2009/07/31

調子よろし

10時半起床。今日はひさびさによく眠れた感がある。朝方に目が覚めなかったのは、いつぶりだろう。一晩中涼しかったからだろうか。

朝食は冷えたデラウェア、コーヒー。出勤の電車で、読みさしのままだった『イノヴェーションの神話』を読了。

昼食はお弁当を近所の公園で。文庫になった菊地成孔+大谷能生『東京大学のアルバート・アイラー キーワード編』(文藝春秋)を読みながら。母に電話すると、今日も熱が38度あるらしい。心配。

午前、午後と入力作業など。17時半に退社。病院……といっても眼科へコンタクトレンズを作りに。ガールフレンドと御徒町で待ち合わせる。いままで1デイを使っていたのだが、彼女と同じ2ウィークのにしてみた。

スーパーに寄って帰宅後、二人で料理。明太子スパゲティ、玉ねぎとしめじともやしのお味噌汁(つまり冷蔵庫の整理)、きゅうりの浅漬け。白ワインを1杯だけ(←このセリフ、言ってみたかった!)。

で、1時間ほど寝てしまう。起きたらテレビで『魔女の宅急便』をやっていて、彼女がとてもうれしそうに観ている。俺もつられて途中から観る(実は初見)。なるほど。

その後、二人でランニング。根岸から上野、そして谷中へ。なかなかいいコース。今後もこの道にしよう。


それにしても今日はすこぶる調子よかった。やっぱり睡眠が大切だということか。この状態が続けばいいのだが。

2009/07/30

うまくいかない日

9時起床。きついが我慢。朝食はガールフレンドが作ってくれたマフィン、目玉焼き、ベーコン、コーヒー。食後、ちょっとだけベッドでゴロゴロ。資料を漁りにはるばる南千住図書館まで。再開発されてない側を歩いたのだが、暇そうなおっさんやおばはんばかりで、なんだか大阪みたいな街だ。仕事はさくさく終わり、帰りしなに素盞雄神社でお詣り。荒ぶる神さま、我にお力を!

が、新プロジェクトの企画は通らず。がっくり。会社に対する不信感がつのる。もうホント、こんなことばかりなら会社辞めようかな。少なくとも、転職は真剣に考えたほうがいいかも。くさくさするので、まい泉でロースカツ定食。やけくそで1700円也払う。

午後は地道に入力作業。17時に退社。帰宅。弟から発泡酒が届いていた。あれか、お中元か。なんかお礼したほうがいいのかな。ガールフレンドと一緒に、なぜかCHAGE & ASKA「Yah Yah Yah」を大合唱したり、「101回目のプロポーズ」の最終回を見て涙ぐんだりする。弱ってるのだろうか?

夕飯は、彼女が作ってくれたバジルペーストのパスタ、ポテトサラダ。どちらも宮城の農家から届いたオーガニックのもの。バジルがとても甘い。

20時から22時まで眠る。起きてニュース観たり本を読んだりインターネットしたり。安家達也『ツール 伝説の峠』(未知谷)を読んで、2時に就寝。

Lee Scratch Perry with Ari Up


おおっ、リー・ペリーとアリ・アップ(Slits)が共演してる!

佐々木敦『ニッポンの思想』について

さて、少し長くなるが、佐々木『ニッポンの思想』について。批評史としての流れに関しては、ほぼ異存無し。若い読者のためのいい紹介になっている。佐々木は孤独を装うことを美徳にしている気味があるが、インタビューなどを読んでいても、人の心に寄り添うのが非常にうまいと思う。


ただし、『批評空間』シンポジウムで鎌田哲哉や浅田彰とやり合った際には「若、ご乱心」といったような印象だった東浩紀が(脱線するが、このシンポジウムのもう一人の主役である鎌田は、この時点ではほとんどの人間にとって「誰、こいつ?」的な存在であったことを付け加えておく)、大塚英志と立ち上げたばかりの『新現実』からも脱退し、有料メーリングリスト「波状言論」を始めて、さらに同人誌として『美少女ゲームの臨界点』を出版したとき、そのあまりに貧乏臭い手作り仕事に、「東、終わった」感がいったんは蔓延した、という事実が本書では抜け落ちている。実際は、この手作り感みたいなものが「ゼロ年代」後半にさまざまなジャンルに広がることで、東の「先見性」が証明されたことになるのだが(例えば「GEISAI」もその流れの一つだろうし、佐々木自身が発刊した雑誌『エクス・ポ』だってそうだ)、それ以前の東につきまとったこの「終わった」感に触れずにおくことによって、本書の「ゼロ年代は東浩紀一人勝ち」という歴史観が成立していることは指摘しておきたい。
「波状言論」などの東の仕事は、現時点から振り返れば「勝利」への確信に満ちた道程のように見えるが、当時は、むしろ「異様な試み」として受け入れられていた。周囲の思想・批評読みの中には「『批評空間』であれだけ東が拘泥していたことって、こんなクダラナイことだったの!?」という、軽蔑すら込められた態度が多かったのであって、まさか2000年代後半の論壇にこのような戦況が訪れているなど、誰も予想だにしなかったはずだ。2000年代前半の東がそれほど異様な存在であったということは、もう一度確認しておいたほうがよい。
というか正確に言えば、宇野常寛をはじめ、「ゼロ年代」という自意識を持つ者たちが追随者として出現してきたことで、東の「勝利」が決定的になったのだ。その意味で、佐々木が主張する「ゼロ年代は東浩紀一人勝ち」史観は、宇野の見事に弁証法的な仕事に多くを負っているとも言える(宇野の振る舞いは、教科書的なまでに正反合である)。
まあ、いずれにせよ、いま東浩紀が本当にすごい仕事をしていることは間違いないのだが。

それにしても、佐々木が「ですます調」を使って、このような野暮な(あるいは啓蒙的な)仕事をするとは思わなかった。本人はあとがきにおいて丸山眞男の名前を出しているが、どちらかというと、同じ岩波新書の中村光夫『日本の現代小説』に近い著作である。


