹きで、加藤鷹よりも業師だったんですよ。ま、どうでもいいんですが)に似た男の人がいない。昨年末に原宿で観たとき、他の者が顔色一つ変えずに殴り合っている中、1人だけ顔を真っ赤にしてゼイゼイ言いながら闘っていたのが印象的だっただけに、ちょっと寂しい。とはいえ、今日のパフォーマンスも素晴らしかった!

Line京急は、00年代前半STスポット時代のチェルフィッチュを思わせる、ゆる〜いパフォーマンス。こっちのほうが本家より安心して笑えるのは俺だけ?

で、いとうせいこう、どうなんだろ。PAを使ってリヴァーブを効かせて大音量の演説。その内容は、世に名の通った者にしては政治的に踏み込んだものであり、いとうも署名をした湾岸戦争時の文学者の反戦声明よりも、そのメッセージは直截的、あるいは大胆なものであった……と、とりあえずは言える。それは次のようなものだった。


「われわれは9.11によって世界が変わったなどというアメリカの煽動を拒否すべきだった! われわれは9.11の犠牲者ひとりひとりを悼む! それは、ここ浅草で行なわれた東京大空襲の犠牲者ひとりひとりを悼むのと同様に、である!」(正確な引用ではないが、こんな感じの内容です)


ただ、このようなことを、右翼の街宣車のようにガナリたてて言われても、とてもじゃないが共感できない。なぜなら、PAシステムを使って大音量で演説をするというシステム自体が、9.11や東京大空襲をはじめとする、戦争を遂行する権限を持つ者たちによって発明されたものだからだ。「The medium is the message」は表現の基本でしょ、なーんて、いまさらいとうせいこう先生に言うハメになるとは……。というか、単純にやかましい! ま、東京の人間は、こと政治となると直球勝負か床屋政談しかできひんからなあ。最初パロディかなと思ったんだけど、どうも大まじめなようで、あちらの演説が熱くなればなるほどこちらはシラけてしまった。少なくとも、康本雅子の軽やかなダンスとは全然合わない。

飴屋法水のパフォーマンスは「3人いる!」の出演者による余滴か? 最後に出てくる老人は浅草にいる本物のホームレスらしい。それにしても『よだかの星』かあ。泣ける。


ちょっと飲んでから帰宅。深夜に藤子不二雄A『まんが道』(中公文庫)を最後まで読む。


2009/09/11

エターナル・サンシャイン

11時起床。バナナプロテイン。今日はビタミン剤を飲まず。ガールフレンドと『やっぱり猫が好き』を観てから出社。上司に体調を心配される。うーむ、自分も心配であります。

昼食は近所の蕎麦屋で親子丼。その後、公園でダニエル・ファーソン『フランシス・ベイコン──肉塊の孤独』(高島平吾訳、リブロポート)を読む。何たる邦題だろうか。話自体も散漫な印象。やはりベーコンの評伝は新潮社のが決定版か。そのまま公園で1時間ほど昼寝。それにしても、日の沈むのが早くなったなー。

夕食はひさびさに2人で。あさりとしらす、大葉のパスタ、お味噌汁。『やっぱり猫が好き』を観ながら。食後、ミシェル・ゴンドリー『エターナル・サンシャイン』を観る。いいねー! その後は読書。


終日うっすらと頭痛。ビタミン剤の類が必要であることが、これで判明。

2009/09/10

『肉への慈悲 フランシス・ベイコン・インタヴュー』

デイヴィッド・シルヴェスター『肉への慈悲 フランシス・ベイコン・インタヴュー』(訳=小林等、筑摩書房)
1962
FB いつも屠殺場や肉の写真に心を動かされます。そして、私にとってはキリストの磔刑も同じカテゴリーに入るのです。動物が屠殺される直前にとったすさまじい写真があって、死のにおいがします。もちろん本当のところはわからないけれども、その写真を見ていると、動物はこれから自分がどうなるのか気づいているみたいで、必死で逃げようとしているように思えます。こういう写真があの絵〔《磔刑図》〕のベースになっているのでしょう。「磔刑図」にとても近いものがある気がするのです。敬虔なクリスチャンにとっては、「磔刑図」がまったく違う意味をもっていることは知っています。でも私は無神論者ですから、これは人間の行動の一つにすぎません。他人に対する行為のひとつです。p.28

