2009/08/03

空間政治学とやら

10時起床。眠い。朝食はヨーグルト、コーヒーのみ。少しバテ気味か。今週はイベント目白押しの予定なので、今日はセーブせねば(普通、大人はこういう調整を土日でするんだよな……)。

11時半に出勤。午前、午後と、読んだり電話したり入力したり。

昼食はお弁当を近所の公園で。『思想地図』の東、北田、原武史の鼎談を読みながら。これについては文末に記す。

17時に退社。新宿2丁目で打ち合わせ。帰りしな、世界堂でガチャガチャ「石膏デッサン入門」を購入。「武装する女神」を入手。なんと第2弾らしい。俺は他に「マルス」を持っているが、これ、そんなに好評なのか。

帰宅後、睡眠。めちゃくちゃ疲れている。起きて、ガールフレンドが作ってくれたそうめんを食べて、ユンケル飲んで、また寝て、みたいな生活。かなりきつい。


さて、『思想地図』の東+北田+原の鼎談。いつもながら北田の立ち位置に相当な違和を抱く。原も人畜無害だが。もー、「テン年代」(笑)が思いやられる。

方法としての空間政治学は必ずしも思想的課題と直結するものではないと思うんですよ。それはメディア論にしてもそうです。イデオロギー分析のどん詰まりから抜け出す一つの方法としてメディア論的な視座が出てきたわけで、思想的・実存的なものと距離をとる、というのが信条になっている。その方法論に思想的なインプリケーションを求めてもなかなか答えにくいと思うんですね。

と北田は言うが、この発言は、本鼎談において、内容、タイミング、ともに最悪である。単なる自己保身。北田が言うところの「メディア論的な視座」こそが、現在におけるある種のイデオロギーのどん詰まりを体現している。どのような対象であろうとも論者の立ち位置が揺るがないという意味では、立場は違えど、カルスタと同程度のものでしかない。

現在、東京(日本)に起こっていることは情報管理に基づく都市(生活)のメディア化であって、実際に歩いて見聞することによってしか管理(ルビ:メディア)からこぼれたもの(それは確実に断乎存在する)に出会うことはできない。土地には日付けがあり、地名には謂(ルビ:いわれ)がある。謂のない場所が増殖し続けている時代に、失われた時代の地図を歩くためには名所旧跡案内だけではなく、場所の記憶が必要なのだ。記憶だけが情報メディアに風穴をあけるのだ。

(西井一夫+平嶋彰彦『昭和二十年 東京地図』筑摩書房、あとがきより)

1986年、戦争の記憶がとうに薄れ、街が開発されるまっただ中で書かれたこの優れた「空間政治学」で西井が言うところの「謂のない場所」──つまり再開発される街=郊外──、その謂こそを、『東京から考える』以後の東は問うているのだし、『滝山コミューン1974』で原が描いたものも、まさに「謂のない場所」の謂、「管理からこぼれた」「記憶」についてではないか。この鼎談においてはそんなに大した話は出てこないけれど、それなりに興味深い視点を提出しようとしている二人を目の前にして、「方法としての空間政治学は必ずしも思想的課題と直結」しない、それは「思想的・実存的なものと距離をとる」などと宣う北田の「メディア論的な視座」など、もはや「どん詰まりから抜け出す一つの方法」であるわけがないのである。


マルスがなぜ痘痕面なのかは内緒

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