2009/06/30

時分の花

920分起床。まだ精神的な疲れが残っている。551の肉まんとコーヒーで朝食。jを服用。10分ほど遅刻して出社。昼過ぎまで入力のお仕事。

昼食はマクドナルドにて『思想地図 アーキテクチャ特集』を読みつつ。30年間という、短くはない男の生涯において、はじめてビッグマックを食べた。意外にパサパサした食感。はたしてマックの椅子は硬く設計されており、巻頭シンポジウムを読み終えたところで休憩時間は終了となる。

それにしても、20年前(90年代)から言っていることが何も変わらない浅田彰の物悲しさは一体どうしたことだろう。磯崎新の貪欲さ(これこそポストモダンの雑食性だ)と比較して、態度の違いばかりが際立つ。宇野常寛の問題構成は、俺と同世代というのが痛いほどわかる懐かしい構図(「棲み分ける批評」とか)に終始しているが、この構図からは事件は生まれまい。残念だが、彼は時分の花だと思う(いや、吉本隆明のような実存的人物として、時分の花を咲かせ続ける可能性もある)。いずれにしても、状況は完全に東浩紀の一人勝ちですね。東氏にしてみたら、現状は退屈で仕方ないのではないか。


午後、山本現代でchim↑pom展。そういえば杉本博司の事務所も同じ建物なんだな。展覧会は意外と力作ではないだろうか。こちらも時分の花を咲かせ続けるかどうか。


しかし今日は疲労度が濃い。首のリンパが痛む。蒸し暑い天候のせいもあるのかもしれない……さっくり帰宅することにする。帰りの電車で石川九楊『書と日本人』。ガールフレンドと駅で待ち合わせてスーパーに寄って帰宅。俺は速攻で寝込む。夕飯は彼女が作ってくれた塩焼そばとタコのマリネ。どっちもメチャ美味。ビール2本。食後は二人でおしゃべりしたり、ゆっくり過ごす。

2009/06/29

deejay, saved my life

12時起床。前日までの長距離移動の疲れがドッと出てしまう。今日は会社を休むことにする。

ブランチとして551の肉まんを食べてからjを服用して、またベッドでゴロゴロ。2時間ほど寝て、起きて、苫米地『新・福音書』を読んだり、くだらない感じで過ごす。夕方メールチェックすると、うれしい知らせが舞い込んでいた。仕事がんばらねばなあ。

図書館から借りてきたBanksyの作品集を見ながら、じゃがいもとたまねぎのお味噌汁を作る。ガールフレンドが帰ってきたので、二人で食事。玄米とちりめん山椒を。

夜は六本木のイベントに出かけて、帰宅は23時半。DJが楽しかった。が、疲れた。

スーパーに寄ってラーメンとからあげ、ポテトサラダを購入。おなかいっぱいになって就寝。

2009/06/28

モルヒネと551

9時半頃起床。母が病院を出たがってたいへん錯乱した、との連絡が父から入る。コーヒーを淹れて、新聞を読んで、まずは帰りの準備をまとめる。

父が仕事を抜けて迎えに来てくれたので、弟と二人、父の車で病院まで。病室には祖母も来ていた。母は印象としては落ち着いていて、ベッドではなくソファに座っていたりと元気そうなので、とりあえずは安心する。が、身体的に元気になれば精神的な不満も募るわけで、邪悪な目をして病院と医者への不満を述べ出すと止まらなくなる。祖母は途中で帰宅。母は「信じてはもらえないかもしれないけど」と前置きし、夢と現実、死と生がごっちゃになった話をしはじめ、俺はかなりショックを受ける。まだ身体がモルヒネに慣れていないためだろう。ベッドでマッサージをしてあげるとすやすや寝てしまった。

病院の近所のうどん屋で昼食。関西に来たからには、一度はうどんを食べて帰りたいものだ。

病室に戻ると、東京から叔母夫婦が来てくれていた。いつのまにか、母の話も常識的な範囲に戻っている。自分の美学を強烈にもっている人だから、姉に醜態は見せられないと感じたのだろう。

15時頃、病院を後にする。新大阪駅551でガールフレンドへのおみやげを買い、東京に戻る。新幹線内で『ツール100話』『シータ脳を作る』読了。前者は最高に面白い。後者は最悪に役に立たない。ビール2本、チップスター食って爆睡。

帰宅後、気持ちが落ち着かず、ベッドでギターを掻き鳴らしたり、自分でもとまどうほど異常な感じ。気が張っている。夕飯はコンビニ弁当で済ます。ガールフレンドが打ち合わせから帰宅し、やっと安心する。

2009/06/27

母の見舞い

12時起床。実家。シャワーを浴びて、にんじんケーキを食べる。モノレールに乗って母のお見舞いへ。昨晩より確実によくなっている。話がはっきりしてきた感じだ。二人で、冷蔵庫に冷やしてあったビワやブドウを食べたり(本当は胃に何かを入れるのは良くないのだが)、マッサージをしてあげたり。「季節の果物でいえば」という話で盛り上がる。
昼は病院の食堂にてカレー。具が入っていなかった。680円。
夕方、弟が到着。『ツール100話』の続きを読んでいると、いつの間にか母は寝ていた。そのまま夜も起きず。病室の電気を消して、父と弟とで中華料理を食べに行く。男三人で、これでもかというほど、がっつり食べて帰宅。月曜日に看護用ベッドやら車椅子やらが届くというので、客間にあった荷物をすべて2階に上げる。俺は力仕事はまったく役に立たず、顔を真っ赤にして机を運んでいたのを見られて三人で爆笑。というか、二人が屈強すぎるのだ。風呂上がりに父親をマッサージしてあげてから就寝。

2009/06/25

母の容態

9時15分起床。だんだん起きるのが遅くなってきている。要注意。それにしても今日も暑い。眠りが浅い気がする。
朝はガールフレンドが作ってくれた玄米と卵焼き、お味噌汁。デザートに冷えた水蜜桃。jを服用。9時45分に家を出て、遅刻せずに会社に着いた。
昼頃、父親から電話。母親の容態がかなり悪いとのこと。意識が朦朧として言動が怪しいとのことで、父親はかなりショックを受けている。カリウムが足りないのかもしれないと父は言っている。原因がそれだけならいいのだが。いずれにせよ、母もかわいそうだが、最愛の妻のそんな姿を目の当たりにする父もかわいそうでならない。どうにかならないものだろうか。急遽、明日の晩に帰省することにし、方々のスケジュール調整をする。
14時過ぎにいったん抜けてヒーラーの診断を受ける。確実に良くなっているし、仕事の面でも心配する必要はないと言われる。母親のこともフォローしてもらう。
定時までお仕事。その後、表参道に来ていたガールフレンドと待ち合わせて、一緒に帰る。元気がないのを彼女が察したらしく、根津で途中下車して(彼女のおごりで)飲み屋で食事。うは。瓶ビール3本、おなかいっぱいに食べて帰宅。ごちそうさま。帰宅後、ミーターズを聴きながら、さらにヱビスビール2本。
弟から電話。急遽、母と会ってきたが、やはりかなり悪いとのこと。弟が見舞いに来ていることを、二度驚いたらしい。むー……大丈夫だろうか。