FB 思うに、ベラスケスは当時の宮廷や人々を記録していると自分で信じていました。ところが現代の優秀な画家は、同じような状況に置かれた場合には、ゲームをするしかないのです。記録するにはフィルムを使えばいいとわかっているので、その仕事はほかのものにまかせればいい、ということになります。画家がやるべきことは、イメージを通して完成を解放することだけです。それに、現代人は自分がたまたま存在しているだけのつまらないものだと気づいているのではないでしょうか。だから無意味なゲームを最後までやらなくてはならないということも、わかっているのです。ベラスケスやレンブラントがどんな人生観をもっていたにせよ、絵を制作する態度は彼らなりに、宗教が提示する何らかの可能性にまだ若干なりとも影響されていたと思います。ところが現代人は宗教的な意味での可能性を完全に捨て去ってしまいました。今では、自分の行動によって自分を欺いて、しばらくの間だけごく前向きな気分になろうとするのがせいぜいです。たとえば、医者から命を買うようにして長生きするとか。あらゆる芸術が今では気晴らしのためのゲームです。いつだってそうだったと言われるかもしれませんが、今では完全にゲームなのです。こんなふうに状況は変化してきました。画家にとってますます困難な状況になってきているわけですが、これは素晴らしいことです。画家が画家たりうるためには、ゲームを本当に深化させることができなければならない時代になったのです。p.34

1966
FB (…)私が絵に描くということは相手を傷つけることになるので、好きなモデルの前では描きたくありません。そういうことは人目のないところでやりたいのです。そのほうがモデルの真の姿をより明確に記録できると思います。
DS 傷つけるとは、どういう意味ですか。
FB 世間では、少なくとも純朴な人は、歪めて描かれると傷つけられたと感じます。画家に対してどれほど思いやりをもっていようと、画家をどれほど気に入っていようと、そう感じるのです。
DS そういう人たちの直観が正しいとは思わないのですか。
FB たぶん、正しいのでしょう。それは充分わかっています。しかし、現代人で姿かたちを歪めることなく真の姿が伝わるように記録できた人がいるでしょうか。p.46

FB 絵を描く際には、偶然ないし幸運は最も重要な側面で、想像力の源になっていると思います。いい絵が描けても、自分で描いたのではなく、たまたま自分が授かることができたという感じがするのです。しかし、何年間も、偶然と偶然を利用する可能性とについて考えてきましたが、どこまでが純粋に偶然のおかげで、どこからがチャンスを生かす能力にかかっているのか、本当は全然わかりません。p.61

FB (…)抽象表現主義で行われたことはすべてレンブラントがやっています。しかし、レンブラントの絵は非合理なだけでなく、事実を記録しようとする試みでもあったので、なおさら私にとって刺激的で深みがあるのです。私が抽象画を好きになれない、あるいは興味をもてない理由のひとつは、絵画はこのようにふたつの側面をもつものなのに、抽象画は審美的な要素しかもっていないからです。いつもひとつのレベルにとどまっていて、パターンや形態の美しさにしか目を向けないのです。ほとんどの人々、とりわけ画家の内面には、どろどろした感情の領域が大きく広がっているのですが、抽象画家は一面的な絵でそうした感情をすべて表現できると信じているのでしょう。しかし、私が思うには、そのような表現は弱すぎて何も伝えられないのです。偉大な芸術は整然としていると思います。その秩序の中にきわめて直感的で偶発的なものがあっても、それも秩序を求め事実をより強烈に神経組織に伝えたいという欲望から生じているのです。すでに偉大な画家が存在したのに、どうして人は新たに何かを作ろうとするのでしょう。その理由はただ、偉大な画家の業績によって、世代ごとに直観が変化しているからです。そして直観が変われば、作品をより明確に、より正確に、より強烈に作りなおす方法についての感じ方が新しくなります。芸術は記録であり、何かを伝えるものだと思います。抽象画には伝えるものがなく、あるのは画家の美意識と乏しい感性だけです。抽象画には緊張感がまったくないのです。p.65