【09.09.30追記】→できれば「覚悟の問題」も併読してくださいね

えー、もう一つ、重要だと思われるポイントを。

上の日記で、俺は意識的に「ゼロ年代」と「2000年代」という書き方を併用したのだが、それは「ゼロ年代」という呼称への距離感があるからだ。この呼称が出てきたのは、せいぜい2000年代半ばではなかったか(調べてないのであくまで印象論でしかないが)。それまでの表記はまさに「2000年代」、あるいはサブカルチャー界隈(?)では「00年代」と書いて「ゼロゼロ年代」と読むことのほうが多かったように思う。

実際、「ゼロゼロ年代」と「ゼロ年代」とのあいだにある断絶は大きい。この断絶は「サブカル」と「オタク」の断絶と言い換えても通じる性質のものだ。

例えば、後者(オタク)の自意識から出現した宇野常寛が、前者(サブカル……の自意識を持っているかどうかは不明だが)の代表的存在である中原昌也や柳下毅一郎に対して敵意を剝き出しにしていることに、それは象徴される(ああ、どうでもいい例えだ……)。

あるいは、『ユリイカ』2005年増刊号にて「オタクvsサブカル」というそのまんまな特集があったが、その編者の一人であるばるぼらが、「サブカル(=ゼロゼロ年代)」的なネタを「オタク(=ゼロ年代)」的メンタリティでもって更新する、若手批評家としては圧倒的に特異な仕事を始めていることも、この流れのうちにあると言える(例えば『NYLON100%──80年代渋谷ポップ・カルチャーの源流』アスペクト、を見よ)。

と、ここまで書いてハッとしたのだが、そういえば『スタジオボイス』の最終号が「どこよりも早いゼロ年代特集」というふれこみだったはず……と思って確認してみたところ、さすが! 意識的なのか無意識的なのか、メインテーマは「どこよりも早いゼロ年代ソウカツ!」とオタクの時流に合わせ(軍門に下り?)つつ、サブテーマは「追憶の00s」とサブカルの矜持を保つ表記を遺しているではないか!

やはり、ここ10年のあいだで起こったサブカルとオタクとの仁義なき戦い、あるいは「サブカルからオタクへ」というサブカルチャーの重心移動が、この「ゼロゼロ年代からゼロ年代へ」という表記に深く刻まれていると言わねばなるまい。


……と、ここまでは前書き。

さて、そこで俺が言いたいことは、

(1) こういうことのほうが「テン年代」なんてことより重要な問題なんじゃないの?

(2) 佐々木敦という人は自他ともに認めるゼロゼロ年代の代表的人物じゃなかったっけ?

という、まあ、それ自体はくだらないお話なのだった。

ただ、「ゼロ(ゼロ)問題」は、上に書いた『ニッポンの思想』の歴史観への違和にも関わる問題だと思われるので、この項に追記しておくことにします。「オタク」と「サブカル」のあいだには、「絶対安全」ではない、深くて暗い河がある……

で、あくまでコンスタティヴに書かれた『ニッポンの思想』では、自身の態度は棚に置かれていたわけだが、自身の立場は新著で解明されることになるのだろうか……

2009/07/29

品川アクアスタジアム

具合悪し。朝、ガールフレンドと言い合いをしてしまう。生活において、彼女の労働負担をまた増やしてしまった。本当に気を付けないといけない。

午前は会社を休む。14時起床。高円寺に直行、打ち合わせに向かう。昼食はオリジン弁当のおにぎり(すじこ、しゃけ、各100円也)。不慮の事故で止まっていた企画が再始動。出社後、入力作業をして18時に退社。渋谷中央図書館で明日必要な資料を漁るも、見つからず。ちょっと焦る。

原宿から品川へ向かう途中の電車で佐々木敦『ニッポンの思想』読了。ガールフレンドとエプソン品川アクアスタジアム。アシカのショー、めちゃかわいい。サメのトンネルがすばらしい。イルカのショーはカオスの極み。でもなにより、ガールフレンドと仲直りできてよかった。

お魚食べたいと彼女がいうので、お寿司を食べる。お酒はがまん。6000円也。

帰宅後、『ツインピークス』を最終回まで観る。最後のシーンは覚えていたが、それ以外は全然記憶になかったなー。ベンジャミン・ホーンにもピートにもオードリーにも、破滅がやってくるとは……。いずれにせよ、謎だらけというか、観てきた人間が報われないエンディングだなー。夏休みにでも、滝本誠先生の著書を読み直そう。

今日は4時半まで眠れず。

2009/07/28

ひみつのダイアリー

9時50分起床。アメリカンチェリー、白桃、マスカットという、女の子のダイエット食みたいな朝食。マース・カニンガムの訃報をインターネットで知る。行きしな、図書館で松江哲明『あんにょんキムチ』(汐文社)を借りる。なんと、この本は総ルビであった……これも日本語が読めない「外国人」への配慮なのかな? 通勤電車の中で佐々木敦『ニッポンの思想』(講談社)を読み始める。
10時50分出社。午前は会議など。企画の第一段階が通った。

昼食は定食屋で豚炒め。『ニッポンの思想』の続き(感想は後日)。3分の2まで読む。
社に戻って、暇つぶしに解析ツールを見てみると、ほー、なぜか俺のいない時間帯に自宅からアクセスがあるな……。あ! ガールフレンドが俺の日記を見てるってのか!

午後は尻下がりに調子を崩す。寝不足だなあ。地味に入力作業をして、16時頃会社を出る。帰宅後、なぜか唐突にバックトラック作りに励む。気持ち悪いものが1時間分できあがる。
夕食は一人だし面倒なので、スーパーで弁当を買ってきて済ます。食後、20分ほどランニング。鴬谷、上野、谷中……ぐるり一周で汗びっしょり。腕立て、腹筋各30回してからシャワーを浴びる。

最近、またデジタル・アディクトになりつつある。これは意外と精神を蝕むから、意識的にシャットダウンせねばならない。3時頃まで眠れず。

2009/07/27

ランニング

10時起床。イングリッシュマフィン、ベーコンエッグ、チェダーチーズにマーマレード+イタリアンパセリ、豆腐のビシソワーズ、野菜ジュース。今日も豪勢な朝食なり。

高田馬場Z氏事務所にて打ち合わせ。1時間ほどで済むと思っていたのだが、作業に意外と時間がかかる。昼過ぎまで。喫茶店で一休みして、いったん出社して雑務をこなした後、原宿のラーメン屋で冷やし中華。850円也。

