2009/06/03

マーク・ロスコ

5時起床。正確に言えば、一睡もせず。今日は根性で起き続けるしかあるまい。眠気に打ち克つために、早朝からせかせか働く。髭をきれいに剃り、燃えるゴミを出し、ラディッシュの甘酢漬けを作り、なぜ持っていたのだろうという感じの福田和也『悪の恋愛術』をはじめとする新書を15冊ほど処分。本はまだまだ減らさねばならない。
朝食はカレー、大根の葉と小松菜の煮浸し。その後、ビタミン剤各種、Jを半錠服用(昨晩1錠服用したので)。

8時前に家を出て、京成線で佐倉まで。川村記念美術館「マーク・ロスコ 瞑想する絵画」展を観にいく。川村記念美術館を訪れるのは、はじめて。武蔵野に住んでいた半年前まで、佐倉という街(村?)はあまりにも遠いという印象があり、大好きなゲルハルト・リヒターの「ATLAS」展すら行かなかったという後悔すべき過去が俺にはある(その後の回顧展はわざわざ金沢まで観に行っているのに)。さらに白状すると、どうやって佐倉に行くのかも知らなかった。ところが、今住んでいる東側からだと、乗り換えなし、45分で佐倉に到着する。引越して約半年、自分の中の土地感覚がガラリと塗り替えられつつあり、これはかなり嬉しい(し、それによって日本の近代文学の読み方もずいぶん変わった気がする)。

で、ロスコの赤錆を拝む。作品は素晴らしい。ただ、俺が愛読するブログ「daily report from mt.olive」でも指摘されているように、ちょっと位置が高すぎる気がする。アーティストの意向だとのことだが、それはレストランに飾られるという前提での話ではないのか。テートに配置するためにロスコが制作した《展示模型》が本展に出品されているが、これを見るかぎりでは、絵はそれほど高くない箇所に配置されている。送り手(今回の場合は学芸員)が荘厳さを演出するあまり、絵画が絵画以上の役割を担わされてしまっている、と言っては言い過ぎかもしれないが。

ただ、感慨深いのは、作家の手元にあった制作物がさまざまな運命から世界中に散らばりながらも、ある導きの元に一堂再会することの不思議さである。これも因果宇宙か。ロスコに限らず、こういう、「モノ同士の同窓会」のようなものに立ち会うことは、いつでも神秘的であり、意味のあることだと思う。

ロスコの書簡の展示ケースの中で羽虫が飛んでいるのを発見して、ちょっとうれしくなった。


いったん家に戻ったら、ふとした気のゆるみで1時間ほど寝てしまう。そろそろ真面目に働かなければ。夕飯は、今日もカレーの予定だが、あまりの眠気に食欲が湧かない。さらに寝て、金魚鉢の掃除をして、また寝る。


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