2009/06/24

暗黒神話

9時過ぎ起床。コーヒーと昨晩の残りのお味噌汁。お味噌汁、ちょっと酸っぱかった……。こんなの食べて大丈夫だろうか。jを服用。
会社には5分ほど遅刻。復帰早々これではいけないなー。かなりの時間をかけてヘヴィなメールを一通書き、ヘロヘロになる。他には方々にお礼を送ったりといった復帰的業務をこなす。
昼は近所の定食屋でトンカラ定食。950円。おいしいが前日とのコストパフォーマンスを考えると、どうなんだろという感じ。結局ご飯を食べた後、前日お弁当を食べた藤棚へ行き、読書したりしてるわけだし。ちなみに、途中で読むのを止めていた『働かない』の続きを読んだ。
帰宅後、諸星大二郎『暗黒神話』を再読しながら1時間半ほど夕寝。読後、自分もこの年齢(31歳です)になってみるとかなりの地方を訪問していたんだなあ……という変な感慨が湧いた。さらに、おれが移動した箇所もヤマトタケル神話と近かったりするのが不思議。ま、言ってみれば、古来、人の集まる場所に神話ができたわけだから、不思議でも何でもないか。
夕飯はガールフレンドと。オクラと納豆と水菜のそば、ゴーヤとしその浅漬け。美味なり。12時には就寝。

2009/06/23

カード審査

8時50分起床。昨晩sを半カケ服用したうえでドライ&扇風機で寝たからか、目覚めもいい。玄米にゆず味噌、ズッキーニとたまねぎのお味噌汁を作って朝食。天気が悪いから洗濯物がクサいという問題でガールフレンドと盛り上がる。jは飲み忘れた。
今日も遅刻せずに出社。17時すぎまでお仕事をこなす。昼食は500円のお弁当を購入して近所の公園で食べる。菜の花のごま和え、ちゃんぽん、焼売と野菜のあんかけ、わかめご飯など。これがなかなかおいしい。安いし。食後、あんまり気持ちがいいので藤棚の下で思わず昼寝。
行き帰りの電車で『絵はがきの時代』の残りを読了。随所に「プロセスへの異様なこだわり」を感じる良書。
スーパーへ寄って帰宅。鮭を焼き、ゴーヤで浅漬けを作る。ガールフレンドが作ってくれた切り干し大根とツナのサラダ、お味噌汁とたまごかけ玄米で夕食。エチゴビール2缶。
食後、冷やしておいた祇園辻利のお茶を淹れ、コンビニで買ってきたカールを食べながら、ナガオカケンメイらが作った『デザイン物産展ニッポン』を手にするも、これが、内容云々の前にひどいデザインで読む気が起こらず。誰かと思って奥付を見たら、御手前の仕事であった。この手の「いい感じ系」デザイナーのほとんどが日本語組版の基礎もできていない状態なのは(有山を除く)嘆かわしい限り。本を閉じて、ひさしぶりにアンビシャス・ラヴァーズを聴いたりして過ごす。
そういえば、クレジット・カードの審査にまた落ちた。その旨のお知らせを封書でいただいた。今年2回目。俺はいったい、いつになったら彼らの信用を得られるのか。まあ、自業自得なわけだが……人生にはあまりにいろいろなことが重なりすぎてお金を払う暇もない時期だってあるでしょうに! そういう人のための金貸しでしょうに!

2009/06/22

復帰

9時20分起床。というより、昨晩はほとんど眠れず、最悪な気分で朝を迎える。暑いし、妙にお酒が残っているし、身体が緊張しているし……今日から会社に復帰だからか。ガールフレンドが作ってくれたたまごかけ玄米、お味噌汁、セロリの浅漬けで朝食。jを服用。彼女のおかげで遅刻せずに出社できた。
復帰1日目、あまり力を入れず淡々と仕事をこなす。途中、高田馬場で打ち合わせなどを挟み、17時すぎに退社。しばらくはこんな感じで過ごそう。
昼食は馬場のマクドナルドでクォータリーなんとかというやつ。哀れな食事である。駅前のロータリーで行なわれていた「ちいさんぽ」の撮影を眺めながら。父に電話し、母の様子を聞く。その後、母に電話してみたが、寝ていたのだろうか、出なかった。
帰宅後、セネカ『人生の短さについて』(茂手木元蔵訳、岩波書店)、平岡正明+上杉清文『どーもすいません』(白夜書房)を読んでウトウト。
ところで例の連中、つまり先々のことをいつも口走っている人間たちの考えほど愚劣なものがありえようか。彼らはますます良い生活ができるようにと、ますます多忙をきわめている。生活を築こうとするのに、生活を失っているのだ。彼らは自己の企てを遠い将来に向かって整えている。しかし事を先に引延ばすのは、生活を遙かに遠くに投げ出すことである。
まことに、おっしゃるとおりである。
夕食は玄米+納豆、お味噌汁の残り、セロリの浅漬けで軽く済ませる。湿気で肌がべとついたので早めにお風呂に入る。そのあいだ、寝室を除湿しておく。気持ちいい! ついに夏が来た。ベッドでゴロゴロしながら、細馬宏通『絵はがきの時代』(青土社)を半分ほど読む。

2009/06/21

ポ・ナイト

11時起床。ガールフレンドの職場からワインが届く。ラッキー。玄米、納豆、しめじとたまねぎのお味噌汁、にらたまでブランチ。その後は読書をして過ごす。トム・ルッツ『働かない』(小澤英実+篠儀直子訳、青土社)をポチポチと。面白いな、この本。訳もこなれている。途中、扇風機を組み立てたり。こうして今年も夏を迎える準備が着々と進む。
出かける前にベーコン、にんじん、オクラ、トマトのアーリオ・オーリオ。ビールを1缶。
渋谷で「エクス・ポ・ナイト」。湯浅湾、素晴らしい。インセクト・タブー、最高。気づいたら財布にお金が入っておらず、無意識のうちにビール10杯くらい飲んだ可能性が高い。ああ、今週も飲み過ぎた……。
コンビニで納豆を買って帰宅。納豆ご飯を食べて、さあ寝ようと思ったのだが……。

2009/06/20

湯島

11時半起床。昨晩の酒が残っている。カルピスウォーターを買ってきて一気飲み。シャワーを浴びて、ガールフレンドと二人で簡素な朝食を作る。玄米、じゃがいもとたまねぎのお味噌汁、ベーコンと水菜、トマトのサラダ、卵焼き。しみじみとおいしい。j15時過ぎまで飲み忘れていた。

湯島でデート。nicoで雑貨(ロシアの聖人)を買ったり、松坂屋の屋上で金魚やメダカを見たり。店のランチュウと見比べても、うちのが意外といい線行っていることがわかる。嬉しい。

アメ横にある徳大寺、電車から眺められる姿が気になっていたのだが、今日はじめて立ち寄ってみた。摩利支天が超かっこいい! ここのお札は強そう。

夕方、飲み屋で生ビールを1杯。俺は吉池に寄って野菜を買って帰宅、彼女は仕事関係の人たちと飲み会へ。玄米、お味噌汁、ベーコンとしめじ、オクラのアーリオ・オーリオ。ビールをさらに2缶飲む。その後は読書。平岡正明+上杉清文『どーもすいません』(白夜書房)を途中まで。

