2009/10/26

惜しまれる男

10時45分起床。ああ、酒が残っている。が、ウコンと胃薬の防衛力が効いているのか、大惨事〔ディザスター〕には到らず。お風呂にゆっくり浸かってからだをあたためる。漢方2種類を服用。

ブランチとして、駅前の立ち食い蕎麦屋にて月見そば260円也を食してから会社に向かう。杉浦勉『霊と女たち』(インスクリプト)を読みながら。

出社後、結局ディザスター。会社のトイレで2度ほどリバースするはめに……。落ち着いてから、サンドイッチとホットレモンを胃に入れる。打ち合わせ1本、入稿、地味な入力作業など。ほぼ定時に退社。

ガールフレンドと待ち合わせ、スーパーに寄って帰宅。

夕食は今年度初のお鍋。宮崎軍鶏を豆乳で食し、締めはうどん。ああ、おいしい。毎日鍋でもいいくらい。アンタッチャブルの漫才をYoutubeで見ながら。涙を流して笑いました。


ところで。

『霊と女たち』を読んで驚いた。昨年、杉浦勉氏が亡くなったのだという。俺はぜんぜん知らなかった。

あれは学生の頃だったろうか、俺は「キップ・ハンラハンを囲む飲み会」なるものの末席に連なる僥倖に浴したことがある。その席ではじめて杉浦さんとお会いし、以後も、3度ほど、お酒の席をご一緒させていただいた。

本書の巻末にキップが書いている。

惜しまれる男だ。ボルヘスの登場人物のようにエレガントで、バジェーホの詩のように複雑で、インファンテの本のようなユーモアの持ち主で、彼は、ぼくが日本を訪れ、彼に会うたびに、その旅をいっそう楽しいものにしてくれた。(…)彼のあれほどフォーマルな外見とマナー、仕事のしかた、それにとても静かでおかしみのある一面が、お酒が入ると、いっそうブリリアントで面白くスマートな教授の、友人の、詩人の、ファンの、仲間の顔へと変わってゆくのは、実にすてきだった。そして格式ばった堅苦しさが消えても、彼は決して、一度だって品位を失うことはなかった!

(訳=浜邦彦)

杉浦さんはいつも穏やかな、瀟酒な風貌で、切っ先鋭い知性を隠していた。酒場で、照れくさそうに笑いながら、娘さんのお話をされていたのを思い出した。

2009/10/23

衝撃の最終回

9時起床。眠気というか、疲れがとれず。1週間の疲労が出たのか、ここ2日間の飲み過ぎからか、からだの調子が悪いので、今日は会社を休むことにする。からだがとても冷えていて、おなかを下す。

朝食はトマトたまご。尊敬する米沢亜衣先生の『イタリア料理の本』(アノニマ・スタジオ)のレシピより。素朴なおいしさ。食後にみかん2個。ベッドで『プロゴルファー猿』(9-10巻)を読むうちに2時間ほど寝てしまう。

起きて、昼食。ガールフレンドが買ってきたえのきだけを湯がいて、ベーコン、しらすと和えて、バター風味のパスタを作る。食後にみかん2個。あ、そういえば今年度初のみかんだ。

図書館から借りてきたスタンリー・キューブリック『2001年宇宙の旅』を観る。小学生以来です。だが、起きていると身体に障る感じがして、半分だけ観たところでまたベッドに戻って30分ほど眠る。


浅草行きのバス車内で坪内正『やさしいデッサン入門』(アトリエ出版社)。単なる実用書かと思いきや、認知論的(?)に書かれた意外な良書。ピカソとゴッホ、それぞれ9歳時のデッサンがうますぎる。

で、浅草にて「アジアン・ミーティング・フェスティヴァル 2009」を観る。このあいだの大友良英展のイヴェントに感動したので。

出演者の中では、とにかくOOIOOのAyAさんとOLAibiさんがかっこよすぎた。

はじめて見た相対性理論は……いろいろな意味で「ええ?」って感じ。ただ、今回、実物のやくしまるえつこ嬢を観ることができたおかげで、相対性理論現象の何たるかがようやくわかりかけた気がする。それは、一言でいえば次のようなものである。


