2009/09/07

ミシェル・アルシャンボー『フランシス・ベイコン 対談』

ミシェル・アルシャンボー『フランシス・ベイコン 対談』(五十嵐賢一訳、三元社)
MA でも、あなたは少なくとも一度は彼〔アンディ・ウォーホル〕と同じテーマで絵を描いています。つまり、あなたもミック・ジャガーの肖像を描きました。
FB ああ、でもそれは一種の頼まれ仕事だったんだよ。その肖像を描くように誰かに頼まれたけど、でも僕はジャガーとは知り合いでも何でもないし、それに、その絵を描いている時はウォーホルのことなど考えもしなかった。ほんとうにこれっぽっちもね!
いや、だからさ、たとえ彼がポップ・アーチストの中で一番頭の切れる人間だとしてもだよ、頭では決して芸術はできないんだよ、決して絵は描けないんだよ……残念ながらね。
MA 何が絵を描かせるんですか?
FB さあ何かね。p.47

MA 前回の質問に戻りますと、何が絵を描かせるのか分からないということでしたが、でも、絵を描かせるのは何なんですか?
FB 要は、絵かきなら見るものを本能で描くことができるか、あるいはほとんどまったくといっていいほどできないかということなんだ。この点はいつもなおざりにされていると僕は思う。でも、要はこれなんだ。つまり、本能的に何かを描くことができるということなんだ。この本能というものを説明するとなると、これはまたたとえようもなくややこしい問題だ。絵画というものが世紀から世紀へといかに大きく変化するかという事実を見ると、本能というものもまた、世紀から世紀へと移り変わるたびに変化するのではないか、見たり聞いたりするあらゆるものによって変化を蒙るのではないのかと思えるんだ。どうだろう。ともかく、僕に言えるのは、本能というものは大変重要なものだということだ。p.57

MA それでは、あなたにとっては、異なった芸術表現形式間の接近には興味がないということですか?
FB そのとおり、あまり興味がないな。でも、ほら、そう思うのはこの僕なんで、要するに方法はどうでもいいんで、重要なのはひとえに何かができるということなんだ。それ以外のことはどうでもいいんだ。もし自分にとって意味のあることが生きている間にできれば、それをどうやるかとか、どの分野でやるかとか、そんなことはどうでもいいんだ。自分の人生に意味を与えること自体が既にたいへんまれなことになってしまっているし、それができたら最高なんだよ。p.84

MA 一般的に言って、現在の政治的状況についてはどう思いますか?
FB 知ってのとおり、僕は1909年の生まれだ。それ以来、世界中で何ダースもの戦争とか紛争があった。生まれてすぐのアイルランドのいろいろな出来事とか第一次世界大戦を皮切りにね。僕の世代の人間は戦争抜きの人生なぞ想像できないのではなかろうか。言うもおぞましいことだけど、でもそれが誰もがした経験だと思う。僕らにとっては常に戦争というものがあっtんだ。それに、現在のいろんな出来事……。今日どこが違うかといえば、それはたぶん情報手段だね。ラジオとかテレビとか新聞とかで、どうなっているのか逐一明らかになるし、世界中のあらゆることが耳に入る。それで人間が賢くなるとか、批判的精神がさらに高まるとは思えない。そうなりたいところだろうけど、そうは問屋が卸さない。ともかく、世界中で起こっていることに見ざる聞かざるでいることは至難のわざだろうな。p.111

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