2009/12/09

大星光史『日本の仙人たち──老荘神仙思想の世界』(東京書籍)

大星光史『日本の仙人たち──老荘神仙思想の世界』(東京書籍)

しかし、『本朝神仙伝』の作者は、実は、このヤマトタケルノミコトを神仙とすべきもっとも大切な条件、これを見落としていたように思える。すなわち、『紀』にある「開其棺[木親]而視之、明衣空留而、屍骨無之」の点である。棺を開けてみたけれど死体がなく、着物だけが残っている。これは、中国では神仙の証明、尸解仙[しかいせん]という。『後漢書』に「北海王和平病殁、后弟子夏荣言、其尸解」(方術和平伝)と。「注」に「尸解者、言将登仙、仮託為尸以解仙也」とある。(…)『日本書紀』では、ヤマトタケルノミコトをはっきりとこの種の“仙”と容認していたのである。p.47


酒は「竹林の七賢人」以来、動乱の世を避け、政治から離れて詩を論ずるのにもっとも必要な隠者たちの逃げ場でもあった。晋の阮咸以下これら七賢が、琴を弾じ清談に明け暮れた老荘思想の体得者であることは、よく知られるところである。旅人自身も、「古之七賢人等」と歌の中でもふれている。p.63


男が権力の座からずり落ちる時、それは性の繁殖、主導権からも外れることを意味した。権勢に敗れた者は子孫の繁栄も、多くの女を身近に侍らすことも不可能である。

逆にいえば、権力の座とは、いかに性を有効に活発に用いるか、その支配権を握るかでもある。

隠遁、隠栖と、性生活の有無は、深く関連し合い、性生活を失ったとき、それは隠遁と結びつき、お互いそれぞれに大きな影響を与えるものがあったかとも思える。

そして、その底には、古代日本、中国の思想、老子の陰陽のものの考え方がドッカリと腰を据えていたかとも考えられる。p.130


[白幽子が白隠の懇請に対して]丁寧きわまりなく教えてくれたのが“用酥(ようそ)の法”である。

用酥の法というのは、「色香清浄の鴨の卵の大きさのものを頭上に想像し、それが融け、肩、胸、内臓、尻、脚とひたしてゆき、ついには足の裏でとどまる」といった内容のものであるが、これをもっと詩的に、生理学的に粉飾、表現したものである。

この観想を幾度か繰り返す。すべて内観の法であり、感覚、空想によるやり方であるが、白隠の禅病はこれによってはっきりと消滅したことは事実であるし、白幽子も以前病弱であった体が見違えるようになったと告げている。

この法をやると、心身は調和し、鼻にはツンと香気を感じ、たまりにたまった汚濁の病気のもとは消え去り、胃腸も肌もととのい、光沢を増すという。大いに気力を増し、いかなる病も癒し、人道、人徳、人仙のいずれにも通ずるようになるという。

飢え、寒さから自由になり、冬、年老いていても足袋をはかず、火の気がなくとも、常に足はあたたかで、病気知らずとなる。白隠が三年この内観法を用いることによってかつての病は自然に治癒し、禅においても目ざましい発展、悟りを見るようになった。p.181

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