母の様子を聞くため弟に電話。深刻な様子。近々帰省したほうがいいかもしれない、と思う。

レイ・モンク『ウィトゲンシュタイン 2』

レイ・モンク『ウィトゲンシュタイン 2』(みすず書房)より。
ウィトゲンシュタインにとって、すべての哲学は、誠実にしかも適切に追求される限り、告白でもって始まるのである。彼は、すぐれた哲学書を書くという問題と哲学的問題についてよく考えるという問題は、知性の問題であるよりも意志──誤解の誘惑に抵抗する意志、皮相性に抵抗する意志──の問題であるとしばしば語っていた。真正な理解を妨げているものは、往々にして人が知性に欠けていることではなく、プライドを持っていることにある。それゆえ、「おまえのプライドという建物は取り壊されなければならない。そしてそれは恐ろしく面倒なことだ。」このようなプライドの取り壊しに要求される自己-吟味は、品性のある人間であるためにばかりではなく、品性のある哲学を書くためにも必要である。「もし誰かが進んで自分自身の中へ降りていくことを、それがあまりにも苦痛だからといって後込みすれば、その者の書いていることは、皮相的にとどまるであろう。」(レイ・モンク『ウィトゲンシュタイン 2』p.414)

「人生が問題となっているそのことが、おまえの人生が生の型に合っていない証拠だ。それゆえ、お前は自分の生き方を変えなければならない。そしてお前の人生がいったんその型に当てはまると、問題となっているものは解消するであろう。
しかし人生に問題を見ない者は、何か大切なもの、すべてのもののなかで最も大切なものさえ、見えていないという感情をもたないだろうか。まさに目的もなく──モグラのように盲目に──生きているような人間、そしてただ見ることさえできれば問題は見えてくる、と言いたくはならないだろうか。
あるいはむしろこう言うべきではないか。正しく生きていない人間は、その問題を悲しみとして経験しようとしないのだ。それゆえその者には、その問題が何か疑わしいものではなく、彼の人生を取り巻いている輝かしい後光となるであろう。」(同書、p.424)

この連続講義は、聴講者のなかにウィトゲンシュタインが攻撃した見解の最も有能な擁護者のひとりで、しかも今世紀の最も偉大な数学者のひとり、アラン・チューリングがいたということで注目に値する。1939年イースター学期間、チューリングもまた「数学の基礎」という題で講義をした。(…)
その講義はしばしばウィトゲンシュタインとチューリングとの対話に発展した。前者が数学的論理学の重要さを攻撃し、後者がそれを養護した。事実、チューリングの参加がその討論のテーマにぜひとも欠かせなくなっていた。それゆえ、彼がある講義に出席しないであろうと告げたときにはウィトゲンシュタインはクラスの人たちに、講義が「何か括弧に入れたもの」になってしまうに違いない、と語ったほどだった。(同書、p.468)

アンドリュー・ホッジスによるチューリングの伝記

『力学の原理』では、ヘルツは〈力とは何か〉、という問いに対して直接答えを与える代わりに、その問題は、〈力〉を基本的概念として用いず、ニュートン物理学を言い直すことによって扱われるべきであると提唱した。生涯を通してウィトゲンシュタインは、ヘルツのその問題に対する解決を、いかにして哲学的混乱を取り除くべきかという問題の完全なモデルとみなし、そして頻繁に──彼自身の哲学の目的に関する言明として──ヘルツの『力学の原理』の序文からつぎの文を引用している。
これらの困難な矛盾が除去されたときには、力の本性に関する問いに答えが与えられなくなるであろう。しかし私たちの精神は、もはや悩まされることなく、不当な問いを発しなくなるであろう。
この文を意識的に反映させるようにして、ウィトゲンシュタインは書いている。
私の哲学をする方法においては、その全目的は、ある不安状態が消えるような形に表現することにある。(ヘルツ) (同書、p.498)

「知恵は冷たく、そしてその限りでは馬鹿げている。(それに対して信仰は一つの情熱である。)」 (同書、p.542)

「痩せた、やや老年のウィンドジャケットと古い軍服のズボンをはいた男がマルコムの腕に支えられていた。もし知性に輝いた顔でなければ、マルコムが道路の脇で見つけ、そして寒空から連れ出してきた、放浪者か何かとでもその男を思ったかもしれない。
……私はガスへ身を乗り出して、そしてささやいた。『あの人がウィトゲンシュタインだ。』ガスは私がジョークでも言っていると思い、『からかうのは止せ』、というようなことを言った。そのときマルコムとウィトゲンシュタインが入ってきた。[グレゴリー・]ブラーストスが紹介され、発表し、終わった。この特別な会合を開催したブラックは、立ち上がり、彼の右側を見たときに、ことの次第が明らかになった。誰もが驚いたことには、……マルコムがその会合に連れてきた、みすぼらしい老人に話しかけようとしたのであった。そのときびっくりする言葉が発せられた。ブラックは言った。『ウィトゲンシュタイン教授、ご苦労ですが……。』さて、ブラックが『ウィトゲンシュタイン』と言ったとき、すぐに大きなどよめきの声が集まった学生たちから起こった。ここで『ウィトゲンシュタイン』というのは、1949年の哲学の世界では、特にコーネルでは神秘的で、畏怖心を起こさせる名前であったことを記しておきたい。沸き起こったどよめきの声は、まさにブラックが『プラトン、ご苦労ですが……』と言ったときに起こったであろうような声であった。」(同書、p.614)

疑う振る舞いと疑わない振る舞い、後者が存在する場合にのみ、前者が存在する。(同書、p.635)

2009/06/19

森山大道「記録」on the road

10時半起床。ガールフレンドが作ってくれた水菜の蕎麦を食べる。jは飲み忘れる。いかんな。水槽を見ると、メダカがまた一匹減っている。浮いてもいないし、底にもいない。怪現象。
出社してお仕事。昼食は、近所のお弁当屋でお好み選んで600円。公園でS・D・レヴィット、S・J・ダブナー『ヤバい経済学』(望月衛訳、東洋経済新報社)を読みながら。
外苑前のお花屋さんに寄った後、新宿エプサイトで森山大道「『記録』on the road」展を見る。若手アーティスト8組とのコラボレート。というより、『記録』を使って何か作ってください、といった趣向。発見はベラ・ジュン(Vera Jun)という建築家。一番わかりやすくて、センスいい!
母の携帯に電話すると父が出る。実はちょうど手術中なのだと言われ、驚く。大丈夫だろうか。
帰宅後、メダカをベランダの水草鉢に移す。鉢といっても透明アクリルの箱。水草の中で白さが際だち、清潔感に惚れ惚れする。
レンタルDVDを返却がてら、ガールフレンドと一緒に根津の自然食品の店まで散歩。玄米、有精卵などを購入。その後、ニュージーランドのワイン専門店に行くも、休みの様子。金曜日なのにどうしたものか。仕方ないので一見の小料理屋に入る。ここの焼酎が飲みやすく、ロックで6杯ほど、パカパカ空けてしまう。こうなると勢い止まらず西日暮里へ移動、ワインバーでさらに2杯飲んで泥酔。ああ、今週は飲まないでおこうと思っていたのに。