午後は入力、企画のためのマーケティング調査など。

定時を30分過ぎて退社。今日はがんばった。帰りしな、レンタルビデオ屋で『ツインピークス』。ついに最終巻。


昼食後、自転車屋でロードやメッセンジャーバッグを物色した。本当はCinelliかColnagoが欲しいが……すべてを含めた予算は15万円ほどかな~。この気合いを維持して、秋口には自転車通勤に転じたい。

とにかく、ボロボロになるまでカラダを動かしたい!という気分。運動神経のないヤツに勝つためには、運動神経を磨き倒して、駆使しまくらなければならないのだ。そのためのランニングシューズ購入だったのに、早速の雨模様である。さ、どうしよっかな。


夕食はガールフレンドが作ってくれた明太子スパゲティ。これが最高にうまい! お店で食べるよりおいしい。『ツインピークス』を観ながら。

食後、雨も上がったのでやっぱり走ろう、ということに。ガールフレンドと一緒に、30分ほど、鴬谷~上野あたりを走ったり歩いたり。汗びっしょり。帰りに、谷中のお寺から水草をいただいて帰宅。満足なり。

……と思っていたら眠れず。2時頃までインターネットをしてしまう。不健康だなあ。

2009/07/26

桃の冷製パスタ、豆腐のビシソワーズ

1315分起床。桃の冷製パスタ、豆腐のビシソワーズ。オシャレでしょ。

この怠惰な日々に喝を入れるべく、上野アメ横にてADIDASのランニングシューズを購入。他に、havaianasのビーサン、ウェイファーラーのパチもんのサングラスも。夏まっさかり、ということで。

帰宅後、シャワー浴びてスナック菓子を食べながら昼寝。夜、Chim↑Pomの個展。忍者て。その後、高円寺で中華を食べて帰宅。スナック菓子を食べて寝る。

2009/07/25

さんまと紳助、すごすぎ

11時半頃起床。エースコック/スーパーカップ沖縄そば。ひどいな〜。YouTubeでブラックマヨネーズのコントを観てから、昼寝。
夕方、西荻窪へ。駅前に新しくできた書店にて佐々木敦『ニッポンの思想』(講談社)を購入。
夕食はグラタン、オムライス。
夜、「26時間テレビ」さんまと紳助のトークを。昨日の「いいとも!」に続き、ひさびさにテレビの面白さを堪能。というか、生のさんまは本当にすごい。つづく「かま騒ぎ」には、予想が外れてさんまも今田耕司もおらず、ガックリ。案の定、木下優樹菜FUJIWARA藤本の話で盛り上がっているテレビを速攻で消して眠る。
連日、テレビの感想でいいのだろうか……。

2009/07/24

断酒

9時すぎに起床。イングリッシュ・マフィン、スクランブルエッグ、ハム、コーヒー。せっかく早起き(?)したのに、ダラダラしたために遅刻してしまう。

体調すこぶる悪し。会社に復帰後では最低調ではないか。調子に乗りすぎたか。なぜかソワソワする。他人の話ばかりアタマに入ってきて、仕事が進まない。まいったな……

打ち合わせと偽り、14時すぎに退社。駅前の中華料理屋で冷やし中華。900円也。

いったん帰宅し一休みしてから病院へ。担当医と最後のセッション。「今週はお酒を飲み過ぎたからか、だいぶ調子が悪いです」というと、「そりゃ、当然だよ〜」と呆れ顔で言われた。やはり断酒せねばならぬか…。これまで半年間のお礼を申し上げた。外国で研究を続けられるそうだ。これからは院長に担当が移ることに。

ところで、ガールフレンドの帰国後、断酒なんてまったくアタマになかったうえに、毎日の運動もやめてしまっている。もう一度、気を引き締めてかかろう。

帰宅後、1時間ほど眠る。夕飯は二人でそうめん、薬味は青葱、茗荷、大葉、白胡麻、山葵。KeyHoleTVで京都テレビのみうらじゅんインタビューを見ながら。平たく言えば『色即ぜねれーしょん』の宣伝。その後は「笑っていいとも」にひさびさ出演した明石家さんまのYoutube映像(やはり島田紳助とは違って「お祭り感」がある)から往年の「BIG3さんま車破壊」、「200827時間テレビでの車破壊再現&今田耕司(彼もお祭り感満載男だ)がヒカレル」までをぶっとおしで観る。気がついたら体調は良くなっていた。

明日の27時間テレビ、おそらく「カマ騒ぎ」でさんま&今田&岡村に紳助も加わって、すごいことになるのではないだろうか。深夜が楽しみだ。しかし、こんなに真剣にテレビに期待するなんて、俺はだいじょうぶだろうか……。

2009/07/23

ディック・エル・デマシアド、野村仁

9時起床。ガールフレンドが作ってくれた朝食。玄米、なすとたまねぎのお味噌汁、目玉焼き、ボイルド・ブロッコリー。今日も朝から疲れてる。ディック・エル・デマシアド来日公演は行きたい(スペースポンチも観たい)けど、今日は止めにしよう、という話をする。

定時に出社。午前は地味に入力作業。

昼食はお弁当を買って近所の公園で。スコット・バークン『イノベーションの神話』(オライリー)を読みながら。ところどころ参考にはなるが、理系はこんなつまらないことに拘泥しているのか、ってな内容。というか、これ、ですます調で訳すのはおかしいのではないか。

16時に退社。六本木にて「野村仁 変化する相 -時・場・身体」展を観る。天体観測してた頃までの作品は本当にすばらしい。のに、その後、宇宙に行ってしまってからは……最後はソーラーカーだもんなあ……。典型的な誇大妄想。

ひさびさに青山ブックセンターに寄ったら、本の選び方と配置がひどいことになっていた。こんな書店なら潰れてしまえばいい。何も買わずに帰宅。

ガールフレンドといっしょに料理。ペンネ・アラビアータ、豆腐のビシソワーズ、ボイルド・ブロッコリー。おしゃれな夕食ですね。『ツインピークス』を見ながら赤ワイン1本空ける。飲み過ぎだー。デザートに白桃。

