2011/08/18

武士(もののふ)をナメ腐ったカレー

9時起床。夏バテがひどい。30分以上、何もできないままボーッと過ごす。補中益気湯を飲んで出社。
仕事の最中も頭がクラクラする状態。夕方の打ち合わせに向けて作成しなければならない資料を後回しにし、簡単そうな仕事から片付けてゆくことにする。プロジェクト「富良野」(自分でもわからなくなるので、これからはプロジェクトごとに名前をつけることにします)の試算、プロジェクト「奥能登」の資料作り、プロジェクト「海底二万里」に関するなど。14時に原宿で待ち合わせなので、1時間前に現地入りして昼食。むちゃくちゃ暑いのでカレーの気分。それにしても、ぬるいし辛くないし少ないしで、この近辺のカレー屋は武士(もののふ)をナメ腐ったものを平気で出す傾向があるな……。1100円なり。
14時に原宿でプロジェクト「岳」の資料受け渡しをして、汗だらだらで帰社。そのまま「岳」の資料を別の部署に引き渡したあと、俺が降りたプロジェクトの関係者から、いろいろと愚痴を聞く。結局、夕方の資料は作れないままプロジェクト「ノア」の打ち合わせへ。高田馬場でビールを2杯飲みながら。いい仕事をしてくださって感動。
帰宅して2時間ほど寝て、うどんを食べてから「ノア」の資料作り。先方が完璧な資料を作ってくれたので仕事がはかどり、缶ビールを2杯飲みつつ0時前には終えることができた。ガールフレンドが帰宅したので、足裏にお灸をすえてあげる。

2011/08/13

知らないやつ

11時起床。あまりすっきりしない目覚め。疲労が溜まっている。補中益気湯とコーヒーを飲んだあと、高知の農場から届いた空芯菜とアンチョビでパスタ。
午後は、熊本から届いた玄米を真空保存する作業。重労働を想像していたが、意外と簡単に終わる。あとはエージレス(脱酸素剤)を購入すれば万事OKだ。図書館で本を借りたあと、ベランダのサボテンたちにシャワー。
夕方、新大塚のクライアント宅にうかがい、打ち合わせ。埼玉で農園を営む(半農生活)クライアントから、今日とれたばかりの無農薬有機のピーマンを大量にいただく。
帰宅。ガールフレンドは打ち合わせでいないので、一人で夕食。いただいたピーマン、高知から送られた玉ねぎ、豚肉でオイスターソース炒め。ビールを1杯。
食後は、ブリアル『Untrue』、ビル・エヴァンス『ポートレイト・イン・ジャズ』、マイルス・デイヴィス『オールスターズ完全版』『マイルストーンズ』をビット・パーフェクトでリップしたあと、カエターノ・ヴェローゾ『Estrangeiro』を聴きながら、エンリーケ・ビラ=マタス『ポータブル文学小史』(平凡社)をパラパラめくる。ああ、この本は凄そうだ。
聴いているアルバムと本で触れられるデュシャンの文章とに美しいシンクロがあったので、引用しておく(『黒いユーモア選集』より)。
知らないやつ(エトランジェ)を、絞め殺す(エトラングレ)
教会(エグリーズ)、追放(エグジール)
ローズ・セラヴィとぼくは、すてきな(エクスキ)言葉で、エスキモーの皮下溢血(エキモーズ)をエスケープする
こちらはポールタティフでいちばんの年寄りのベールイです

このあと、デュシャン、サライ・フェレンツ、ポール・モーラン、ジャック・リゴーを引き連れて、ピカビアはニジェール川河口にある街ポルタクティフに向かう。そして、これを読む背後に流れる音楽では、グアナバラ湾を愛したゴーギャンとコール・ポーター、そしてグアナバラ湾を嫌ったレヴィ=ストロースについて歌われている。高度な狂気、トランクに収まる作品、独身者の機械。

