風船のからみし枝の余寒かな
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冬の灯のいきなりつきしあかるさよ
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掻巻(かいまき)も枕も秋の風の中
私はこの句を詠んで何かを悟ったのを覚えている。今の人には「掻巻」という言葉が引ッ掛かるかも知れない。
今は東京は大植民地になってしまったので、夜、寝るのに掻巻なんか使っていない人が多いのではあるまいか。と云うのは、テレビドラマを見ていると、江戸を舞台にしてあるのに、寝ている人が掻巻を使っていないからである。みんな上方式の、四角の夜着にくるまって寝ている。江戸では、いや、東京では、明治時代までは、そうではなく、掻巻で寝ていた。
では、掻巻とは、どんなものかと云うと、着物と同じように両方に袖のある夜着である。初めて京都へ行った時、袖のない、四角な夜着で寝かされて寝られないので困ったことを覚えている。p.50
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ハルピン、キタイスカヤ、イベリヤといへるロシア料理店にて
ゆく春や鼻の大きなロシア人
同じことを繰り返して云うことを恥じます。小説を書かせると、あんなに窮屈な同じ人間が、詩を書かせると、どうしてこんなに自由になれるのでしょうか。彼のこの本当の自由さに、私は降参するほかありません。
同じハルピンで、私も同じ「鼻の大きなロシア人」を見ているのですが、私には俳句になりませんでした。おお、「鼻の大きなロシア人」よ。p.54
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終戦
何もかもあつけらかんと西日中
終戦の日を、俳句にした人がいるだろうか。私は万太郎のほかに一人も知らない。
あの日の悲しみ、途方に暮れた落胆、「あつけらかんと」と「西日中」に圧縮した彼の詩魂に私は圧倒された。「何もかも」も、「あつけらかん」も、「西日中」も、みんな東京人の俗語だ。
あの大きな敗北の光景を、東京人の俗語だけで描き出した万太郎の腕前に、私は舌を巻いた。事実、「あつけらかん」としか云いようがなかった。「何もかも」だった。事実、「西日中」だった。
その俗語がみんな生きて、呼吸しているではないか。悲しみの表情を浮かべて、途方もない大きなスケールを持って、溜息をついて、唯あっけらかんとして──p.57
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星涼しユダヤかたぎのはなし好き
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短日や大きな声のうけこたへ
これで詩になるのだから恐れ入る。p.80
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昭和二十四年をおくる
年の灯やとほく廊下のつきあたり
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しまいには、家を捨て妻を捨てて、ある女性と別に所帯を持った。詳しいことは、後藤杜三氏の「わが久保田万太郎」(青蛙房)を読めば分る。p.95
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クリスマス海のたけりの夜もすがら
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たましひの抜けしとはこれ、寒さかな
死んでゆくものうらやまし冬ごもり
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湯豆腐やいのちのはてのうすあかり
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雪の傘たゝむ音してまた一人
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