2009/06/18

光の曼荼羅

9時30分起床。ガールフレンドが作ってくれた目玉焼き+ベーコン、玄米、お味噌汁の朝食を食べて出社。お仕事。昼食はコンビニで買ったおにぎり3個とお茶を公園で。これで500円するんだったら、やっぱり家で作って持って行ったほうがいいかも。
帰宅後、ベッドで本を読んでいて、1時間半ほどトロトロと昼寝してしまう。いつものパターン。ベッドで本を読むのがいけないのである。
夕飯は、昨日買ったニラでニラ玉あんかけ作り、じゃがいもとたまねぎのお味噌汁、玄米と一緒に。

安藤礼二『光の曼荼羅』読了。あいかわらず文章の書き方がくどいが、内容はとても面白く読んだ。タイトルからイスラームなどの話(たとえば井筒俊彦論とか)かと予想(というより期待)していたのだが、『神々の闘争』に続く正統文芸評論集だった。最近、ある必要から「自ずから光るもの」としての神というテーマを追っており、その参考にと思っていたが、いくつか重要なインスピレーションをもらったものの、その点ではちょっと期待はずれ(手前勝手な話です)。ただ、すべてを『死者の書』に一元化していくその手腕は圧巻であり、非常に引き込まれる。岡野弘彦『折口信夫伝』(中央公論新社)をところどころ参照しながらの読書だったので、思わぬ時間がかかる。というか、富岡多恵子先生の『
迢空ノート』(岩波書店)買わねば……不勉強でした。
折口はマルチ・メディアの作家なのです。この場合、メディアには霊界との媒介者である霊媒(medium)の意味も濃厚に含まれています。(『光の曼荼羅』p.328)

2009/06/17

池田亮司

940分起床。ガールフレンドが作ってくれたお味噌汁と玄米、角煮で朝食。昨晩飲んだSが効いているのか、フラフラ。あまりなことで、二度寝してしまう。1320分起床。jは飲み忘れた。

コンビニで買ったおにぎりを食べて池田亮司「+/-」展を見に現代美術館へ。これぞ美学!──一昔前の、であるが。90年代後半は相当衝撃だったのになあ。最後の部屋にあるCD、ここ最近の2、3作以外はほとんど持っていることに気づく。ファンだったんだ、俺……。

常設展は「近代日本における芸術と工芸」というテーマを(意図せざるかたちで)提示しているように見える。田幡浩一などの「若手アーティスト」の作品を見ると、めちゃくちゃセンスのいい「工芸品」だとしみじみ思う──それが芸術たりえているかどうかは別として。1階の展示が黒田清輝で終わることで、不思議なことに、洋画の時代から「近代」「日本」「美術」が苦しみ続けてきたテーマ──そして、その苦しみを、20世紀末の日本人があっけらかんと捨てたさま──が見事に読み取れてしまうのだ。それにしても、名和晃平はいいなあ。

常設展から出ると、池田展に入っていく後藤繁雄や小林康夫といった腐れ外道集団(失礼!)とすれ違う。ファースト・インプレッションから腹が黒々しいオジサマ方。なんだか得した気分。その後はお仕事。安藤礼二『光の曼荼羅』を2/3ほど読む。感想は後日。

帰宅後、ガールフレンドとスーパーへ買い物。角煮、トマトのサラダ、お味噌汁で食事。『ツインピークス』(ローラの父親の葬式の回)を見ながらビールを4本ほど空ける。

2009/06/16

メダカ失踪

11時半起床。先日Hさんからいただいた東京土産ごまたまごとトマト&きゅうりのサラダ、コーヒーの朝食。jを服用。遅く起きたので角煮の続きは夕方以降に。薬局に寄り、モスバーガーで昼飯を食べてから出社。18時半までお仕事。
父親から「実は母の入院が長引いている」とのメールが入り驚く。てっきりとっくに退院しているものかと思っていた。帰宅後、母親の携帯に電話し、久々に少し話す。声に張りがないのが気になる。
本を片手にエチゴビール麗醸を飲みながら、角煮の続きを。トロトロゆでたまごもうまくできた。ところで、今日は何を食べようかな……と思案していると、突然雷とともに強い雨が。買い出しはやめにして、冷蔵庫にあるもので済まそう。豆腐とわかめのお味噌汁を作り、玄米、ハムにマヨネーズをかけて食す。食後にバナナとヤクルト(苦笑)……つましいというより、本格的に貧しい食事。少しでも満足感を出そうとバナナをスプーンで食べてみたのだが、かえって空しさが増すばかりだった。
角煮はちょっとしょっぱいかな……醤油の分量を後で訂正します。

気づくと、先日いただいたメダカが一匹、水槽から失踪している。昨今話題の、天から降るオタマジャクシ並み怪現象。
昨日、今日は全体的に抑鬱的な気分で過ごした。寝る前にS半カケ。

2009/06/15

角煮とサブライム・フリークエンシーズ

13時半起床。シャワーを浴びた後、コーヒーを飲みながら、週末に書いた日記の校正。会社は休むことにする。jを服用。
一昨日、格安価格で購入した国産豚バラブロックで角煮を作る。今日は圧力鍋で下ゆで作業。参考にしたサイトはここここ。さらにここここ。文末にまとめてみました(新企画・「今日の夜警レシピ」とします)。大根とたまごを今日中に買っておこう。明朝仕込んだら晩には味がしみているだろう。『Sweet Dreams』3号のアラン・ビショップ(サン・シティ・ガールズ)インタビューを読みながら、正確に23分間、肉に圧力をかける。
で、読んでからいろいろ調べたのだが、サブライム・フリークエンシーズ(sublime frequencies)、これはメッチャかっこいい! たとえば、これこれを観てほしい(youtubeって、どうやってブログに貼り付けるのでしょうか)。世界にはびこるエレキの輪。このレーベルは、ワールド・ミュージックとは違う世界の分-有を目指しているのだろう。「エレキがいかに世界を変えたか」というテーマは、湯浅学さんなどを含め、国を問わず、ある世代に取り憑いて離れない問題でもある。

金曜日にいただいた企画は残念ながら他で実現することに。まあ仕方ない。夕方、ベッドで本を読んでいたのだが、気づいたら1時間半ほど寝ていた。うーむ……。夕立が上がったのを見計らってスーパーへ。大根を下ゆでしながら、玄米、みそ汁、メンチカツのつましい食事。食後にヤクルト。
今日で禁煙3ヵ月であることに気づく。おお、よくやった。「気づく」というのはいい兆候だ……普段意識せずに過ごせているのだから。寝る前にS半カケ。


今日の夜警レシピ 01
◎豚の角煮(複数のHPから抽出・総合)
豚バラ肉500g、大根1/2本、たまご3個、青ネギ適量、ショウガ適量、砂糖スプーン6杯、醤油1/2カップ→1/3カップに訂正(2009.6.16)、酒5カップ