2011/08/12

無題

10時起床。体調が悪い。歯を磨くとえづいてしまう。政治力をちらつかせて人を動かそうとするクライアント、人の話を聞かない健忘症のクライアント、それとは違う仕事でも自分の凡ミスが続いたりと、ストレスフルな日々だったなあ。
上記とはまた別の仕事クライアントに急用が入ったため、午前の打ち合わせがなくなる。出社後、前の日にデザイナーから預かった色校正を提出。これがまたひどい出来だったので、再度出してもらうことに。その後は雑務。前日送っておいた重たいメールについての電話、新プロジェクトの準備など。無理をしたくなかったので、定時でそそくさと帰宅する。
昼間から夕方いっぱいまでくだらない会議に付き合わされたというガールフレンドの提案により、近所のイタリアンへ。白ワインを飲みながら、五島沖でとれた鯛のコンフィなど。食事は美味しかったが、会話がすれ違い険悪なムードに。帰宅後、気晴らしにインターネットをして2時頃就寝。あまりいい日ではなかったように思う。こういう日は、タイトルのつけ方に困る。

2011/08/10

また日記再開

また日記を再開したい、できれば──と、唐突に思った。まあ、俺の人生はいつもこんな感じの思いつきで成り立っていて、断続的に15年くらい日記があったりなかったりするわけで、もう、基本的な性格だからしようがないのだろうな、こういったことは。
3月11日から1ヶ月間くらいのあいだに自分に起こったことはノートに手書きで記してあるので(その間──そしていまもだが──「電力」を信じることができないでいる)、それはいつか転記することにしたいけれど、ひとつだけ、ずっとずっと思いをめぐらしながらも叶わないことがあるので、まずはそのことを。それはつまり、震災の前日、3月10日の記憶を甦らせるということだ。この日、ぼくはあまりにも普通な過ごし方をしたのだろうか、手帳、メール、Twitter、Facebookなどの履歴を見ても、いったい何をしていたのか、どんな音楽を聴いて誰の本を読んだのか、何の痕跡もなく、記憶からすっぽり抜け落ちてしまっているのだった。
唐突に思われるかもしれないが、最近興味深く読んだのは「宮尾すすむが何年か前に死亡したというニュースを見た記憶があるのだが、今年の7月21日に亡くなったという報道を見て驚いた」というよくわからない情報から、今回の震災で量子力学的なパラレルワールドが分離だか統合だかしたとかいう話に発展していった2ちゃんねるのスレで、読みながらむちゃくちゃ笑ったのだが、自分にとっての3月10日は「宮尾すすむの二度死」とは真逆の意味でパラレルワールド的な断絶がある、という考えに至り、急に気持ちが悪くなった。震災によってだかなんだか知らないが、宮尾すすむが二回も死んだとされる世界に生きている人たちと同じように、俺はこれまで自分が生きていた世界とはまったく違うところに接続された感覚が襲ってきたのだった。
少なくとも、俺にはもう、それ以前の生活を構成する力も、技術もないだろう。それは、「サンイチイチ以後」(個人的にはこういう言い方をするセンスを疑ってます)に人間が変わった、とかいう話ではなく、単純に、その直前の日を思い出せないということから来る実感なのだ。日記をつけておけばよかった、と後悔するのは、こういうときだ。

まあ、それはそれとして、3月11日からの俺の生活は異常だとこれまで考えてきたのだけれど、このブログを読み返してみると、じつは今のほうが健康的で(昨年の3月11日に日記を「再開」してるのだが、このときはまだクスリ漬けだった・笑)、そういうことに安心しました。
震災以後の自分の生活がどのように変わり、あるいはどのように自分から生活を変えていったか、ということは新しい生活について書くことで明らかになると思う。

とりあえず、今日は、震災後新たに契約した高知の農家から有機野菜が届き、それをガールフレンドとサラダにして食べ、仕事をしたあと、白ワインを飲みながら突発的にこの日記を書くことにしたのだった。