2009/10/14

多木浩二『肖像写真──時代のまなざし』岩波新書

多木浩二『肖像写真──時代のまなざし』岩波新書
読んでいて、どうしても違和感がつきまとう人だが。
ナダールは写真の能力が対象の細部を精密に捉え、その雰囲気を確実に伝えることを理解していた。ただ個人の顔を際立たせるための光の使い方は、とくにレンブラントに学んで工夫していた。斜め上方から落ちてきてその顔に適切な陰影と彫りを与える光である。そのようなイメージからブルジョワジーが現れてくるのである。p.23

もちろん人物によってはナダールよりも他の写真家のほうがすぐれた写真を残している場合もある。たとえばクールベの場合は、ナダールよりも、カリカチュリストとしても写真家としてもナダールの競争相手であったエティエンヌ・カルジャの写真のほうがいい。カルジャはクールベの友人であったし、撮影の機会も多かったからであろうが、ナダールにはいささかクールベが苦手であったのかもしれない。p.38

土地に結びついて堅実な日々を送っている農民のなかから、大都市へ上昇して世界を動かし、政治や経済の活動を担い、またそれらを表現するものが登場する。しかしザンダーの見るところ、こうした都市文化は不安定である。彼の時代の芸術家たちが描き出すように、都市文化からの落ちこぼれもいた。ザンダーは過激な社会思想はもたなかったが、都市生活から脱落し、零落するものが現れるという過程を見逃してはいなかった。p.82
われわれは、真実を見ることに堪えることができねばならない。だが、なによりもまず、われわれは真実をわれわれとともに生きる人びとに、そして後世に伝えるべきである。たとえわれわれにとって好ましいものであろうと、好ましくないものであろうとわたしが健全な人間として、不遜にも、事物をあるべき姿やありうる姿においてだけでなく、あるがままの姿において見るとしても許していただきたい。
1929年に出版した『時代の顔』はそのような構図をもっていた。p.104

最初に無装飾の背景が現れるのはナダールと19世紀イギリスの女性写真家マーガレット・キャメロンの場合である。p.115

アヴェドンは彼〔ボルヘス〕が盲目であることに不安を感じでいた。さらにブエノス・アイレスに向かう機上で、ボルヘスが一生ともに暮らしてきた母親がその夕方死去したことを知った。撮影はキャンセルだな、とアヴェドンは思った。ところがアヴェドンは招じ入れられた。暗いなかにボルヘスは坐っていた。それからアヴェドンにキプリングの詩をとってこさせ、そのなかのひとつを朗読させた。母親の遺体はとなりの部屋にあった。それからしばらく会話。やがて明るくしてもらい、感動に胸一杯になりながら撮影した。p.146
肖像写真とは撮られることを知っている人物の写真だ。……彼は起こりつつあることに巻き込まれ、結果に大きな影響をもっている。〔写真家〕リゼット・モデルは私に、私の父の写真にパフォーマンスを感じたと言ったが、そのとおりである。……最初、父は私が写真を撮ることにたんに同意しただけであった。やがて彼はそれに頼りはじめた。というのは、それがわれわれがなんであるかを認識することをお互いに強制する方法であったからである。私は彼の最後の数年間、何度も彼の写真を撮ったが、彼の死後まで、私はその写真を見たことがなかった。その時期のコンテクストから外れてしまうと、写真は今やそれを撮った経験から自立している。──リチャード・アヴェドンp.157
【写真・上】ナダール撮影によるギュスターヴ・クールベ
【写真・下】カルジャ撮影によるギュスターヴ・クールベ



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