(1) 豚バラ肉を熱湯にくぐらす。湯こぼしさせる。これは汚れや油を取るためなので、中まで火を通す必要はない。
(2) 圧力鍋に肉を入れ、水600cc、酒400cc、青ネギ、ショウガを入れる。おもりが回転を始めたら、中火で23分。その後、圧力が下がるまで待つ。
(3) 冷えて油が固まるよう、冷蔵庫に入れる。固まった油はラードとして使える。肉は冷やして旨みを閉じこめる要領。ここで一日置いてもよい。
(4) 肉を食べやすいようにカット。ラードを取り除く(野菜炒めなどに使う)。ゆで汁は後ほど使用するので取っておく。
(5) この間、大根を下ゆでし、ゆでたまごを作っておく。
(6)  肉、大根、酒2〜3カップ(ここで(2)の酒と違う種類を使うとオシャレな仕上がりに)、ゆで汁から出汁を4カップ引いて鍋に。さらに砂糖をスプーン6杯、醤油の半分を入れて、強火で5分ほど煮込む。
(7) 40分ほど弱火で煮込む。
(8) 残りの醤油を入れて味見。もう40分ほど弱火で煮込んでから3分ほど強火で照りをつけ、冷ます。冷ますことで味をしみこませる。 
(9) 冷ましたゆで汁にゆでたまごを浸す。
(10) うまうま。

2009/06/14

メダカ、黒出目金、ウーパールーパー

11時起床。コーヒー飲んでjを服用。昼食はサンドウィッチ。たまご、ハムきゅうりの2種類を作る。材料を買いにスーパーに行ったら、レジでお金が足りなくてびっくり。まあ昨日の消費からすれば当然か。嗜好品を削って精算。 財布は小銭のみとなり、空しさ募る。だが、昼食の出来はすばらしい! 今後も継続して、このシンプルなサンドウィッチを作るべきだろう。
その後、家の掃除が突然始まる。ガールフレンドは窓を、俺はお風呂を磨く。さらに、ベランダに置いてあったオレンジ色のエア・チェアを磨いて屋内用とし、ダイニングの機能をさらに強化。
15時頃、茨城よりN氏来訪。ウーパールーパー4匹(すべてガールフレンドの友人に贈与の予定)、多肉植物2鉢、メダカ青・白2匹ずつ、黒出目金2匹をいただく。後者2種はランチュウ3匹が入居済みの水槽に同棲させる。みんな狭い中を変な格好で泳いでるので、やはり魚類的にも無理があるのだろう。早いこと改善する必要がある。メダカは外でビオトープを作って育てようかな。ウーパールーパーは8センチくらいの現時点ではまだかわいいが、最終的には15センチ以上になるとかで、自分が飼う気にはまったくならない。
N氏帰宅後、1時間ほど昼寝。その後、H女史が拙宅を来訪。ちょうど夕立でザーザー降りになったところを駅まで迎えに行く。ガールフレンド作成のシラスとブロッコリーのペンネ、きゅうりの浅漬け、ベーコンやレタスのサラダなどでごぶさた会を。エチゴビール3本、白ワイン1本を空け、さらに俺が2006年に漬けた梅酒を飲み尽くす。
Hさんがある人から聞いた話として「若い頃、フィッシュマンズ派だったか、サニーデイ派だったか、ボアダムス派だったかで、どんな人間かわかる」というのがあるらしい。なるほど、たしかに90年代後半はそうだろう。だが、その問題構成自体がある偏りを帯びてないだろうか。つまり、俺が高校生の頃(90年代前半)であれば、問題構成は「コーネリアス派か電気グルーヴ派かSDP派か」みたいな感じだったのではなかろうか、と。どうでしょ、俺、77年生まれなんだけど。ま、実際はスラッシュメタルとかグランジとか再発されたレアなプログレばかり聴いてたわけで。ボアの存在は知っていたが、その頃はかなりどぎつい存在だったな……。
中高生時代の同級生の浪人生時代の音源(いずれ世に出したい傑作)を聴かせたりしてヘラヘラ過ごす。H女史を駅まで送って、帰宅後、マグマを聴きながらさらにエチゴビール2本。

さすがに今週末は飲み過ぎだな。自己管理がまったくできていない。要反省。

2009/06/13

2009年の梅酒

和歌山の農園から南高梅が届いて12時起床。jを服用。ベランダを掃除してから梅酒の準備を始める。ついに今年もこの季節が来た。昼食はそうめん。薬味は錦糸卵(のつもりが炒り卵に……)、みょうが、ねぎ。これでいよいよ夏到来。
夕方まで梅の支度をいろいろと。で、ホワイトリカーや黒糖、氷砂糖などを買いにガールフレンドとスーパーへ行くと、たまたまマグロの解体ショーが行なわれていて、興奮のあまり赤身を購入。おかげで予算的に黒糖は買えず、酒の種類も選べず、今年の梅酒はすべてホワイトリカー+氷砂糖で漬けることになる。これで今年の梅酒祭りは終わり、とりあえず半年後の飲み時を待つばかりとなった。しかし、お金がないのに梅酒の用意だけで7千円もかけるって、未来に投資しすぎではないだろうか……かなり反省。今年は結果7.2リットル漬けたことになる。

結果、今晩はマグロの漬け丼。ガールフレンドが作ったもの、ごま油が効いて美味しい! エチゴビール2本飲んでおつかれさま。昨日借りた『大日本人』『さよならみどりちゃん』を観ながら、さらにエチゴビール3本。ああ、意味ありげな駄作。『しんぼる』はどうなんだろうね。

2009/06/12

社会復帰決定はこんな日だった

10時前起床。眠い。朝食はガールフレンドが作ってくれた玄米+納豆、味噌汁、きゅうりの浅漬け。彼女はもっと前に起きて、掃除、洗濯もしてくれていた。なんたること! 一方俺はjを飲み忘れる。ダメだなー。出社後、住民税の処理など。一つ、メールでありがたい企画をいただくが、スケジュール的に少しキツイか。とはいえ最善を尽くそう。来週、実現に向けて打ち合わせする予定。こうやって復帰への助走をしていくつもり。
今日も新宿ベルクでビール付き700円という最高の昼食をとって、夕方にいったん帰宅。ここでjを服用。で、かかりつけの病院へ。会社の総務を交えて会社復帰についての診断。特に問題なしとの診断をいただく。終了後、「休憩おつかれさま」(ってよくわからんが・笑)ということで、風情ある駅前ホテルでそれぞれ生ビール2杯とチーズなど。「あまりに復帰が早い」ということでかえって心配される。自分としても、たしかにもう少し休んだほうがいいかも、などと名残惜しい気がしつつ、だがそろそろやってみるしかないだろうと持てあましてもいる今日この頃。正直、どうしていいかわからない感じ。
夕飯はガールフレンドが作ってくれた豚肉とえのきを紫蘇+ゆず味噌で炒めたもの、小松菜のごま和え、お味噌汁。さらにオーストリア土産のオーガニック・ワイン(Zillingerのグリューナー・フェルトリーナー・クラシック2007年) 。こりゃメッチャ飲みやすい!ということでサクサク飲み干す。飲み足りないということで、アルコール購入ついでにレンタルビデオ屋まで散歩。結果、彼女の推薦『アメリカンパイ』を観ながらエチゴエール4本。いやー、こういうのも面白いね。なーんも考えずに爽快な感じ。ビデオを見終わって、PCのキーボードを打ってみると左端のキーの反応がない。さっきワインをこぼしたのが致命的だったようだ。おかげで、ホンマタカシの写真集を買おうと思ったのに住所を登録できない。とりあえずガールフレンドのPCを借りて日記を書く。