やくしまるえつこはかわいい、なぜなら「やくしまるえつこはかわいい」という話になっているからだ。


これ、嫌味で言っているんじゃなくて、客との共犯的な関係性についての象徴的な表現をしたつもりなのだけれど、わかりますかね。相対性理論に関しては30日のライヴも行く予定です。

今回のイヴェントは盛りだくさんすぎて、正直なところ、全体としてはよくわからなかった。ま、体調が良ければまた観てみようかな、近所だし。


からだが冷えたので、みそラーメンを食べて帰宅。

ソファでゴロゴロしながら『プロゴルファー猿』全巻読了。意外や意外、衝撃の最終回であった。これ、「猿」が「プロゴルファー」になるまでの話だったんだ! しかも、なぜか最後はどことなく悲劇的! ミスターXも出てこないし!

2009/10/22

今日も飲み疲れ

8時45分起床。起きたら唇が乾燥していた。冬はこうして近づいてくる。

朝食はガールフレンドが作ってくれたわかめそば。ゆっくり準備をして家を出る。

午前、午後とお仕事。今日はもっぱらデスクワーク。調子は良い。

昼食は近所の公園でお弁当を。『東京骨灰散歩』の続きを読む。

定時に退社。21時からオリヴィエ・アサイヤス『クリーン』を観る予定なので、それまで時間を潰す。

まずは山本現代にて「小林耕平 右は青、青は左、左は黄、黄は右」展。転がるペットボトルの映像に背筋が凍る。

続いて渋谷にて、高校時代の友人と一昨年ぶりに会う。昨年から今年にかけての積もりに積もった話が盛り上がり、結局アサイヤスは断念(がーん…)。1軒めでビール3杯と焼酎3杯、2軒めでカヴァ3杯。たしか終電で帰宅。

ああ、今日も飲み疲れ。


小沢信夫『東京骨灰紀行』(筑摩書房)

小沢信夫『東京骨灰紀行』(筑摩書房)

はかない遊女たちは、では、なぜ浄閑寺だったのか。江戸切絵図を広げます。「今戸箕輪・浅草絵図」嘉永六年刊の尾張屋版の、ちかごろの印刷物を。
絵図のまんなかに、新吉原が四角く灰色に描かれていて、まわりは緑色の田圃。その外まわりを赤い枠取りのお寺がかこんで、浅草から上野一帯まで圧倒的に寺町だったことがわかるが、この絵図は、まずは新吉原へのガイドマップなのでしょう。第一のコースは隅田川を猪牙舟できて山谷堀へ入り、土手にあがって、衣紋坂をおりて遊郭(なか)へ。この日本堤は、主には荒川(隅田川)の氾濫から江戸を守るのがねらいだった。土手の北側は江戸の外だ。
犬猫同然の死骸は、江戸の外へ捨てるにかぎる。界隈に腐るほど寺があろうとも。そこで土手へかつぎだし、隅田川方面はメーンストリートにつき、西へゆく。すると対岸にまっさきにみつかる寺が浄閑寺。しめしめとかつぎこんだ様子が、切絵図をみるほどに目にうかぶ、ような気がします。(p.56)

昭和20年(1945)3月10日の東京大空襲にも、日本堤、三ノ輪のこの界隈から北は焼けのこった。寺の前の「にんべんや履物店」の息子の荒木経惟は当時満4歳、のち高名の写真家が、こう証言しています。「空襲の時には浄閑寺の墓地に避難した。そこから周り中が燃えている赤い空を見たから、今もオレは赤い色が好きなんだよ」
にんべんやも、名物下駄の看板とともにぶじでした。その看板はもうないけれど、おかげでここらの横丁や表通りにも、古い東京の面影が、かけらほどにはのこっている。新吉原は、大江戸このかた全焼十余度の火宅そのものなのに、ひきかえて浄閑寺一帯が、どうして奇跡的にまぬがれつづけたのか。
石室正面には、いつ来てもお花があがっている。その右の壁面に、色紙風に黒石をはめこんで一句。「生れては苦界 死しては浄閑寺  花酔」(p.57)