1971/73
FB (…)先日、人と話していて、こんなことを言いました。「自分が田舎屋にひとりで住んでいて、一生何も経験しなかったとしましょう。それでもまったく同じ人間になるでしょうか、それとももっとましな人間になるでしょうか」。私はそうは思いません。でも、ときどきそんなことを考えてしまうのです。p.84

DS (…)あなたの絵が、対象の姿かたち以外に何と関わっているのか、話してもらえませんか。
FB 私の心理状態です。それは、ユーモアのある言い方をすれば、うきうきする絶望とでもいう気分です。p.93

FB (…)私にとって現代絵画の神秘とは、姿かたちをどのように描くことができるかということです。もちろん、写実的に描くこともできるし、写真にとることもできます。でも、絵の制作という神秘的な過程で、姿かたちにひそんでいる神秘をとらえるにはどうしたらいいのでしょう。それには、非論理的な制作方法を用いるのです。非論理的な方法で論理的な結果をもたらそうと試みるのです。つまり、非論理的な方法でにわかに作品を生み出すことができて、しかもその作品が完全にリアルで、肖像画だったらモデルが誰だかわかるのが望ましいのです。
DS こう言い換えてもいいでしょうか。あなたは姿かたちに関する常識的な見方にできるだけ左右されないで、その姿かたちの絵を描こうとしている。
FB とてもうまく言い表してくれました。p.120

FB (…)私は伝統的な技法を使っているのかもしれないし、そう見えるかもしれませんが、その使い方を従来とはがらりと変えたり、本来とは大きく異なる目的で使ったりしたいですね。いわゆるアヴァン=ギャルドに関わった人のほとんどは、新しい手法を編み出したいと考えましたが、私はそうは思いません。私はアヴァン=ギャルドとは無縁なのでしょう。きわめて特殊化した手法を作りだす必要性をまったく感じないのです。技法を革新しようとしながら、その枠にあまりとらわれなかった唯一の人物はデュシャンです。彼はとてもうまくやりました。一方、私はいわゆる受け継がれてきた技法を用いているのでしょうが、その技法で過去に制作されてきた作品とは根本的に違うものを作ろうとしています。p.122

1974
DS 昔、あなたはたいしてお金を持っていないのに惜しげもなく使っていましたが、お金に困るということはなかったのですか。それとも、必ず救いの神が現れたのですか。
FB 策を講じてなんとか凌ぐということが、よくありました。どんなときでもどうにかやっていく才能があるのでしょうね。盗みとかそういうことをしても、良心の呵責をまったく感じないのですよ。きわめて自己中心的なんでしょうね。捕まって刑務所に入れられるのは嫌だという気持ちはありましたが、盗み自体は何とも思っていませんでした。p.140

1984
FB できるだけ自由に人生を過ごしたいし、最高の制作環境が欲しいだけです。ですから、政治に関しては、左翼に比べて理想主義的な面が少ない保守派に投票してきました。左翼は理想主義を振りかざして市民の生活に干渉してきますけど、保守派は放任しておいてくれますからね。保守派が無難だといつも思っています。p.216

感覚の鬼

10時起床。玄米、納豆、お味噌汁。ビタミン剤、三半規管の薬など。デイヴィッド・シルヴェスター『肉への慈悲 フランシス・ベイコン・インタヴュー』(筑摩書房)を読みながら出社。