2009/06/11

鰹の刺身

10時半起床。朝食はガールフレンドが作ってくれた卵焼き、味噌汁、玄米。jを服用。15時半までお仕事。
その後、梶ヶ谷にてヒーリング。「最初は濃い霧の中を歩いてるようだったけど、だいぶよくなってきた」と言われる。うれしい。こういう言葉が欲しくて続けているようなものだ。
帰りはガールフレンドとタイミングがあったので、駅で待ち合わせ。スーパーに寄って帰宅。図書館で本を借りる。とうもろこしをゆでながらビールを飲んだり、夏っぽい夕方。鰹の刺身、きゅうりと梅のサラダ、わかめと豆腐の味噌汁、玄米。食後にとうもろこしをポリポリかじりながら、二人でさらにビール。この日スーパーで見つけた「エチゴビール麗醸」、麦芽100パーセントなのに1本180円で美味なり。
今日は弟の誕生日。大人の魅力で攻めるよう、忠告を送る。

2009/06/10

現代における聖性

14時まで寝る。酒臭い……今日は会社を休もう……ホント、情けない。jも飲み忘れた。
vacantから送られてきたDVDを見ながら、ガールフレンドが作ってくれた朝食を食べる。玄米、しめじの味噌汁、たまごやき、このあいだ成田で買った瓜の浅漬け。
その後は、相対性理論『シフォン主義』や、このあいだ購入した想い出波止場のCDRを聴きながら読書。相対性理論、はじめて聴いたけど普通じゃないですか。で、ちょっと昼寝。
夕飯は俺が作る。ワカメとあぶらあげと干しにんじんの味噌汁、豚肉、ちんげんさい、葉たまねぎ、さやえんどうをゆず味噌で炒めたもの、瓜の浅漬け。彼女は仕事へ。俺はビールを飲みながら読書の続きを。

面白いのでちびちび読んでいたモンク『ウィトゲンシュタイン 1』を読了。いろいろなエピソードがちりばめられているが、俺に強烈な印象を残したのは、以下のエピソード。
それ以前やそれ以降の多くの復員軍人と同様に、ウィトゲンシュタインは平穏なときの状況に適応できず、まったくどうにもならないほどの困難を思い知らされた。彼は五年間兵士であった。その体験は、彼のパーソナリティにぬぐい難い刻印を押しつけてしまった。彼は戦後何年にもわたって軍服を着続けた。軍服は、それなしには自分が喪失してしまうような、彼のアイデンティティーの一部、つまり本質的な部分であるかのようになってしまった。軍服は恐らくまた、彼が過去の時代に属していたという彼の感じ方──それは彼の残りの人生にまで持続した──のシンボルでもあった。というのは、それはもはや存在しない勢力の制服であったからである。オーストリア=ハンガリー帝国はもはや存在しなかった。
ウィトゲンシュタインは、もはや消えてしまった国の軍服を着続けた。彼を根底から変えてしまった戦場での体験──『論考』も戦場で書かれた──を、彼は文字どおり肌身離さず身につけておきたかったのだ。それだけが、彼のアイデンティティであった。第一次大戦後、彼は相続によってヨーロッパで最大の金持ちの一人となったが、全財産をすぐに処分し、地方の教員になってしまう。
あと、芳香と腐臭が漂う世紀末ウィーンが持ちえた感覚・価値観が、いかに20世紀文化を先取りしていたか、それはこれまで頭では理解していたがようやっと実感できた気がする。

以前、『哲学宗教日記』(鬼界彰夫訳、講談社)を読んだときも感じたが、ウィトゲンシュタインの聖性への感性は尋常ではない。彼はもちろん単なる論理実証主義者ではない──そのようには考えていたが、それだけでは足りなかった。彼は、実証できない(あるいはする必要のない)ものに場所を空けるために、論理をもって掃き清めたのだった。
「私が現在考えているのは」、と彼は書いた。「一種の呪術としての形而上学についての考察を持って私の本〔『考察』としてまとまることになる本のこと・引用者註〕を始めることが適切であろう、ということである。」
しかしこのことにあたり、呪術を擁護したり嘲るようなことはすべきでないと私は考える。/呪術について深遠であるものが、保持されなければならないであろう。──/この脈絡において、事実、呪術を締め出すことはそれ自体呪術の性格をもつ。/私が以前の書物で「世界」(この木とかこのテーブルについてではなく)について語り始めたとき、私は自分の言葉によってより高次な秩序の何かを呼び出す以外、何を試みようとしたのであろうか。
(…)
事実、呪術におけるように、形而上学において深遠なものは、根本的に宗教的感情を表現することである──私たちの言語の限界に逆らって突進しようとする欲求を、ウィトゲンシュタインは倫理と、つまり理性の限界を超え、そしてキルケゴールの〈信仰の跳躍〉をしようとする欲求と結びつけて語った。そのすべてを顕示しようとするこの欲求こそ、キルケゴールとハイデガーの哲学であれ、聖アウグスティヌスの『告白』であれ、ジョンソン博士の祈りであれ、あるいは修道会の信仰であれ、ウィトゲンシュタインが最も深い尊敬の念を抱いたものであった。彼の尊敬の念は、またキリスト教の形態に限定されなかった。すべての宗教は素晴らしい、と彼はドゥルーリーに語った。「最も原始的な種族の宗教でさえも。人々が自分たちの宗教的感情を表現する仕方は、実に非常に多様である。」
なんというか、カール・ドライヤーの『奇蹟』もそうだが、こういう人に本当に憧れる。このようなかたちでしか、現代において聖性は訪れない。
さて、2を読み始めよう。

2009/06/09

しこたま酒を飲む

8時起床。ガールフレンドが作ってくれた朝食(ペペロンそうめん)を食べ、j、ビタミン剤を服用。
10時出社。14時までお仕事。『photographer's gallery press 田本研造特集』、素晴らしい。このあいだ出た大著『北海道』時代の森山大道は、この男のことを想っていた。

新宿ベルクで昼食。ジャーマン・ブランチというセットを食べる。ポーク・アスピック、レバーのパテ、ザワークラウト、ハム2種類、バゲット2種類に生ビールがついて700円。前日とは違い、素晴らしい選択。

いったん家に帰り昼寝。図書館で本とCDを借りてから、高円寺に向かう。ガールフレンドと待ち合わせ、彼女の仕事の先輩と3人で飲む。その後、憧れのタキヤンにお会いできた。幸せ。最後はAさんやFさんらとゴールデン街。3時頃、タクシーで帰宅。しこたま飲んだ。お金ないのに。