彰義隊は、新撰組ほぢには人気がないのはなぜだろう。上野戦争といえば、パノラマ館の興行にさえなって、おりおり人気が盛りあがったらしいのに。やがて日清・日露の戦争を経れば、パノラマのネタもどっちそちらへ。それに彰義隊の残党からは各界に逸材をだした。幇間の大物〔松廼屋露八のこと〕のみか、大日本印刷の祖の佐久間貞一や、日本女子大学の祖の一人の戸川残花や。つまりイメージが単純でない。まして東京大空襲を経てからは、上野界隈が少し焼けたぐらいの戦なんか、片腹痛くなったんでしょうなぁ。わずか半日で死屍累々の、官軍側はその場からかたづけ招魂社(靖国神社)へまつられたが、彰義隊二百数十人は泥土にうち捨てられたままだった。という事実の残像としてこの一角はある。無言の碑たちがあっちむきこっちむき、樹陰に無愛想にたたずんでいる。(p.62)

『東京大空襲──B29から見た3月10日の真実』

高度経済成長期、この町〔築地〕のビル化が競ってすすんだ。いざ地下を掘ると、当たりはずれが生じた。なにごともないところと、ざくざくお骨がでるところと。子院の引っ越しは、つまり位牌の墓石を運んだので、土葬時代の地下は、大地に抱かれて自然に帰しているのであった。ところがビルは地下室を造るからね。造らぬまでも掘り固めるからね。そこが墓所跡ならば大当たり。なにしろ築地で、もともとは海につき、水気に漬かって空気に触れず、保存きわめて良好のお棺もでた。蓋をあけると妙齢の美女が振袖のまま眠っていて、ものに動じぬ仕事師もギャッと叫んで遁走したとか。聞きつけてドッとむらがったとか。多少は尾鰭のついた実話が、この町のどこかでいまも語り継がれているはずです。現代の民話。(p.112)

2009/10/21

もぐもぐぐびぐび

9時15分起床。漢方を飲んで、大量のゴミ出し。朝食はベーコンエッグ、わかめと青ネギのお味噌汁。デューク・エリントン『極東組曲』を聴きながらもぐもぐ。

郵便局にて所用のついでに、IC付のキャッシュカードを新調する。

小沢信男『東京骨灰散歩』(筑摩書房)を読みながら出社。午前、午後とお仕事。

昼食はスペイン料理屋で「鶏スタミナ定食」なるものを。こんなスペイン料理ははじめて。『悍』(白順社)の市田良彦+長原豊+佐々木中+絓秀実座談会「暴力燦々」を読みながらもぐもぐ。期待以下。というか、市田も耄碌したな。


恵比寿にて打ち合わせ2本終われば、すでに日も暮れていたため、直帰とする。それにしても、日が落ちるのが本当に早くなった。

麻布十番に移動し、タケニナガワにて大竹伸朗「貼貼貼貼」展。その後、近所に住む知人と飲む。中華料理屋で、生ビール4杯とシェリー1杯。もぐもぐぐびぐび。バーに移動し、さらにタンカレーを2杯ぐびぐび。帰宅後、おみやげの餃子をつまみに、ガールフレンドと飲みなおし。ビール2缶ぐびぐび。よく飲む日なり。


2009/10/20

ただの泥なのに

8時半起床。おおっ、だんだん早起きになってきている! 漢方を飲んで、テーブルまわりを片付けて、ガールフレンドが作ってくれた朝食を食べる。レーズンパン、スクランブルエッグ、柿。オーガニックのカモミールティを飲んで家を出る。車内で2日分の日記を書く。ちなみに、日記はいつも空き時間に携帯メールで書いてます。

