2009/09/30

覚悟の問題

東浩紀周辺でなんだかざわついているらしい……と思って調べたら、次のような応答があったようですね。

最近『思想地図』やぼくの仕事に対していろいろ風当たりが強いのですが、そのひとつのテンプレとして、「あの連中は社会学的な状況分析ばかりで、強度をもった作品論、作家論がない」というのがあります。/そしてこの批判に対するぼくの答えはきわめてシンプル。/ならばあなたがやればいい。

どーん!(あ、これは笑ゥせぇるすまんのように) いや、でもね、これはホントその通り!

で、佐々木敦の件は以下に述べるとして、とりあえず東サン、やっぱり大澤真幸先生の件でイラついたのでしょうか……


ま、それはそれとして、いずれにせよ、こういう凶暴な、あるいは(なんでこんなところで絡んでくるの?みたいな)異様な面を持っているから、東浩紀は面白いのである。逆に言うと、ある意味、この凶暴な面なくして現在の東はない、とすら言える。先に俺が指摘したように、東浩紀の現在は、決して佐々木が描いたような「絶対安全」的な、勝利を確信した道程ではなかった。その意味で、佐々木はまさに『ニッポンの思想』で描いた自身の史観に復讐されているとも言える。

で、それは、東自身が、次のように述べた通りでもある(この一文は名文ですよ! 笑)。

『ニッポンの思想』を呼んで、大塚英志や宮台真司や東浩紀をわかった気になってはならない。

で、まあ、俺が先の日記で、佐々木敦『ニッポンの思想』の論旨が、丸山眞男の『日本の思想』ではなく、中村光夫の『日本の現代小説』に近いと言ったのは、まさにそういうことであるわけだ。

要は、『ニッポンの批評』で引用していた(はずの)柄谷行人編『近代日本の批評』(講談社文芸文庫、だけど、このシリーズの日本文学史観はでたらめなので注意!)に出てくる中村光夫的な(誠実な、あるいは無害な)状況論的批評家像から佐々木氏自身がどれだけ離れられるか、いや、むしろ中村のような面倒臭さをどう背負っていくのかということを、あのような著作を書いてしまった佐々木氏自身がどれだけ覚悟しているのかどうか、こそが問題なのだ。そう、こんな著作を書いてしまった以上、これ以降の佐々木の活動は覚悟の問題となってしまうのである。で、こういう時、ちょっとでもショボいものを書いた時の日本の読書界が相当に残酷なことは、佐々木自身も知っているはずだろうから、筑摩書房から刊行されるという氏の新著に期待したい。


で、それはそれとして、以前にも述べました通り101日から、当サイトのタイトルは「All Cretans are Liars」に変更いたしますので、なんかあればよろしくお願いいたします。

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