2009/06/08

つましい食事

11時半起床。頭痛は治ったが、胃が痛い。ガールフレンドが作ってくれたおじやを食べ、百草丸を服用して出社。jは飲み忘れた。17時までお仕事。夕方、フレッシュネスバーガーで、800円もするテリヤキバーガーとポテトを食べる。後悔。帰宅後、薬局へ薬を取りに行く。
さて、貧困の中の夕餉は何にしよう──冷蔵庫にある品々を使って貧しさを忘却の彼方へ追いやる工夫をしなければならない。豚肉、青梗菜1束、シメジ3分の1を鶏ガラ+ゆず味噌で炒めたら、これが大正解。ジャガイモとあぶらあげの味噌汁と玄米で、つましい暮らし。食後は祇園辻利のほうじ茶を冷やしたのを一服。
明日はアメリカ国債の入札があるが、いったいどうなるやら……。貧乏人には関係ないが。

2009/06/07

想い出波止場

12時前に起床。前日のお酒が少し残っている。ガールフレンドと二人でお金の計算をした結果、今月は貧に喘ぐことが決定。jを服用。ブランチに納豆パスタ。ちょっと茗荷と大葉をケチったか。でもおいしい。
午後は部屋の大掃除、模様替えを。引越してから半年、ついにリビングにおけるテーブルの定位置が決定した。部屋が素晴らしく機能的になる。しかもキュートだ。

新大久保アースダムにて想い出波止場ライヴ。狼藉とはこういうことだ、という証明を彼らは行なった。正調スカム。何度かのアンコールを経て、山本精一さんの「続きは明日」という言葉で今日はお開き。終了後しばらくして、トイレットペーパーやゴミが散乱しマイクスタンドがなぎ倒されたステージを片づけようとしたスタッフに対して、津山篤さんが「片づけたらアカン! さっき『続きは明日』て言うたんやから、そのままにしとかんと!」と真剣な顔で注意していた。
吉川豊人さんが声を出すだけで、ぐわっと熱くなる。俺にとって、ボアダムスの魅力は吉川さんと山本さんだったんだなー。皆既日食の日にトカラ列島でライヴをするとか、そういうことではないのだ。

出かける頃から頭痛が出始めたのだが、ライヴが終わる頃にはひどい状態に。家に戻ってから吐いてしまった……ショック。昨日からの疲労が出たのかな。ガールフレンドに介抱され、22時に就寝。

2009/06/06

成田山

4時頃まで眠れず。暇なあまりコンビニで『週刊文春』を買い、稲荷寿司とチーズ味のカールを食ってしまう。退廃の極地。6時頃やっとうつらうつらし、7時半にいったん起きて粗大ゴミを出し、二度寝……

ハッと気がつけば12時、慌ててレンタカー屋で借りた車で成田へ向かう。遅れたら最悪なので高速を飛ばしまくり、ガールフレンドとの待ち合わせにかろうじて間に合った。わー、ヨーロッパ帰りなのに、なぜかちょっと日に焼けてる……かわいい!

お腹が減ったと彼女がいうので、成田山へ寄る。とりあえずお参り。寺の構えが俗っぽいと感じるのは俺が関西出身だからだろうか。善し悪しは別として、少なくとも、ここまであからさまに表象で攻めてくるパワースポットは、関西にはないのでは。ま、それはそれとして、家族の無事をお祈りする。興奮していたからか、首都高で何度か事故に遭いそうになる。「もうダメだ!」と何度か思ったが、お参りの甲斐あって助かった。新大久保に寄って帰宅。ガールフレンドはひさびさのお風呂に入り、俺は梅酒を漬ける。一晩中アク抜きをしすぎて梅が茶色く変色してしまった。カビが気がかりだが、とりあえず「今年飲む用」なので、失敗したとしても仕方ないとしよう。

その後は気になっていた近所のワインバーへはじめて訪れ、二人でお疲れさま会。いやー、ワインももちろんだけど、料理もうまい。一人でも通えるいい店が見つかった。一瓶とグラス4杯ほど空けたが、飲んだ銘柄はことごとく忘れてしまった。ごちそうさまでした。

とにかく、ガールフレンドが帰国したことがうれしい! 帰宅後もビールを飲んで旅の感想を聞いたりして過ごす。

2009/06/04

プロ嗜眠

14時起床……困ったね。昨晩、金魚鉢を洗って、眠りについたのが2時だったはずだから12時間は平気で寝ていたことになる。昨日は、その前に20時から0時まで4時間、さらにその前、川村記念美術館から帰宅した15時から16時半まで1.5時間は寝ている。ウィーンにいるガールフレンドからも、連絡がないと心配のメールが入っていた。なんというか、申しわけないな。
神様から運良くいただいた人生の休息を充実した眠りにあてることで、自分は悪(たとえば「搾取」など)に立ち向かっているのだ、と積極的に(半分は本気で)考えることにして、今日も会社に行かないことにした。あるいは、僕は眠りを必要としていないのだが、眠りが僕を求めているから仕方ないのだ、とか。本当は、この悪習さえなければ、僕の人生は上々なはずなのだ!
16時にカレー、コーヒー。17時にjとビタミン剤など。ガールフレンドから電話が。「ごめんごめん、お願いだからモーニングコールをしてください」。と言っても、彼女は土曜日に帰国する。
図書館で本とCDを借りたあと、思いついてスーパーで青梅を購入。梅酒用。毎年買っている梅屋さんでも南高梅5kgを予約してあるのだが、「普段飲みのために」という言い訳で、もう1kg分だけ。ホワイトリカーに氷砂糖という、いちばんスタンダードなやつを作ってやろうかと。ただし、アク抜きの時間を考えると、今日は手を付けないほうが懸命だろう。図書館から借りてきたジュディ・シルを聴く。夕飯は、冷凍していた玄米が切れたので、カレーのスパゲティ。この貧乏くさい食事も、彼女が帰国するまでだ!


2009/06/03

マーク・ロスコ

5時起床。正確に言えば、一睡もせず。今日は根性で起き続けるしかあるまい。眠気に打ち克つために、早朝からせかせか働く。髭をきれいに剃り、燃えるゴミを出し、ラディッシュの甘酢漬けを作り、なぜ持っていたのだろうという感じの福田和也『悪の恋愛術』をはじめとする新書を15冊ほど処分。本はまだまだ減らさねばならない。
朝食はカレー、大根の葉と小松菜の煮浸し。その後、ビタミン剤各種、Jを半錠服用(昨晩1錠服用したので)。

8時前に家を出て、京成線で佐倉まで。川村記念美術館「マーク・ロスコ 瞑想する絵画」展を観にいく。川村記念美術館を訪れるのは、はじめて。武蔵野に住んでいた半年前まで、佐倉という街(村?)はあまりにも遠いという印象があり、大好きなゲルハルト・リヒターの「ATLAS」展すら行かなかったという後悔すべき過去が俺にはある(その後の回顧展はわざわざ金沢まで観に行っているのに)。さらに白状すると、どうやって佐倉に行くのかも知らなかった。ところが、今住んでいる東側からだと、乗り換えなし、45分で佐倉に到着する。引越して約半年、自分の中の土地感覚がガラリと塗り替えられつつあり、これはかなり嬉しい(し、それによって日本の近代文学の読み方もずいぶん変わった気がする)。

