2009/12/07

キアーラ・フルゴーニ『アッシジのフランチェスコ──ひとりの人間の生涯」(白水社)

キアーラ・フルゴーニ『アッシジのフランチェスコ──ひとりの人間の生涯」(白水社)
喜びというのも、フランチェスコに典型的な態度だった。『三人の伴侶の伝記』は、これを彼のもとからの性格の一部と考えているが、どうだろうか。たとえ生まれながらの性質であったにしても、フランチェスコは間違いなく、これを自分で注意深くコントロールして、よりよいものにしている。内面を高く保つことで肉体と魂のあらゆる痛みや苦しみを昇華させようとしたのである。まだどこかの君公になろうと考えていた頃にも、フランチェスコは勇気と肉体的な忍耐の徳を示した。それは武術を習う中で、傷を負う危険や痛みに耐える長い訓練を通して培われたものだった。後にキリストの例に従うとはっきり決意した時、彼が拠りどころとしたのは、他人の意志に心穏やかに従う忍耐の徳、そして他の人々に優越したがる野心やうぬぼれの気持ちを抑えつける、喜ばしき服従の徳であった。p.33

そしてある日、アッシジの近辺を馬で走っていたフランチェスコは、一人のらい病者に出会った。勇気を奮い起こして馬から降りると、らい病者に金を与え、その手に接吻し、抱擁に応じた。数日後、今度は彼の方で再びらい病者たちに会いに行く決心をした。金をたくさん集めると、彼らのいる施療院を訪れた。病んだ手に再び接吻し、施しを行ない、自身を抱擁してもらった。
根本からの変化であった。20年後に臨終のフランチェスコはその『遺言』の冒頭で、新たな生の開始となったこの体験を、短いが濃厚な言葉にして述べている。「主は、私、すなわち兄弟フランチェスコに、このように改悛の業を始めさせて下さった。私は罪の中にあったため、らい病者を見ることがあまりにも苦く思われた。そこで、御主自身が彼らのあいだに私を導かれ、私は彼らに慈しみを施した。そして彼らのもとから遠ざかるに従い、私にとって苦く思われたことが魂と身体に甘美なものへと変わった。そして、それから私は少しのあいだ留まった後、この世の外へ出た」p.47

親子を目の前にすると、司教は自分の庇護下にある者の方へ向いた。既にフランチェスコは手もとに残っていた金をすべて持ってくることに決めていたのだが、ともかく司教は彼に金の返済を促した。「教会は、なんじが、なんじのものではなく、なんじの父のものであり、おそらくは不当に得たはずの金を、教会のために使うことを望まない」。フランチェスコは同意し、すべてを返すつもりだと言った。そして隣室に入ると、すっかり衣服を脱いで裸になり、手にした服の上に金を載せて、父と居合わせた人々のところへ戻ってきた。大勢の友人や近所の人々が息を飲み、どんなふうに成り行きを見守ったか想像してみるとよいだろう。「皆さん、聴いてください。そしてどうか私のことをわかってください。今までわたしはピエトロ・ディ・ベルナルドーネをわが父と呼んできました。けれども、わたしはただ神のみに仕えると決意したので、ピエトロ・ディ・ベルナルドーネに、彼の心を悩ました金と、彼が私に与えてくれた衣服を返します。今から先は、いつも『天にましますわれらの父』としか言いません、『わが父ピエトロ・ディ・ベルナルドーネ』とは決して言いません」。息子の決定的な言葉を耳にして絶望し、逆上した父親は、服と金をひっつかんで逃げ帰ると、そのまま家の中に閉じこもってしまった。司教は腕を広げて裸の男を自分のマントで覆った。p.56

フランチェスコは、詩篇の本を所望した例の修練中の兄弟に、この危険な欲求が次にどんな道筋をたどるかわからせようとした。『ペルージア伝記』のさわりを読んでみよう。フランチェスコが火の傍に座って身体を温めていると、くだんの修練者が詩篇の本のことをもう一度頼もうと戻ってくる。フランチェスコは答えた。「もしも詩篇の本を手に入れたなら、今度は聖務日課書が欲しくなってしまうだろうよ。そして聖務日課書を手に入れると、司教のようにどっかと椅子に腰を落ち着けて『聖務日課書をここに持っておいで』と兄弟に命じるようになるのだ」。フランチェスコは少々芝居がかったような思いもつかない動作で話を締めくくり、絶大な心理的インパクトを与えた。『ペルージア伝記』は続ける。「こう述べると、霊に火を点された聖人は、灰をかき集めて頭に振りかけながら自分自身に向かっていった。『私は聖務日課書だ! 私は聖務日課書だ!』フランチェスコが叫びながら灰を頭にすりこんだので、修練者は驚愕し、すっかり恥じ入ってしまった」。p.91

話を聴いたひとりはこう言わざるをえなかった。「この人たちは、神さまと一つになるために何もかも徹底してやっているのか、そうでなければ気が違っているのか、どちらかだ。まるで自棄になったような生活をしてるんだから。ほとんど食べないし、裸足で歩き回って、服もひどい有りさまだ」。若い娘などは彼らを遠くから見かけただけで、驚いて逃げ出した。まるで森からやってきた野生の人のように見えたからである。p.109

羊飼いの方は、懇願の言葉も身振りもいっさい受けつけずに、陰気な怒りにまかせて気の毒な者たちの衣服をはぎ取り続け、彼らを素っ裸にした。その後もこうした襲撃は繰り返された。そのためひとりの哀れな兄弟などは十五回も下ばきをあきらめる羽目に陥り、とうとうしまいには、下ばきを守るために牛の糞で汚して略奪者が嫌がるようにした。それよりもましな方法を考えつかなかったのである。p.146

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