2009/06/20

レイ・モンク『ウィトゲンシュタイン 2』

レイ・モンク『ウィトゲンシュタイン 2』(みすず書房)より。
ウィトゲンシュタインにとって、すべての哲学は、誠実にしかも適切に追求される限り、告白でもって始まるのである。彼は、すぐれた哲学書を書くという問題と哲学的問題についてよく考えるという問題は、知性の問題であるよりも意志──誤解の誘惑に抵抗する意志、皮相性に抵抗する意志──の問題であるとしばしば語っていた。真正な理解を妨げているものは、往々にして人が知性に欠けていることではなく、プライドを持っていることにある。それゆえ、「おまえのプライドという建物は取り壊されなければならない。そしてそれは恐ろしく面倒なことだ。」このようなプライドの取り壊しに要求される自己-吟味は、品性のある人間であるためにばかりではなく、品性のある哲学を書くためにも必要である。「もし誰かが進んで自分自身の中へ降りていくことを、それがあまりにも苦痛だからといって後込みすれば、その者の書いていることは、皮相的にとどまるであろう。」(レイ・モンク『ウィトゲンシュタイン 2』p.414)

「人生が問題となっているそのことが、おまえの人生が生の型に合っていない証拠だ。それゆえ、お前は自分の生き方を変えなければならない。そしてお前の人生がいったんその型に当てはまると、問題となっているものは解消するであろう。
しかし人生に問題を見ない者は、何か大切なもの、すべてのもののなかで最も大切なものさえ、見えていないという感情をもたないだろうか。まさに目的もなく──モグラのように盲目に──生きているような人間、そしてただ見ることさえできれば問題は見えてくる、と言いたくはならないだろうか。
あるいはむしろこう言うべきではないか。正しく生きていない人間は、その問題を悲しみとして経験しようとしないのだ。それゆえその者には、その問題が何か疑わしいものではなく、彼の人生を取り巻いている輝かしい後光となるであろう。」(同書、p.424)

この連続講義は、聴講者のなかにウィトゲンシュタインが攻撃した見解の最も有能な擁護者のひとりで、しかも今世紀の最も偉大な数学者のひとり、アラン・チューリングがいたということで注目に値する。1939年イースター学期間、チューリングもまた「数学の基礎」という題で講義をした。(…)
その講義はしばしばウィトゲンシュタインとチューリングとの対話に発展した。前者が数学的論理学の重要さを攻撃し、後者がそれを養護した。事実、チューリングの参加がその討論のテーマにぜひとも欠かせなくなっていた。それゆえ、彼がある講義に出席しないであろうと告げたときにはウィトゲンシュタインはクラスの人たちに、講義が「何か括弧に入れたもの」になってしまうに違いない、と語ったほどだった。(同書、p.468)

アンドリュー・ホッジスによるチューリングの伝記

『力学の原理』では、ヘルツは〈力とは何か〉、という問いに対して直接答えを与える代わりに、その問題は、〈力〉を基本的概念として用いず、ニュートン物理学を言い直すことによって扱われるべきであると提唱した。生涯を通してウィトゲンシュタインは、ヘルツのその問題に対する解決を、いかにして哲学的混乱を取り除くべきかという問題の完全なモデルとみなし、そして頻繁に──彼自身の哲学の目的に関する言明として──ヘルツの『力学の原理』の序文からつぎの文を引用している。
これらの困難な矛盾が除去されたときには、力の本性に関する問いに答えが与えられなくなるであろう。しかし私たちの精神は、もはや悩まされることなく、不当な問いを発しなくなるであろう。
この文を意識的に反映させるようにして、ウィトゲンシュタインは書いている。
私の哲学をする方法においては、その全目的は、ある不安状態が消えるような形に表現することにある。(ヘルツ) (同書、p.498)

「知恵は冷たく、そしてその限りでは馬鹿げている。(それに対して信仰は一つの情熱である。)」 (同書、p.542)

「痩せた、やや老年のウィンドジャケットと古い軍服のズボンをはいた男がマルコムの腕に支えられていた。もし知性に輝いた顔でなければ、マルコムが道路の脇で見つけ、そして寒空から連れ出してきた、放浪者か何かとでもその男を思ったかもしれない。
……私はガスへ身を乗り出して、そしてささやいた。『あの人がウィトゲンシュタインだ。』ガスは私がジョークでも言っていると思い、『からかうのは止せ』、というようなことを言った。そのときマルコムとウィトゲンシュタインが入ってきた。[グレゴリー・]ブラーストスが紹介され、発表し、終わった。この特別な会合を開催したブラックは、立ち上がり、彼の右側を見たときに、ことの次第が明らかになった。誰もが驚いたことには、……マルコムがその会合に連れてきた、みすぼらしい老人に話しかけようとしたのであった。そのときびっくりする言葉が発せられた。ブラックは言った。『ウィトゲンシュタイン教授、ご苦労ですが……。』さて、ブラックが『ウィトゲンシュタイン』と言ったとき、すぐに大きなどよめきの声が集まった学生たちから起こった。ここで『ウィトゲンシュタイン』というのは、1949年の哲学の世界では、特にコーネルでは神秘的で、畏怖心を起こさせる名前であったことを記しておきたい。沸き起こったどよめきの声は、まさにブラックが『プラトン、ご苦労ですが……』と言ったときに起こったであろうような声であった。」(同書、p.614)

疑う振る舞いと疑わない振る舞い、後者が存在する場合にのみ、前者が存在する。(同書、p.635)

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