2009/07/22

全ての装備を知恵に置き換えること

ひどい二日酔い。8時頃に目が覚めてから、何度も吐いてしまう。昨晩、どのように帰ったのかも覚えていない。ガールフレンドに訊いたら、駅で待ち合わせて一緒に帰ってきたとのこと。ええ? ホント? 自己嫌悪に陥り、どうしようもなく落ち込む。会社にも行かずゴロゴロ。石川直樹『全ての装備を知恵に置き換えること』(晶文社)読了。俺もこれくらい身体を動かしたいなあ……同じ年齢なんだよなあ……ごにょごにょごにょ。なんにせよ、清冽な印象。いま読んでよかった感じ。ついでに『Polar』(リトルモア)も読む。
夕飯は一人、チャーハン。今日、正式に退院したという母と電話で話す。

2009/07/21

飲み過ぎ

調子悪い。10時に起きて、朝食を食べてから二度寝する。曇っているからだろうか。あるいは週末の疲れを引きずっているのか。
16時頃出社。18時半まで入力作業。終わりに近づく。
その後、上司とT氏と麻布十番で飲む。生ビールを何杯も、そして赤ワインを3人で2本。最高に楽しかった。……のだが、最後のほうは記憶が曖昧だ。たしか、帰りの電車で上司に絡んだ気がする。さらに、どうやって帰ってきたのか、覚えていない……。

2009/07/20

メダカ3匹追加

12時半起床。やはり調子が悪い。
ブランチはガールフレンドが作ってくれた冷やし中華(胡麻だれ)。jを服用。メダカとタニシの世話。金魚のための青水作りなどで、彼女とちょっと言い争いになる。ポール・ホフマン『放浪の天才数学者エルデシュ』(草思社)を読む。
二人で池袋西武の屋上へ。ビールを飲んだ後、多肉植物を冷やかす。お目当ては青メダカ3匹(♂1、♀2)、ホテイ草2株、フィルターなど。さらにLoftで青竹踏みなどを購入。その後、デパ地下などをウロウロするが、なんか今日はしっくりこない。頭がボーッとする。機嫌が悪くなり、彼女に申しわけなく思う。ということで、帰ることにする。
スーパーで夕食の材料を買って帰宅。夕食はタイカレー。具はエビ、鶏肉、なす、赤ピーマン、オクラ。やはりガールフレンドが作ってくれた。最高においしい! エチゴビール2本。
彼女は共通の友達Pさんの誘いで飲みに出かけ、俺は家でゆっくり過ごす。こんな日もある。

2009/07/19

土用の丑の日

12時起床。昼食は蕎麦を茹でる。薬味はわさび、大根おろし。父が分量を間違えて大量に茹でたので、お腹がいっぱいになる。その後、二人して介護用ベッドにいる母の元に。他愛のない話などをするが、具合が悪いのか、母はあまり反応せず、ボーッとテレビを見ている。「背中が痛い」というので、父がさすってあげていたのだが、気づいたら二人しともそのままの格好で寝てしまっている。疲れきっているのだろう。なんというか、微笑ましいというよりは痛ましい感じがして、胸が締めつけられる。堪らなくなり、リビングへ戻ってソファで新聞を読んでいるうちに、俺もウトウトと眠ってしまう。
18時に母が病院に戻る予定なので、そのついでに父の車で駅まで送ってもらう。車内で「ものすごく身体がダルい」と漏らす母。普段はまったく弱音を吐かない人だけに、相当つらいのだろう。19時の新幹線で東京へ。『ゴルゴ13』、『サイゾー』など、どうでもいいものを読む。
帰宅すると、ガールフレンドが鰻の蒲焼きを買ってきてくれていた。しかも、日本産のおいしいやつ。そうか、今日は土用の丑の日か。ご飯、お豆腐のお味噌汁、サラダの夕飯。感激〜。
父親に無事帰宅の電話。「君たちに会えて、すごく気分転換になった。本当のことを言うと、もう八方塞がりになりかけていたんだ」と言う父に、励ましの言葉が見つからない。正直に言って、一日実家に帰っただけで、俺も塞ぎかけてしまっていた。これからも、両親のために頻繁に帰らねば、と思う。
ガールフレンドが『ポニョ』DVDを買っていてビビる。2回目も素晴らしいし、おまけの絵コンテも完璧。

2009/07/18

帰省

12時ごろ起床。シャワーを浴びて、めだかの水槽を掃除。ガールフレンドが作ってくれたシラスと大葉、しめじのパスタを食べる。

大家さんが14インチのテレビデオをくださる。助かった。これでようやく深夜番組を見れるようになった。

からだが酒臭いのでもう一度シャワーを浴びてから、新幹線で大阪へ。ガールフレンドが駅まで見送りに来てくれた。 スーパーで買い込んだプリングルス、お茶を消費し、『週刊文春』にざっと目を通す。

20時に実家到着。病院から特別に外出許可が出た母は、和室に備えた介護ベッドに横になっていた。ただいまを言うも、あまり元気がない。父が作ってくれた、やたら豪勢な夕食を、弟、父と食べる。ごはん、味噌汁、刺身、鰹のたたき、野菜の煮物、サラダなど。ビール3本。

2009/07/17

神さま

10時半起床。昼頃、ビデオを返却し、さくら水産で昼食を食べてから出社。今日も地道に入力作業。

定時に退社後、下北沢ベースメントバーへ。おにんこ!、The Mascutz、神さま、害チューン、撃鉄のライヴ。おにんこ!はなんか青春感じるなー。

ところで今日は、神さまというすばらしいバンドに遭遇できた。この狼藉、このドカベンスタイル(笑)のドラム……久々に心うち震えた。

ガールフレンドたちとしこたま飲んで2時ごろタクシーで帰宅。下北沢からのタクシー代、7000円もした。


神さま 「SEX」のPV

2009/07/16

この執拗な犬ども

12時起床。疲れがドッと出て、眠ってしまった。
わかめご飯、お豆腐のお味噌汁、山椒昆布でブランチ。ガールフレンドと一緒に家を出る。
出社後は、地道に入力作業など。途中、休憩がてら『現代思想 特集=ミッシェル・フーコー』(2009年6月、青土社)の中の佐々木中論文「この執拗な犬ども」を読む。むちゃくちゃ面白い。やはりディオゲネス、Always Bestだよねー。これについてのまじめな話は後述。
定時に退社。表参道の美容室に寄って、髪を切る。さっぱり。Incapacitantsの10枚組ボックス『Box is Stupid』をついに入手する。スーパーに寄って帰宅。
夕食は一人で。わかめごはん、山椒昆布、納豆、もずく酢、トロすき身。エチゴビール2本飲んでダラダラ。