昼食はひさびさにお弁当を近所の公園で。『肉への慈悲』読了。秋晴れ。

夕方、アタマが電池切れしたので早めに帰宅。家に着いたとたん睡魔が襲ってきて、気づくと20時半まで寝ていた。なんか最近、脳が危ない気がするのだが、大丈夫だろうか。ホント具合悪いな。

レンタルビデオ屋に返却と貸出に行ってから夕食。一人なのでつましく。玄米、納豆、お豆腐としめじのお味噌汁。借りてきた『やっぱり猫が好き』を観ながら。面白いなー。当時小学生だった俺は、小林聡美ってのはいいなーと思っていたのだが、いま観ると室井滋の凶暴さにほれぼれ。ホントかっこいい。室井滋、当時30歳。いまの俺より年下かあ。ガールフレンドと一緒に観たいと思い、1話分だけ観て止める。

それはさておき、細馬宏通がアレクサンダー・テクニークを体験したときのブログが素晴らしい。まさに感覚の鬼。この一文に、いくつもの発見が潜んでいる。

頭蓋骨の位置を調節してもらうと、自分のデフォルトの位置とちょっと違って、頭蓋骨をやや引き気味かつ上気味に、そして目線を落とす感じに。これだと、視界がやや高めかつ広めになる。景色がかわる感じ。声が出しやすくなる。

2009/09/09

良性発作性頭位目眩症

10時起床。すごい目眩。こんなのはじめて。水平方向は何ともないのだが、垂直方向に頭を動かすとグラグラと揺れる。歩くのが怖い。とりあえずバナナ豆乳プロテインだけ流し込んで、近所の耳鼻科へ。
診断の結果は、良性発作性頭位目眩症。内耳にある耳石という部位がどうかするらしい。ストレスか睡眠不足でしょうとのことで、薬をもらって帰宅。
玄米とお味噌汁、目玉焼き、もずく酢の昼食後、さっそく薬を服用。インターネットで調べるとエプリー法という体操(?)も効くらしい。それにしても、こんなふうに頭がおかしくなるのは嫌だなあ。ホント怖い。ま、メニエールでなかっただけよかった。
大事を取って今日も会社を休むことにして、14時から18時半まで昼寝。

夕食は一人なので簡単なもので済ます。玄米、じゃがいもとたまねぎのお味噌汁、鶏肉としめじの白ワイン蒸し、もずく酢。週刊文春を読みながら。

エプリー法

2009/09/08

レイドバック・ガットギター

10時起床。昨日よりは楽な感じ。朝食は梨。コーヒーを飲むのが辛く、一口で済ます。少々吐き気も。バナナプロテイン、ビタミン剤、漢方などを服用。手慰みに見た小林聡美のホームページの、謎の充実っぷりに驚く。

午後はお仕事。地味に企画を1本仕上げる。

昼食はコンビニのお惣菜パン。昨日と同じ、ツナマヨとコロッケを。

ビタミン剤の類、やはり効いている気がする。少なくとも、金曜日のひどい状態に比べて、半日をうまく切り抜けられるようになっている。しかも、いい感じに感覚がレイドバックしつつある。こんな感じに低空飛行を続けていきたい。目指せ鳥人間。

帰りしな、ガットギター欲しさに、新宿の石橋楽器に寄る。じろじろ眺める。セコハンでいいから欲しいなー。


夕食は玄米、お豆腐とわかめのお味噌汁、かぼちゃサラダ、枝豆、ニラたま、タコのマリネ。全部ガールフレンドが作ってくれました。ニラたまがマジうまい。おみやげでいただいた道後温泉の地ビール2本。ヱビスの黒1本。ウェス・アンダーソン『ダージリン急行』を観る。

