2009/06/10

現代における聖性

14時まで寝る。酒臭い……今日は会社を休もう……ホント、情けない。jも飲み忘れた。
vacantから送られてきたDVDを見ながら、ガールフレンドが作ってくれた朝食を食べる。玄米、しめじの味噌汁、たまごやき、このあいだ成田で買った瓜の浅漬け。
その後は、相対性理論『シフォン主義』や、このあいだ購入した想い出波止場のCDRを聴きながら読書。相対性理論、はじめて聴いたけど普通じゃないですか。で、ちょっと昼寝。
夕飯は俺が作る。ワカメとあぶらあげと干しにんじんの味噌汁、豚肉、ちんげんさい、葉たまねぎ、さやえんどうをゆず味噌で炒めたもの、瓜の浅漬け。彼女は仕事へ。俺はビールを飲みながら読書の続きを。

面白いのでちびちび読んでいたモンク『ウィトゲンシュタイン 1』を読了。いろいろなエピソードがちりばめられているが、俺に強烈な印象を残したのは、以下のエピソード。
それ以前やそれ以降の多くの復員軍人と同様に、ウィトゲンシュタインは平穏なときの状況に適応できず、まったくどうにもならないほどの困難を思い知らされた。彼は五年間兵士であった。その体験は、彼のパーソナリティにぬぐい難い刻印を押しつけてしまった。彼は戦後何年にもわたって軍服を着続けた。軍服は、それなしには自分が喪失してしまうような、彼のアイデンティティーの一部、つまり本質的な部分であるかのようになってしまった。軍服は恐らくまた、彼が過去の時代に属していたという彼の感じ方──それは彼の残りの人生にまで持続した──のシンボルでもあった。というのは、それはもはや存在しない勢力の制服であったからである。オーストリア=ハンガリー帝国はもはや存在しなかった。
ウィトゲンシュタインは、もはや消えてしまった国の軍服を着続けた。彼を根底から変えてしまった戦場での体験──『論考』も戦場で書かれた──を、彼は文字どおり肌身離さず身につけておきたかったのだ。それだけが、彼のアイデンティティであった。第一次大戦後、彼は相続によってヨーロッパで最大の金持ちの一人となったが、全財産をすぐに処分し、地方の教員になってしまう。
あと、芳香と腐臭が漂う世紀末ウィーンが持ちえた感覚・価値観が、いかに20世紀文化を先取りしていたか、それはこれまで頭では理解していたがようやっと実感できた気がする。

以前、『哲学宗教日記』(鬼界彰夫訳、講談社)を読んだときも感じたが、ウィトゲンシュタインの聖性への感性は尋常ではない。彼はもちろん単なる論理実証主義者ではない──そのようには考えていたが、それだけでは足りなかった。彼は、実証できない(あるいはする必要のない)ものに場所を空けるために、論理をもって掃き清めたのだった。
「私が現在考えているのは」、と彼は書いた。「一種の呪術としての形而上学についての考察を持って私の本〔『考察』としてまとまることになる本のこと・引用者註〕を始めることが適切であろう、ということである。」
しかしこのことにあたり、呪術を擁護したり嘲るようなことはすべきでないと私は考える。/呪術について深遠であるものが、保持されなければならないであろう。──/この脈絡において、事実、呪術を締め出すことはそれ自体呪術の性格をもつ。/私が以前の書物で「世界」(この木とかこのテーブルについてではなく)について語り始めたとき、私は自分の言葉によってより高次な秩序の何かを呼び出す以外、何を試みようとしたのであろうか。
(…)
事実、呪術におけるように、形而上学において深遠なものは、根本的に宗教的感情を表現することである──私たちの言語の限界に逆らって突進しようとする欲求を、ウィトゲンシュタインは倫理と、つまり理性の限界を超え、そしてキルケゴールの〈信仰の跳躍〉をしようとする欲求と結びつけて語った。そのすべてを顕示しようとするこの欲求こそ、キルケゴールとハイデガーの哲学であれ、聖アウグスティヌスの『告白』であれ、ジョンソン博士の祈りであれ、あるいは修道会の信仰であれ、ウィトゲンシュタインが最も深い尊敬の念を抱いたものであった。彼の尊敬の念は、またキリスト教の形態に限定されなかった。すべての宗教は素晴らしい、と彼はドゥルーリーに語った。「最も原始的な種族の宗教でさえも。人々が自分たちの宗教的感情を表現する仕方は、実に非常に多様である。」
なんというか、カール・ドライヤーの『奇蹟』もそうだが、こういう人に本当に憧れる。このようなかたちでしか、現代において聖性は訪れない。
さて、2を読み始めよう。

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