2009/12/09

四方田犬彦『歳月の鉛』(工作舎)

四方田犬彦『歳月の鉛』(工作舎)

その日の朝、四宮[俊治]は駒場寮で同室であった石田英敬と富山隆という同級生とともに、レンタカーを借りて世田谷区代田のアパートに引越しをしている最中であった。三人とも革マルに近いところにいて、白地にZと大書きしたヘルメットを被って集会に参加したこともあったが、この時点ではまだセクトの闘士として確固とした自覚のもとに行動していたわけではなかった。ただ前年の十二月頃革マルの上層部から、狙われているから寮を離れた方がいいという助言を受けていたので、別にアパートを見つけることを決めていたのである。引越しにはもう一人、福田という同級生が助っ人に来てくれた。福田はまったくのノンポリ学生だった。

彼らが新しいアパートに荷物をあらかた運び終わったとき、鉄パイプを持った五、六人の中核派がどこからともなく出現して襲いかかった。石田と福田はただちに逃走したが、四宮と富山は逃げ切れず、頭や顔をめった打ちにされた。二人は病院に運ばれる途中で、脳部挫傷で死亡した。

わたしは四宮と直接に面識はなかったが、この事件は駒場の学生時代を通じてもっとも忌まわしく陰惨な事件というべきものだった。死の翌年、彼が生前に記していたノオトが『何という「無意味な死」』という題名のもとに、辺境社から刊行された。p.66


石田[英敬]はわたしの知らなかったいくつかの事実を教えてくれた。駒場寮では同室にもう一人、梅田順彦という学生がいたが、彼もまた1975年10月に大学の学生会館の前で社青同の手で頭蓋骨を割られ、惨殺されたこと。四宮と富山を殺害した中核派の特殊部隊の一人は、後に良心の呵責に耐えられず自首し、現在でも服役中であること。最後に石田が、ただ一つ自分の心の支えだったのは、自分たちが中核派を襲撃する側の行動に参加していなかったことだと語ったことが、わたしには強く印象に残った。p.69


どんなジャンルの音楽でも、初発の混沌のときは勢いがいいが、やがて楽理が発達して洗練の極みに到達した時点で、それに見合う演奏者が見当たらず、音楽は凋落に向かいます。13世紀のアラビア音楽がいい例ですと、小泉[文夫]さんは語った。音楽にもう一度活力を与えるためには、未知の音楽と衝突することしかないですねと付け加えて。p.141


とはいえこの時期に見て決定的な影響を受けたのはルイス・ブニュエルである。1977年の2月に開催された連続上映に通いつめたわたしは、『黄金時代』の荒唐無稽から『悲しみのトリスターナ』の残酷さまで、この亡命スペイン人の築き上げた天蓋の下に自分のすべての感受性を置いておきたいという強烈な衝動に駆られた。わたしは中学時代に新宿文化で観たきりの『ビリディアナ』を改めて見直し、それが神聖なる瀆聖というべき作品であることを知った。今日の社会において聖なるものとはもはや野卑で貶められたものの内にしか存在しておらず、いかなる意味でも自由や解放という観念は愚かしい幻想にすぎない。ブニュエルの説くこうしたモラルを前にわたしは、いつか彼について壮大な書物を書きたいという気持ちを抱くようになった。p.232


余談ではあるが、このゼミからはるか後になって、1990年代に、わたしは駒場の大学院で非常勤講師として映画学のゼミを2年ほど開講したことがある。そのときに気づいたのは、東大生がいかに担当教師の学説やイデオロギー的偏差を素早く読み取り、それに迎合した発表をすることに長けているかという事実だった。彼らはゼミが開始されるや、ただちに担当教員の著書や論文を取り寄せ、その語彙と思考の文体の予習にとりかかる。その人物が「業界」のなかで誰と仲よく、誰と対立関係にあるかを目敏く調べ上げ、どのように振舞えば優秀な成績で単位を取得できるかを考える。その結果、人を思わず当惑させるような、途轍もない荒削りの独創性を披露する代わりに、いかにもその場に似つかわしい言説を思いつき、優等生としてのレポートを提出するのである。もっともゼミが終了してしまうとそれは忘れ去られ、彼らはまた新しく現われたゼミの担当者を前に、その人物の著作に想を得た言説を教室で披露し始めるのだ。おそらくこうした学生は、厳しい受験戦争を掻い潜るどこかの地点において、こうした処世術を無意識的に体得したのだろう。p.239


『シネマグラ』の刊行が契機となって会うことのできた人物のなかで、この小川さん[『映画芸術』の編集者・小川徹]は飛びぬけて印象的な人物だった。この人は本気だと、わたしは直感した。世俗の功名心とかつまらない業界の政治などを尻目に、悠々と自分の執念だけのために雑誌を編集していた。その手垢に塗れた孤独のあり方に、わたしは深い感動を覚えたのである。p.251


あまたの事件のなかでわたしにもっとも強烈な印象を残したのは、1月26日に大阪の三菱銀行北畠支店で生じた立て籠もり事件だった。犯人の梅川昭美はライフル銃を手に銀行員たちを人質にすると、彼らに性的な屈辱を与えた。彼は2日後に警官隊によって狙撃されまもなく死亡したが、今わの際にパゾリーニの遺作フィルムである『ソドムの市』に言及した。彼がこの性的倒錯遊戯に満ちたフィルムに想を得て蛮行に及んだことは、歴然としていた。パゾリーニはその4年ほど前にローマで惨殺されていた。p.328

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