で、ロスコの赤錆を拝む。作品は素晴らしい。ただ、俺が愛読するブログ「daily report from mt.olive」でも指摘されているように、ちょっと位置が高すぎる気がする。アーティストの意向だとのことだが、それはレストランに飾られるという前提での話ではないのか。テートに配置するためにロスコが制作した《展示模型》が本展に出品されているが、これを見るかぎりでは、絵はそれほど高くない箇所に配置されている。送り手(今回の場合は学芸員)が荘厳さを演出するあまり、絵画が絵画以上の役割を担わされてしまっている、と言っては言い過ぎかもしれないが。

ただ、感慨深いのは、作家の手元にあった制作物がさまざまな運命から世界中に散らばりながらも、ある導きの元に一堂再会することの不思議さである。これも因果宇宙か。ロスコに限らず、こういう、「モノ同士の同窓会」のようなものに立ち会うことは、いつでも神秘的であり、意味のあることだと思う。

ロスコの書簡の展示ケースの中で羽虫が飛んでいるのを発見して、ちょっとうれしくなった。


いったん家に戻ったら、ふとした気のゆるみで1時間ほど寝てしまう。そろそろ真面目に働かなければ。夕飯は、今日もカレーの予定だが、あまりの眠気に食欲が湧かない。さらに寝て、金魚鉢の掃除をして、また寝る。


2009/06/02

日記のプロトタイプ


14時過ぎ起床。鍼が効いたとはいえ、あらためて、この時間に起きたのはショックであった。とはいえ、告白すると、これまで30年間ほとんどまともに起きることができなかったわけで、それを考えると、逆にこれさえうまくできれば俺の人生は上々なのではないか……なんて妄想まで生まれてくる。それにしても、なんで早起きなどで苦労しているのだろう。いや、早起きとは言わず、この際普通の起床時間(8時頃)でよい! 明日から、ひょいと起きてやれ。
昼食も夕飯も、昨晩作っておいたカレーと玄米で済ませる。一晩おいて、ちょうどいい味になっている。その後、ブログのセッティングなどをし、ジョギングに出る。三河島駅の脇を通り、都電の「東尾久三丁目」という駅で折り返す。30分程度。近所の公園にて、全力で体操をして、帰宅。お茶碗を洗い、明日、金魚鉢を洗えるように水を汲んでおく。脳のために甘酒(アミノ酸)を飲む。

こんな感じで日記を書くことにしよう。つまり、起床時間、食べたもの、やったことのメモを前半に、それ以外を後半に記すのだ。

23時半までにすべてを終えていたのだが、その後3時半まで眠れず。まあ、当然か。カルヴィン・トムキンス/青山南訳『優雅な生活が最高の復讐である』(新潮社)をパラパラ再読して時間を潰す。明日は何が何でも起きる。

図書館で本とCDを借りる

どんなことを書いたらいいのかわからないので、今日、図書館で借りた本とCDを。
・ブリジット・フォンテーヌ『ラジオのように』 家にあるはずのアート・アンサンブル・オブ・シカゴが見つからず、図書館にもアルバムがなかったので、彼らがバック・バンドを務めているこのアルバムをやむなく。とはいえ、やはり、素晴らしい。
・メタリカ『マスター・オブ・パペッツ』 ひさびさに聴きたいなー、と。燃えるはず。
・J・S・バッハ/ピエール・フルニエ『無伴奏チェロ組曲全曲』 バッハを聴くとシャキッとするので。朝はこれでしょう!
・スペクトラム『スペクトラム伝説』 こんなアルバムまで図書館にあるなんて、感激! もちろん、キャンディーズ解散コンサートの演奏をつとめた、あのスペクトラムである(wikiによると、なんと今年8月に結成30周年らしい…)。
・V.A.『驚異の低音 ベスト』 タイトルに惹かれて借りたのだが、まだ聴いていない。
・石井裕之『一瞬で信じ込ませる話術 コールドリーディング』(フォレスト出版) 一連の自己啓発系を集中して読むという流れで。こんな本、買いたくないし……。

引き寄せオカルトよりも因果系宇宙

ここ二週間ほど、スピリチュアル、自己啓発など、これまで読まなかった種類の本を読んでみた。で、面白いことに気づく。

たとえば、自己説得についてのシャド・ヘルムステッター『なぜ、あの人はうまくいくのか』(きこ書房)と、純正スピであるロンダ・バーン『ザ・シークレット』(角川書店)は、ほとんど同じことを言っている。
つまり、
「私はできると信じたことをなんでも実現できる。そして、日々その確信が深まっている。私には才能、スキル、能力がある。私は願望を設定し、実現させる。私は自分が人生に求めるものを知っている。私はそれを追求して手に入れる」
と自己説得する前者と、
「(気分の良い)その周波数城に乗るいちばん早い方法は、『私は今それを受け取っています。人生の良きもの全てを受け取っています。私は今、○○(自分の望みを書き込むこと)を受け取っています』と言うことです。そして、それを感じてください。それをすでに受け取っていると感じてください」
といくぶん都合のいいかたちで人生を肯定する後者の主張には、実はなんの違いもない。

で、俺がここ二週間ほどで読んだ20冊ほどの自己啓発本、スピ本、成功哲学の本などは、おしなべて似たような主張をしていた。……が、これは別に面白いことでも何でもない。「念ずれば通ず」、あるいは「シンクロニシティ」──この手のジャンルで最近流行の言葉でいえば「引き寄せ」──は、どの世界にも多かれ少なかれあるのだろうから。
面白いのは、これらの本と、特殊漫画家・根本敬氏による『特殊漫画─前衛の─道』(東京キララ社)の主張が、ほとんど同じだということである。特に「あとがき」にある川西杏がテレビ出演を果たすエピソードは、究極の「引き寄せ」と言ってもいいだろう。かのバシャール氏も根本氏も主張は同じ、因果を呼ぶには「無意識を鍛える」ことが大事なのだ!
「念ずれば通ず」のであれば、俺は後者の因果系宇宙の旅に宿る圧倒的なダイナミズムを支持したい。

2009/06/01

日常生活の立て直し

ということを、これまでの人生で何度決断したかわからない。
が、先々週、実家に帰ったあたりから大幅に生活のリズムが狂ってしまい、昼頃まで平気で起きられなかったりする。さすがにこれには困った。おそらく前日の鍼が効きすぎたのだろうが、22時から翌14時までノンストップで寝てしまうと、さすがにへこむ。これでも社会人だというのだから、なんとも怖ろしい。

一喜一憂せず、淡々と生きられたらいいのに……と切に思う。これまでなんてことのなかった「うまくいかない日」をうまくやり過ごしことができなくなったのが、とりあえず、俺の鬱状態ということなんだろう。
淡々と生きる……こう決意した次の日には嵐に吹きまくられた気分になっていたりする。これも業だろうか。

三十路にもなって、いまだに人生の調整がうまくいっていない気がして鬱々とした気分になるのだが、このような気分ですら、いま現在、うまくいっていないことから来るものなのだ。
いざとなれば、会社など何度でも辞めてしまえばいいのであって、いまは会社に甘えてサボってしまえばいいのだ……などと、すっきり思いながら休むことができないような状態だから、会社を休むハメになるのだ。

ま、過去に書いた日記は、いずれこの日記に統合するとして、とりあえず、新たな気持ちで日記を書くことにしよう。

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