で、佐々木中「この執拗な犬ども」。
ソクラテスから二つの流れが湧出したのだ。おそらくは「形而上学」と「文体論」のそれぞれの別の配分の様式であっただろう二つの流れ、プラトン主義とキュニコス派という二つの流れが。プラトン主義は、この世界の背後あるいは上に「真の世界」を前提とする。そこで問題になるのは端的に「この世界とは別の世界」「他界」における「永生」である。しかしキュニコス派において問題になるのは「他界の問題ではない。別の生の問題である」。つまり「この世界における別の生」が問題となるのであり、そしてその別の生こそが彼らにとって真の生なのだ。繰り返し引用しよう、キュニコス派の問いはこうである。「生は、本当に心理の生であるためには、別の生に、ラディカルにまたパラドクサルに別の生にならねばならないのではないのか」。「真の生は別の生である」。プラトン主義におけるように「この世界とは別の世界を」でも「この世界とは別の世界における永遠なる生を」でもない。そうではなく、「この世界における別の生を」「このひとつの世界において別の生を、永遠に」求め続けるということだ。こうした「真の生が他の生の原理となる運動」であるかぎり、「キュニコス派はいずれにせよ西洋における根本的な倫理的経験の母体であり、胚芽を構成する」。真の生を、すなわち別の生を求めるということ。ここに古代哲学から中世の霊性、そして近現代の「運動」をも貫通する「キュニコス的戦闘主義」が存続する。「他の生としての真の生、戦闘の生としての、世界を変えるための」。

「判断」が問題になる。つまり、自己統治の問題がここに関わってくる。
今まで、自分ではそれなりにキュニコス的生を楽しく生きてきたつもりである。だが、病気になって(多少の被害者意識とともに)考えたことは、今の世の中においては、プラトニズムではなく、功利主義的自己統治の跋扈こそが真の敵である、ということだ。これは論文中、「自己への配慮」「生存の美学」を批判する文脈においてたしかに語られてはいるが(「セレブたち」の「ダイエット」、あるいは「管理経営」「マネージメント」「自己啓発」)、この批判は型どおりのものでしかない。現代において本当に恐ろしい存在様態は功利主義であることを、もっと根底的に考える必要がある。自己統治は、今、技術と混じり合うことで、とんでもない代物になりつつあるのだから。
フーコーが「真実を言うこと」の四つの様態を区別する中で挙げていたうちの一つ、「既成のテクネーについて既存の権威において語る、『私を筆頭に誰でも知っていることなんですが教えることに勇気なんて要らないわけですよ』と冗談めかして描写される教師と技術者のそれ」(佐々木論文より)、その後この論文では、この様態をフーコーに準じて「教師」として分類しているが、今現在、この形式がまさに「技術者」の言説として復活してきていることを、肝に銘じようではないか。この、したり顔した気持ち悪さ……社蓄どもよ、今に見ておれ。

2009/07/15

東尾理子と石田純一、ネオテニー・ジャパン、ウィンターガーデン、三宅一生、みたままつり、ポニョ……


850分起床。マフィン、ベーコンエッグ、オニオンスープの朝食。j、ビタミン剤を服用。

東尾理子と石田純一のカップル誕生のニュースを知る。このようなことが現実になるなどと、20世紀末に誰が想像しえただろうか。あの、「賭け麻雀」で有名な東尾修の、あのうら若き娘が! われわれは確実に新しい時代を生きていると痛感する。


ガールフレンドといっしょに開館直後の上野の森美術館へ「ネオテニー・ジャパン 高橋コレクション」展を見に。会場でLさんに偶然お会いする。素晴らしかったのは名和晃平、伊藤存、加藤泉あたりだろうか。もちろん会田誠《紐育空爆之図》は大傑作 鴻池はなんで人気あるんだろ?って感じ。今度、オペラシティで確かめなきゃ。

秋葉原で休憩後、原美術館でやっている似たような展覧会「ウィンターガーデン 日本現代美術におけるマイクロポップ的想像力の展開」へ。こちらでは、泉太郎、田中功起、八木良太がすばらしい。この3人は本当にセンスがいいなー。もちろんChim↑Pom《イケてる人達みたい01》も、まあまあ良作! 國方真秀未とかいうひどいものまで展示されていたが、あれはいったいなんなのか。

両方の展覧会、「若手美術家の台頭」などという毎年のように語られるテーマより、「美術と工芸」という埃をかぶった問題を日本美術がいまだに解決できないでいることのほうに目が行く(この問題についてはこのあいだも書いたが)。この捩じれた問題にそれぞれの方法で肉薄していたのは、好き嫌いは別として、やはり村上隆(箱、屏風)、そして小沢剛(醤油画)、さらに前出の会田であった。この世代の充実っぷりはなんだろう。

代々木駅前の中華料理屋で冷やし中華。ひさしぶりにテレビでテレビ番組を見たのだけれど、なんと今や、中山秀征が山田邦子をロケで使う時代なんだな…。そしてゲストが元ミニスカポリス。これが昼の番組。20世紀末には想像しえなかった光景がここにもあった。


出社。三宅一生が被爆者だったことを告白、というニュースにいたく感動する。


定時で退社。ガールフレンドと待ち合わせて、靖国神社の「みたままつり」へ。はじめて行ったのだが(そして2度目はないが)、人が多くてびっくり。サーチライトで煌煌と照らされる大鳥居は、ラファエル=ロサノ・ヘメルの作品のよう。栃木から「在郷軍人会」みたいな老人どもが3台の観光バスで乗り付けて来たり、かなり異様なスペクタクルであった。「信仰の違い」からお参りは固辞。