午前、午後とお仕事。書類を書いたり会議に出たり。

昼食はお弁当を近所の公園で。食後、『日々是写真』の続きを読んでいるうちに眠気が襲ってきた。30分ほどベンチで昼寝。読書がぜんぜん進まない。

夕方頃からアレルギー性鼻炎の症状がひどくなり、くしゃみが止まらず熱っぽくなってきたので早退。今年は絶対に無理をしないのだ。図書館に寄って帰宅。

鼻炎の薬を飲んで、ベッドに転がり『プロゴルファー猿』6-8巻まで読んでいるうちに、気づいたら眠っていた。電話で起こされたのが22時前。ガールフレンドと待ち合わせてスーパーで食材を買って、簡単な料理。納豆としらすのパスタ。スーパーで購入したボルドー(Chateau Au Vignoble 2006)を2杯ほど。食後に柿を食べてインターネットをしているうちに、もう夜中。


そういえば、最近ガールフレンドがガスールで顔を洗っているようなんだけれど、本当に、日に日につるつるになっていている。ただの泥なのに。これはすごいかもしれない。

2009/10/19

雑踏と音楽

9時15分起床。朝食はぶどうパン、ソーセージ、めだまやき。11時までボーッとしてから家を出る。車内で清水穣『日々是写真』(現代思潮新社)。読んで、未完了だった重要事項を思い出す。

午前、午後とお仕事。今日は主にメール作業。

昼食はきつねうどん750円也。ちょっとしょっぱい。ついでに自転車屋に寄り、フレームを見て回る。本当は無塗装(コーティングのみ)、ロゴなしのフレームがいいのだが、そんなものはこのスペクタクル社会には存在しない。ピンと来たのは無塗装っぽいBianchiのピスタかな。

最後にまわしておいた大事なメールを書くのに時間がかかり、久しぶりに1時間ほど残業。だが体力も戻ってきているのか、難なくこなせた。


退社後、六本木ヒルズへ。今日は以前から狙っていた2本立て。まずは森美術館にて「アイ・ウェイウェイ 何に因って?」展。自転車と壺のコーナーがとてもよかった。特に、漢時代の壺を壊す作品。ちなみに、これって代表作は来てるのだろうか。図録を購入する。

続いて、東京国際映画祭「日本映画・ある視点部門」に出品された松江哲明『ライブテープ』を(ちなみに、今日は1人で鑑賞)。吉祥寺・武蔵野八幡宮から井の頭公園まで、最短距離のロードムービー。前野健太の歌に、ジーンと深い感動。なにより、音がすばらしく良い。雑踏と音楽の絶妙なバランス。いったい、どうやって録音したのだろうか。マイクは何本用意されていたのだろう。いずれにせよ、「74分1カット」という視覚的要素を生かすために、実際はものすごい熱量の「音の編集」がなされているはずだ。

上映後の質疑応答の際、「なぜ正月に撮影をしたのか」という質問に対しての松江の答えに感銘を受けた。「これが例えば1月4日の午後15時だったら、みなさんが何をしていたか思い出せないと思うんです。でも2009年の1月1日、正月というある種特別な日の15時頃からの74分間であれば、みなさんも何をしていたか思い出せるのではないか。僕はこの日のこの時間、大切なスタッフたちとこの映画を作ったわけです」。

撮影の舞台となっている武蔵野八幡宮から井の頭公園までは、松江が毎年家族と初詣に出かけるルートだったとか。そして、公開初日であった今日、10月19日は、昨年亡くなった松江の父の命日でもあるそうだ。


満足して帰宅。おにぎり1つ、ビール1缶。ガールフレンドがプレゼント(お守り?)をくれた。ありがとう!  大事に身につけます。『プロゴルファー猿』の続き(3-5巻)を読んで2時半に就寝。