2009/09/07

ミシェル・アルシャンボー『フランシス・ベイコン 対談』

ミシェル・アルシャンボー『フランシス・ベイコン 対談』(五十嵐賢一訳、三元社)
MA でも、あなたは少なくとも一度は彼〔アンディ・ウォーホル〕と同じテーマで絵を描いています。つまり、あなたもミック・ジャガーの肖像を描きました。
FB ああ、でもそれは一種の頼まれ仕事だったんだよ。その肖像を描くように誰かに頼まれたけど、でも僕はジャガーとは知り合いでも何でもないし、それに、その絵を描いている時はウォーホルのことなど考えもしなかった。ほんとうにこれっぽっちもね!
いや、だからさ、たとえ彼がポップ・アーチストの中で一番頭の切れる人間だとしてもだよ、頭では決して芸術はできないんだよ、決して絵は描けないんだよ……残念ながらね。
MA 何が絵を描かせるんですか?
FB さあ何かね。p.47

MA 前回の質問に戻りますと、何が絵を描かせるのか分からないということでしたが、でも、絵を描かせるのは何なんですか?
FB 要は、絵かきなら見るものを本能で描くことができるか、あるいはほとんどまったくといっていいほどできないかということなんだ。この点はいつもなおざりにされていると僕は思う。でも、要はこれなんだ。つまり、本能的に何かを描くことができるということなんだ。この本能というものを説明するとなると、これはまたたとえようもなくややこしい問題だ。絵画というものが世紀から世紀へといかに大きく変化するかという事実を見ると、本能というものもまた、世紀から世紀へと移り変わるたびに変化するのではないか、見たり聞いたりするあらゆるものによって変化を蒙るのではないのかと思えるんだ。どうだろう。ともかく、僕に言えるのは、本能というものは大変重要なものだということだ。p.57

MA それでは、あなたにとっては、異なった芸術表現形式間の接近には興味がないということですか?
FB そのとおり、あまり興味がないな。でも、ほら、そう思うのはこの僕なんで、要するに方法はどうでもいいんで、重要なのはひとえに何かができるということなんだ。それ以外のことはどうでもいいんだ。もし自分にとって意味のあることが生きている間にできれば、それをどうやるかとか、どの分野でやるかとか、そんなことはどうでもいいんだ。自分の人生に意味を与えること自体が既にたいへんまれなことになってしまっているし、それができたら最高なんだよ。p.84

MA 一般的に言って、現在の政治的状況についてはどう思いますか?
FB 知ってのとおり、僕は1909年の生まれだ。それ以来、世界中で何ダースもの戦争とか紛争があった。生まれてすぐのアイルランドのいろいろな出来事とか第一次世界大戦を皮切りにね。僕の世代の人間は戦争抜きの人生なぞ想像できないのではなかろうか。言うもおぞましいことだけど、でもそれが誰もがした経験だと思う。僕らにとっては常に戦争というものがあっtんだ。それに、現在のいろんな出来事……。今日どこが違うかといえば、それはたぶん情報手段だね。ラジオとかテレビとか新聞とかで、どうなっているのか逐一明らかになるし、世界中のあらゆることが耳に入る。それで人間が賢くなるとか、批判的精神がさらに高まるとは思えない。そうなりたいところだろうけど、そうは問屋が卸さない。ともかく、世界中で起こっていることに見ざる聞かざるでいることは至難のわざだろうな。p.111

銀座

9時にいったん起床し、仕事に出かけるガールフレンドを見送る。俺は調子が悪いので再度寝て、12時に起床。ビタミン剤など健脳物を服用。漢方は飲み忘れる。頭痛薬は敢えて飲まず。ミシェル・アルシャンボー『フランシス・ベイコン 対談』(五十嵐賢一訳、三元社)を読みながら出社。

午後は粛々とお仕事。先々週に済ませるはずだったものをようやく仕上げる。

夕方、ガールフレンドと待ち合わせて、銀座松屋にて赤塚不二夫展の最終日。残念ながらぎりぎり間に合わず、オリジナルグッズのみ買い漁る。

夕食は、玄米、じゃがいもとたまねぎのお味噌汁、かぼちゃといんげんのサラダ、鶏肉、なす、トマト、ピーマンの炒めもの(ケチャップとオイスターソース)。ヱビスの黒3本。荻上直子『めがね』を観ながら。