神保町で中華料理を食べて帰宅。シャワーを浴びて、借りてきた『崖の上のポニョ』を今さら観る。これは……まごうことなき大傑作。生命の躍動そのもの。大感動で就寝。


それにしても、松原千明といい、長谷川理恵といい、東尾理子といい、石田純一は筋肉質な女が好みなんだな、となんだか大発見をしたような気になる。

2009/07/13

鴎外、クストリッツァ

1010分起床。バナナとコーヒー、昨日のスープの残り。もう一度、インターネットで昨日の都議会選挙の結果を一通りチェックしてから家を出る。ざまを見ろ、自民党。

『森鴎外全集3』(ちくま文庫)を読みながら通勤。「カズイスチカ」「妄想」とか、イヤな奴だが染みることを言う。

午前午後とお仕事。

昼はお弁当500円を近所の公園で。鴎外全集の続きを読みながら。

定時で退社。駅でガールフレンドと会い、いっしょに帰る。脛があせもっぽいので桃の葉ローション購入。シャワーを浴びて、さっそくバシャバシャつける。彼女が料理しているのを眺める。至福。わかめごはん、しめじとお豆腐のお味噌汁、焼き鮭、ほうれん草とブロッコリーのソテー、もずく酢。ふたりでビール4本。エミール・クストリッツァ『黒猫・白猫』を観ながら。そのあとは、彼女の仕事について話したりマッサージしあったり。

2009/07/12

選挙

12時50分起床。ガールフレンドは友人の結婚式に出かけているので、今日は一人。
青ネギを刻んでそうめんを食べる。
コンビニでアイスを2本買い食いし、選挙へ行った以外は外へ出ず。インターネット三昧で怠惰に過ごす。夕飯は……何を食べたっけな。
夜中、インターネット選挙速報を見て盛り上がる。

2009/07/11

夢で逢えたら

11時起床。youtubeで『夢で逢えたら』のコントを観ながら昼食の準備。たしか小学校5〜6年生の頃放映していて、一度も見逃さなかったのが自慢だった。いまだにとてつもなく面白い。清水ミチコの「みどり」、松本の「ガララニョロロ」最高。
そうめんを茹で、ネギ、大葉、オクラをきざんで薬味に。夏だなー。
冷房をつけて『ツインピークス』を観る。いよいよ狂ってきた。
出かける直前、ひどい頭痛が。薬を飲んで、ガールフレンドがマッサージをしてくれる。大学時代の友人たちと19時に池袋で待ち合わせ。しこたま飲む。楽しい酒。二次会からはガールフレンドも合流し、ソウル・バーで乾杯。
2時頃、タクシーで帰宅。したのかな。

2009/07/10

四万六千日


910分起床。玄米とお味噌汁、たまごやきの朝食。黒沢清『ドッペルゲンガー』を見てから出社。

会社には一瞬だけ滞在し、すぐに打ち合わせに出る。新宿。その後、Vacantにて開催中の「Zine's Mate」展をちらりと覗く。「オルタナティブ」やなー。ただし「アングラ」と違って、禍々しさがない。そして、この時代に本当に必要なのは、禍々しさなのだ。と切に思う。

いったん帰宅してから病院へ。診断はいつもどおり。今月いっぱいで辞められる先生に、次からどの医者にすればよいかを聞くと、あなたは誰でも大丈夫、そんなことで症状が悪くなることはないよ、と言われる。ま、それはそうだろうけどさ。

帰宅後、ガールフレンドと浅草寺へ四万六千日のお参りに。バス移動。彼女は浴衣姿、最高にキュート。浅草はすごい人だかり。お参り後、ビール飲んで焼そば食べて、縁起物ということで雷除けとほおずきを買って、近所の小料理屋にて食事。生ビール2杯、焼酎2杯。その後、バスに乗ってワインバーへ移動。赤白1杯ずつ飲んで帰宅。白はChateau De Cugat、赤はイタリアの……なんだっけな。飲み過ぎて沈没。


2009/07/09

粟津潔、デイヴィッド・ホックニー、安東次男

11時半起床。からだがダルい。こうして長引くのはまずいなあ。ガールフレンドがベッドでゴロゴロしながら『のだめカンタービレ』を読んでいるのを見て、羨ましくなる。そうめん、オクラ納豆でブランチ。

国際展示場TIBFへ。粟津潔『デザイン図絵』、デイヴィッド・ホックニー『Secret Knowledge』(以上、青幻社)、安東次男『風狂始末』(筑摩書房)。いずれも半額で買えた。ラッキー。人が多くてしんどくなった。18時に終了。Chim↑Pom展に行くつもりだったが、体調を考慮してやめにする(帰宅後、諸事情で延期になった旨メールが届いており、タイミングよかった)。

夕飯はピーマン、もやし、チンゲンサイ、豚肉の炒めもの(つまり冷蔵庫の整理)、オクラねぎ納豆、もずく酢、大根のお味噌汁、玄米。料理しながらエチゴビール1本。からだがバテ気味なので、早めにお風呂に入って、ベッドでゴロゴロ。ミシェル・セール『セールの世界』(法政大学出版)を読んでるうちに寝てしまう。ドゥルーズに関する記述を読んで、ちょっと元気が出た。


ジル・ドゥルーズに話を戻しましょう。彼は本当に、冗談でなく、つまはじきにされたのです。彼にたいしてわたしが送る最大の賛辞は、哲学的思考によって彼が本当に幸せになったということです。しんから心の澄んだ人になりました。言うなれば、模範的な人に。(p.58)

2009/07/08

あんにょんキムチ

10時起床。調子悪し。メロンパン、ベーコンとキャベツの炒めもの、コーヒー。jを服用。

ほんと、まったく疲れが取れない。これは夏を通して同じはずだから、今年は特に注意しないと体調に相当響くだろう。ガールフレンドと一緒に家を出る。出社前にモスでコーヒー飲みながら『神経言語プログラム』読了。俺の病気には、意外と役に立ちそう。

遅刻で出社。午前は依頼など。

昼食はまたモスに行ってホットチキンバーガーなる新商品を。『瀧口修造コレクション1』を読みながら。

午後はしばらく入力をして、新宿で打ち合わせ。で、終了。

ガールフレンドと待ち合わせてポレポレ東中野へ。松江哲明『あんにょんキムチ』『セックスと嘘とビデオテープとウソ』。正直、後者はガールフレンドと一緒に見るもんではないな(笑)。

