2009/07/30

佐々木敦『ニッポンの思想』について

さて、少し長くなるが、佐々木『ニッポンの思想』について。批評史としての流れに関しては、ほぼ異存無し。若い読者のためのいい紹介になっている。佐々木は孤独を装うことを美徳にしている気味があるが、インタビューなどを読んでいても、人の心に寄り添うのが非常にうまいと思う。


ただし、『批評空間』シンポジウムで鎌田哲哉や浅田彰とやり合った際には「若、ご乱心」といったような印象だった東浩紀が(脱線するが、このシンポジウムのもう一人の主役である鎌田は、この時点ではほとんどの人間にとって「誰、こいつ?」的な存在であったことを付け加えておく)、大塚英志と立ち上げたばかりの『新現実』からも脱退し、有料メーリングリスト「波状言論」を始めて、さらに同人誌として『美少女ゲームの臨界点』を出版したとき、そのあまりに貧乏臭い手作り仕事に、「東、終わった」感がいったんは蔓延した、という事実が本書では抜け落ちている。実際は、この手作り感みたいなものが「ゼロ年代」後半にさまざまなジャンルに広がることで、東の「先見性」が証明されたことになるのだが(例えば「GEISAI」もその流れの一つだろうし、佐々木自身が発刊した雑誌『エクス・ポ』だってそうだ)、それ以前の東につきまとったこの「終わった」感に触れずにおくことによって、本書の「ゼロ年代は東浩紀一人勝ち」という歴史観が成立していることは指摘しておきたい。
「波状言論」などの東の仕事は、現時点から振り返れば「勝利」への確信に満ちた道程のように見えるが、当時は、むしろ「異様な試み」として受け入れられていた。周囲の思想・批評読みの中には「『批評空間』であれだけ東が拘泥していたことって、こんなクダラナイことだったの!?」という、軽蔑すら込められた態度が多かったのであって、まさか2000年代後半の論壇にこのような戦況が訪れているなど、誰も予想だにしなかったはずだ。2000年代前半の東がそれほど異様な存在であったということは、もう一度確認しておいたほうがよい。
というか正確に言えば、宇野常寛をはじめ、「ゼロ年代」という自意識を持つ者たちが追随者として出現してきたことで、東の「勝利」が決定的になったのだ。その意味で、佐々木が主張する「ゼロ年代は東浩紀一人勝ち」史観は、宇野の見事に弁証法的な仕事に多くを負っているとも言える(宇野の振る舞いは、教科書的なまでに正反合である)。
まあ、いずれにせよ、いま東浩紀が本当にすごい仕事をしていることは間違いないのだが。

それにしても、佐々木が「ですます調」を使って、このような野暮な(あるいは啓蒙的な)仕事をするとは思わなかった。本人はあとがきにおいて丸山眞男の名前を出しているが、どちらかというと、同じ岩波新書の中村光夫『日本の現代小説』に近い著作である。


【09.09.30追記】→できれば「覚悟の問題」も併読してくださいね

えー、もう一つ、重要だと思われるポイントを。

上の日記で、俺は意識的に「ゼロ年代」と「2000年代」という書き方を併用したのだが、それは「ゼロ年代」という呼称への距離感があるからだ。この呼称が出てきたのは、せいぜい2000年代半ばではなかったか(調べてないのであくまで印象論でしかないが)。それまでの表記はまさに「2000年代」、あるいはサブカルチャー界隈(?)では「00年代」と書いて「ゼロゼロ年代」と読むことのほうが多かったように思う。

実際、「ゼロゼロ年代」と「ゼロ年代」とのあいだにある断絶は大きい。この断絶は「サブカル」と「オタク」の断絶と言い換えても通じる性質のものだ。

例えば、後者(オタク)の自意識から出現した宇野常寛が、前者(サブカル……の自意識を持っているかどうかは不明だが)の代表的存在である中原昌也や柳下毅一郎に対して敵意を剝き出しにしていることに、それは象徴される(ああ、どうでもいい例えだ……)。

あるいは、『ユリイカ』2005年増刊号にて「オタクvsサブカル」というそのまんまな特集があったが、その編者の一人であるばるぼらが、「サブカル(=ゼロゼロ年代)」的なネタを「オタク(=ゼロ年代)」的メンタリティでもって更新する、若手批評家としては圧倒的に特異な仕事を始めていることも、この流れのうちにあると言える(例えば『NYLON100%──80年代渋谷ポップ・カルチャーの源流』アスペクト、を見よ)。

と、ここまで書いてハッとしたのだが、そういえば『スタジオボイス』の最終号が「どこよりも早いゼロ年代特集」というふれこみだったはず……と思って確認してみたところ、さすが! 意識的なのか無意識的なのか、メインテーマは「どこよりも早いゼロ年代ソウカツ!」とオタクの時流に合わせ(軍門に下り?)つつ、サブテーマは「追憶の00s」とサブカルの矜持を保つ表記を遺しているではないか!

やはり、ここ10年のあいだで起こったサブカルとオタクとの仁義なき戦い、あるいは「サブカルからオタクへ」というサブカルチャーの重心移動が、この「ゼロゼロ年代からゼロ年代へ」という表記に深く刻まれていると言わねばなるまい。


……と、ここまでは前書き。

さて、そこで俺が言いたいことは、

(1) こういうことのほうが「テン年代」なんてことより重要な問題なんじゃないの?

(2) 佐々木敦という人は自他ともに認めるゼロゼロ年代の代表的人物じゃなかったっけ?

という、まあ、それ自体はくだらないお話なのだった。

ただ、「ゼロ(ゼロ)問題」は、上に書いた『ニッポンの思想』の歴史観への違和にも関わる問題だと思われるので、この項に追記しておくことにします。「オタク」と「サブカル」のあいだには、「絶対安全」ではない、深くて暗い河がある……

で、あくまでコンスタティヴに書かれた『ニッポンの思想』では、自身の態度は棚に置かれていたわけだが、自身の立場は新著で解明されることになるのだろうか……

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