2009/07/07

『ツール100話』

安家達也『ツール100話』(未知谷)から猛烈に面白かった話の引用。ツール・ド・フランスの歴史とは、機械を操る野蛮な動物どもの歴史である。信じがたい逸話ばかりがここにはある。世界で一番はじめに市民革命が起こった国の人民であるとはどういうことかがこれでわかる。
(1904年)11月30日、フランス自転車連盟は総合順位4位までの選手全員を失格にしたのである。〔…〕彼らの行った不正行為は簡単に言えばコース逸脱である。彼らは詳細な地図を用意し、夜陰に紛れて近道を走り、また列車に乗ったり、暗さを利用して密かに伴走する車に摑まったりした者もいた。〔…〕
これ以外にも、この時代のツール・ド・フランスは怪しげな事件に事欠かない。この年は、まず優勝したコルネもレース中に突然の睡魔に襲われて道路脇の溝に転げ落ちたり、鶏肉を食べて突然気持ちが悪くなったりしている。〔…〕また、彼以外にもマイヨの中に掻痒散をふりかけられ、かゆさのあまり気が狂いそうになった者がいたり、スタート前にブレーキバーが壊されたり、フレームに鋸で切れ込みが入れられたりという事件が頻発した。(p.16)

この年(1905年)のツールもある事件により知名度を高めることになった。いわゆる「鋲まき事件」である。レースディレクターのデグランジュは自転車レースに反対する人々との摩擦を避ける意味もあって、ゴール地点をそれまでの都市中心部から周辺部へ移していた。しかし第1ステージで自転車レースに反対する狂信者が125キロもの靴の鋲をコース上にばらまいたのである。靴の鋲というのは頭の部分が重くできているので、尖った先が上を向きやすい。パンク、転倒に恐れをなした選手達が、ツール史上最初のストライキを起こした。(P.23)

この時代のツールは選手間の実力の差がかなりはっきりしていた。現代のいわゆる科学的トレーニング方法も、エースを勝たせるためのチームプレイのシステムもなかった時代である。〔…〕
また、(ルネ・ポッティエは)グルノーブルからニースまでの345キロの第5ステージではコース半ばにしてすでに後続に1時間のリードを奪い、悠然とコース途中のカフェに入ってワインを一杯注文したという。そして後続が通過していった後に、再び自転車にまたがって、あろうことかこのステージを優勝してしまうのである。
彼がもしその後もツールに参加することができていれば、ひょっとするとツール史上最初の総合優勝2勝目をあげたかもしれない。だが彼はもうツールに参加できなかった。優勝から半年後に彼は首吊り自殺してしまったからである。自殺の理由は妻の不倫だったといわれているが、遺言はなく、はっきりした原因は分からない。遺体の脇にはツールの優勝メダルとリボンが丁寧に並べられていたという。そして彼がロープを掛けたのは、普段自分の自転車を吊り下げておくフックだった。(P.25)

ところが、4488キロに渡るレースの最後、本来ならば彼(フランソワ・ファベール)にとっての戴冠式となるべきはずだったパリへの最終ステージで事件は起きた。この町へ先頭で入ってきたファベールのチェーンが切れてしまったのである。彼は自転車を押して走り始めた。観客は大興奮である。それでも結局6分半の遅れでステージ3位になり、結果から見れば、予期せぬ事態も何のその、彼の総合優勝は揺るぎようもなかった。〔…〕
彼には大食漢としていろいろな逸話が残されている。この年(1909年)のツール期間中にも、カツレツを168枚も平らげたという。単純計算で毎日6枚食べたことになる。しかし2年後にはこの大食ぶりが災いして、休養日のマルセイユで食中毒になりリタイアすることになる。なにしろ、同じくツールに参戦していた義理の弟エルネスト・ポールと2人で16人前のカキを食べたのである。(P.30)

トゥルマレ峠は、今や唯一のライバルとなった同じチームのフィリップ・テイスに18分の大差を付けて通過、(ユジェーヌ・)クリストフの総合優勝が近づいたかに思われた。彼がハンドルの異常に気付いたのはそこからの下りでのことである。止まってみると自転車のフォークが折れていた。この時代は機材の故障は致命的だった。代わりの自転車はなかったし、交換部品すらなかった。もしホイールが壊れれば、自分の力だけで直さなければならなかった。他人の手を借りることが禁じられていた〔…〕。
かくしてクリストフは鍛冶屋を求めて自転車を肩に担ぎ、折れたフォークを右手にもって10キロ離れたピレネーの小村サント=マリー=ド=カンパンへ急いだのである。その村の鍛冶屋に到着すると、彼はすぐにハンマーと金床でフォークの修理をはじめたが、後ろではディレクターのデグランジェと3人の審判が、本当に彼が1人だけで修理するかを監視していた。結局彼はこのステージでトップから3時間50分遅れてゴールした。しかし彼の後ろにはまだ15人の選手がいたのである。デグランジェはクリストフの行為に最大級の讃辞を惜しまなかったが、レース規則45条、2項「修理に際して第三者の手を借りてはならぬ」に違反したとしてペナルティタイムを課した。クリストフがハンマーと金床でフォークを修理している間、鍛冶屋の7歳の少年が彼のためにふいごを操作していたからである。(P.45)

さて、この年(1928年)最強のアルシヨン・チームはすでに第1ステージから他チームを圧倒した。前年の優勝者ニコラス・フランツは第1ステージでマイヨ・ジョーヌを着ると、最後までそれを守り通すのである。〔…〕だが第19ステージ、メッスからシャルルヴィルへの159キロだけは衝撃的だった。フランツの80キロの体重にフレームが耐えきれず、折れてしまったのである。彼はチームメイトを捜したが、周りにはいない。ふと観客の女性用自転車に目が留まる。〔…〕彼はベルと泥よけと女性用の幅の広いサドルのついた小さな自転車にまたがって、まだ100キロも先のゴールに向かった。(P.71)

ロビックのその後は不運続きだった。頭蓋骨、腕、足、鎖骨、両肩とおよそ骨折することのできる骨はすべて折った。〔…〕
「掟破り」のアタックに敗れたブランビラはロビックを恨み続けた。彼は庭に穴を掘ってその時の自転車を「埋葬」したという話まで伝わっている。しかし30年以上もたった1980年、レセプションの席上でロビックとブランビラは和解の握手を交わした。その後のことは、月並みだが運命とは皮肉なものであるとしか言いようがない。その帰り道でロビックは交通事故で命を落とすのである。(P.104)

この年(1950年)の夏は非常に暑く、記録によると日陰でも45度を超える日があったという。この暑さは、この年初めて出場した北アフリカのアルジェリア・チームにとっても堪え難いものだった。このチームのアブ=カル=カデル・ザーフという選手は第13ステージで後続に15分の差をつけて逃げたのだが、途中で暑さに耐えられずカフェのテーブルに置かれていたワインを2本飲んで酔っぱらって道ばたで寝込んでしまった。これでザーフは有名人となり、ツール後の各地で開かれるクリテリウム・レースに引っ張りだこになったそうである。(P.119)

この年(1951年)はもう一つセンセーショナルな事件が起きた。初出場のヴィム・ファン・エストは第12ステージでオランダ人として初めてマイヨ・ジョーヌを着ながら、翌日オービスク峠でコースアウトする。当時の『レキップ』紙の記事では約100メートル、ウッドランドは20メートル、シャニーのツールの歴史では50メートル、最新のオフィシャル本J・オジャンドル篇の『ツール・パノラマ』では75メートルと書かれているが、いずれにせよ彼は崖から転げ落ちたのである。そして小さな出っ張りに背中から着地した。もし少しずれていれば700メートルの崖下に落ちていたと言われている。上からのぞいたチームメイトはマイヨ・ジョーヌを着た彼の姿が、岩壁に咲くキンポウゲの花のように見えたと語っている。(P.124)

しかしエースたちは誰も他の者のために走る気などなかった。互いに牽制しあい、最終的には足を引っ張り合ったのである。(P.142)

彼(フェデリコ・バーモンテス)は6回山岳賞を獲得している。彼を有名にしたのは1954年のコミカルなエピソードである。グルノーブルからブリアンソンヘ向かう216キロの第18ステージ、ツール初出場の彼は信じられないほど軽々と標高1074メートルのロメイエール峠を登ってきて、かなりのリードを奪って頂上に到着した。ここで彼は自転車を降りてアイスクリームの屋台でバニラアイスを1本買うと、そこに坐って美しい景色を見ながら悠然とアイスを舐めはじめたのである。しばらくすると後続集団が来た。そこでおもむろに集団の背後について谷へ下っていった。彼は登りこそ信じられないスピードで走ったが、下りは苦手で、ほとんどびくびくしながら下っていくのだった。伝説ではアマチュア時代に下りでコースアウトしてサボテンの群生につっこんだことが強烈なトラウマになっていたという。彼にとっては一人で下るより、集団の方が安心だし速かったのである。(P.145)

12チーム120人で争われたこのツール(1959年)で、前年に引き続いてフランス・チームはアンクティル、ボベ、ロジェ・リヴィエール、ジェミニアーニとエースを4人も抱えていた。その誰もが他の選手のために走る気などないどころか、例によって他の奴が勝たないなら自分が勝てなくても良いという強烈なライバル意識で潰し合いをしたのである。(P.146)

2009/07/06

KeyHoleTVで観るウイグル情勢

11時起床。全裸で寝ていたため、ちょっと風邪気味。今日は会社を休むことにする。
玄米と納豆、ゴーヤの浅漬けでブランチ。jを服用。その後またベッドで16時まで休む。起きてパソコンをいじったり。
ガールフレンドが帰ってきてKeyHoleTVを入れる。
たらこの焼きそば、タコのマリネ。ビール3本。
パソコンのディスプレイで久しぶりにみるTVは、覚せい剤のように速いテンポで異様に感じる。ウイグルの出来事を知りビビる。造反有理!


2009/07/05

without records

12時10分起床。よく寝た。健脳食(バナナ+プロテイン)、jを服用。ガールフレンドが部屋中にモノを広げて仕事をしているので、邪魔しないように邪魔をする。
15時頃、玄米、ベーコン、じゃがいも、スナップエンドウ、キャベツ、ブロッコリーの茎のアーリオオーリオで食事。ビール2本。
17時頃、彼女と二人で大友良英「without records」展@Vacant。YCAMでの開放的な展示とは打って変わって、今回は闇の中。残念ながら、人が多すぎて音には集中できなかった。あらためて平日に訪れることにしよう。ところで、今回の展示、照明の使い方がすばらしい。白熱灯がここまでスピード感を持つとは。これはプログラマーのセンスがいいのか。この照明のスタイル、どちらかというと、高嶺格と大友とのコラボレーション作品《orchestras》を思い出した。
ライヴは、ダラダラした湯浅湾がなんか良かったなー、と。後ろで鳴っている毛利悠子のノイズもグッときた。さらに、階段で小銭を投げていた飴屋法水にはギョッとした。お酒を飲んで終電で帰宅。

2009/07/04

ガールフレンドの母親、ガールフレンドの祖母

11時20分起床。近所のお総菜屋で買ったおにぎり2個。明太子と子持ち昆布。jを服用。
銀行でボーナスの一部を下ろしてからガールフレンドと秋葉原。ついに新しいiMacを購入。店員に訊いてみると、テレビとして使用するには他にも面倒な手続きが必要らしい。Bフレッツとか入っていないし、まあ2年後に考えることにしよう。なかなかのスペックのものをセコハンで購入できてほくほく。その後、デジカメなどを冷やかす。
東京に遊びにきていたガールフレンドの母、祖母と待ち合わせ。お蕎麦屋さんで昼食をご一緒する。瓶ビール1本。その後、4人で谷根千を散歩して駅で別れる。

夕飯は俺が作る。玄米、大根の葉と油揚げのお味噌汁。タコとズッキーニ、ドライトマトのアーリオオーリオ、ゴーヤと梅干し、大葉の浅漬け。タコは火を通しすぎて固くなってしまった。味はおいしいだけに、これは残念。
家で仕事をしているためお酒を控えているガールフレンドをよそに、白ワイン1本をほとんど1人でガブ飲み。Raoul Clerget 2008。